6話 ルール
「もう大丈夫だからね。」
初老警官が言った。
「……。」
俺も美玖も言葉が出ない。
でもコイツらしかいない。
「じゃあこれに乗って。」
「……行こう。」
俺は美玖の手を引く。
「ごめん。君は別の車で。」
「……えっ。」
美玖は下を向いている。
サイレンが鳴り止むと急に静かになった。
「どうしても、別じゃないとダメですか?」
「一人は嫌です。蓮介と一緒にいたいです。」
美玖の声を久しぶりに聞いた。
その声は細く、今にも泣き出しそうだった。
「ごめんね。それはできない。」
「どうしてもですか。」
「ルールなんだ。」
ルール。
もううんざりだ。
「お願いします。」
俺は頭を下げた。
美玖も黙って頭を下げた。
「……今回は特別だ。」
車が動き出すと、さっきまで騒がしかった赤色灯の音が消えた。
車内は妙に静かだった。
「怪我はないかい?」
ハンドルを握った初老警官が聞く。
「はい。」
「美玖は?」
美玖は黙って頷く。
「大丈夫みたいです。」
「そうか。よかった。」
それからは、車の走行音だけが響く。
美玖の握った手は、強くなる一方だった。
到着した警察署は夜はいっそう禍々しく見えた。
「じゃあ行こうか。」
初老警官と中へ入る。
ロビーを通る。
署員も来客もいる。
なのに誰も俺たちを気にしていないような、何も起きていないみたいだった。
「今すぐに全部話さなくても大丈夫だから。」
人が少なくなり、静かな場所に来た。
「じゃあ君はこっちへ。」
美玖の手を握る手が強くなる。
「さすがに事情聴取は一人ずつやるから。」
表情からも、意見は通らないことを察した。
「この後、会えたりしますか?」
「できるだけ調整はするよ。」
「ただ約束はできない。」
俺は美玖の手を両手で握り、顔を覗き込む。
「お互い全部話して、また会おう。」
美玖は頷くだけだった。
「じゃあ行きましょう。」
美玖を待っていたであろう女性の警官と美玖は部屋へ入っていった。
その背中を俺は見送るしか無かった。
「じゃあ君も行こうか。」
狭い部屋だった。
テーブルと椅子が向かい合っているだけ。
まだ何も聞かれていないのに、俺はもう犯罪者になった気分だった。
——————
中には、丸い女性警官が座っていた。
「お名前は?」
想像以上の低い声に面食らう。
「内村蓮介です。」
「大学生?」
そう見えるよな普通。
「高校2年生の代です。」
「2年生の代?」
「留年してて1年生です。」
ちょっと気まずい空気が流れる。
「水飲む?」
「ありがとうございます。」
それでも空気は変わらない。
「内村さんはなぜ、現場にいたの?」
「美玖……友人から連絡を受けて。」
「なんと連絡が来ましたか?」
「たすけてと。」
「なぜ行こうと思いましたか?」
矢継ぎ早の質問。
ここは淡々と話したほうが早そうだ。
———美玖は大丈夫だろうか。
「家庭環境は知っていたので。」
「何かあったのだろうと。」
「現場で何を見ましたか?」
「助けてという友人の声と、服がはだけた友人です。」
「それと全裸の男性。」
「その男性は何をしていましたか?」
「あなたが見たままを教えてください。」
「全裸で彼女に迫っていました。」
「それであなたはどうしましたか?」
「窓を体当たりで破って、男を殴りました。」
「殴った経緯を教えてください。」
肌感わかる。
この答えは重要だ。
マイナスになることは言いたくない、でも嘘はつけない。
「助けなきゃって気持ちと怒りでした。」
女性警官は何かを書き込む。
「正直に話してくれてありがとう。」
「怒るのも無理ない状況だったと思う。」
「でも、それと殴ったことは別だからね。」
「事実確認をしたいだけだから続けるね。」
言葉に嘘はない。
でも罪に問われるかどうかは、別問題だろう。
「殴った後はどうしましたか。」
「友人の状態を確認しました。」
「男性はどうなりましたか。」
「……気を失っていました。」
女性警官のペンが止まる。
やりすぎ感はどうしても拭えそうにない。
「意識がない状態だったんですね?」
「はい。」
「呼びかけには反応しませんでしたか?」
「起きて反撃されるのも怖いのでしませんでした。」
「その後、友人とは何をしましたか?」
「通報して帰ってきた彼女の母親と話をしました。」
「どんな話をしましたか?」
「今の状況について話しました。」
「お母さんは何と言っていましたか?」
「友人に……産まなきゃよかったと言っていました。」
拳に力が入った。
「美玖さんとはどういう関係ですか?」
「……友人です。」
嘘ではない。
それ以上の言葉を、俺は知らなかった。
命を預けあう関係なんて、口が裂けても言えなかった。
——————
それからも質問は続いた。
美玖のこと。
母親のこと。
俺が知っていたこと。
知らなかったこと。
気が付けば時計の針は大きく進んでいた。
「今日はここまでです。」
「お疲れ様でした。」
女性警官はペンを置く。
「ありがとうございました。」
ただの質疑応答。
それでもこれだけの長い時間続けると、疲労感がすごい。
伸びをしたいが、流石に気が引けた。
「美玖は大丈夫ですか。」
女性警官は少し考える。
散々答えたんだから、そちらも答えろと思った。
「無事だよ。」
それだけ聞ければ十分だった。
廊下へ出る。
入ってきた時とは別の建物みたいだった。
廊下には足音だけが響いていた。
スマホを見ると親父たちからの大量の不在着信があった。
でも今連絡を取っても、何と言っていいのかわからなかった。
しばらく廊下のソファーに座らされていると、廊下の向こうから女性が歩いてきた。
見るからに憔悴したその姿からいつもの明るさは無かった。
俺を見て足が止まる。
俺も立ち上がる。
「美玖!」
美玖は弱々しい足取りで俺のところまで来た。
「大丈夫か?」
「……うん。」
目は真っ赤に腫れて声は枯れている。
俺とは違う時間を過ごしたのだろう。
「蓮介は?」
「俺は余裕だよ。」
笑ってみせた。
空元気だとしても、美玖に笑ってほしかった。
美玖の表情が一瞬だけ和らぐ。
その時。
「内村さん。」
後ろから声がした。
丸い女性警官とビシッとスーツで決めた女性が立っていた。
「こちらは児童相談所の職員さんです。」
「どうも。」
児相の職員は美玖に向き直る。
「今夜はお母さんのところには帰りません。」
「はい。」
美玖は淡々としていた。
「安全が確認できるまで、一時的に別の場所で生活します。」
美玖は静かに頷いた。
予想通りだし、俺自身も胸を撫で下ろした。
今度は俺の番だ。
「内村さんは保護者の方のお迎えを待ってください。」
「はい。」
ここまでくれば聞きたいことはただ一つ。
「美玖とはいつ会えますか?」
目を見て確認する。
児相の職員は困ったように頭をかいた。
「今は何とも言えません。」
「LINEは?」
「スマホも制限があるので。」
「保護の手続きが落ち着くまでは難しいと思います。」
ルール。
これが俺たちを離す障害だった。
俺は美玖の手を握って目を見る。
「大丈夫。全部終わったら会いに行く。」
今度は美玖が笑った。
俺のもこう見えていたのだろうな……。
繋いだ手はルールで簡単に離される。
でもハナから、そんなものに負ける気はない。
「連絡する。」
「うん。」
「待ってろ。」
初めて2人で笑った。
不安を隠すように。
「それじゃあ行こうか。」
児相の職員が促す。
美玖は歩き出す。
そして立ち止まる。
振り返る。
「……ありがとう。蓮介。」
俺は気付けば叫んでいた。
「待ってるから!またな!美玖!」
美玖は小さく頷いた。
そして今度こそ歩き出す。
その背中を俺は見送ることしかできなかった。
ルールなんかに負けるつもりはなかった。




