7話 ここから
一人になった途端、不安は一気に頭の近くまで登ってきた。
気絶するほど殴った事実。
認めた以上は後には引けない。
美玖に、二度と会えなくなる可能性も……。
「内村蓮介の父です。」
受付の方から声が聞こえる。
顔を上げると、親父がこちらに向かって歩いていた。
仕事帰りなのか、少し皺の入ったワイシャツ姿。
「おう。」
気まずくて目を逸らす。
「怪我はないと?」
「ない。」
「そっか。」
「とりあえず、よかった。」
そう言って親父は笑った。
この人は本当に。
敵わないな。
最初に会った初老警官が近づいてくる。
「お待たせいたしました。」
親父は頭を下げた。
「ご迷惑おかけしました。」
さっきとは打って変わって、立派な大人として。
「いえ。」
警官は俺を一度見て、親父に向き直る。
声のトーンが、業務的になる。
「今回の件ですが。」
親父は頷いた。
俺は目を閉じた。
「現場の状況や関係者の話を確認した結果、緊急性が高い状況だったと判断しています。」
「今回は身柄を拘束するような対応にはなりません。」
俺は大きく息を吐いて目を開けた。
すると警官はこちらを見ていた。
そして続けた。
「ただし記録は残ります。今後、必要であれば改めて確認させていただく場合があります。」
「わかりました。」
親父は短く答えた。
「では本日はこれでお帰りいただいて大丈夫です。」
警官はそう言って玄関まで俺たちを送った。
警察署を出ると太陽はすっかり隠れ、夜の風が頬を撫でる。
気持ちいいはずのそれに俺は、居心地の悪さを感じる。
駐車場へ行くと祖父の車があった。
「あれ、車は?」
「エクストレイルはでかいから、ノートのほうが楽。」
スマホがつながっていない車じゃ、音楽はならない。
せめて、ラジオぐらいついていることを願った。
助手席に座る。
エンジンがかかるとFM福岡が流れていた。
———助かった。
これで今からひたすら謝るしかない車内でも、沈黙に殺されることはない。
「あのさ親父、ごめん。」
どうせ何か言われるなら、先に謝っておいたほうがいい。
卑怯だが先手必勝だ。
「話はだいたい聞いたよ。」
「俺はお前が間違ったことをしたとは思っとらん。」
「ただ、もう少し冷静に判断すべきやったかな。」
「そうやね。」
「もうお前も何もわからん子供じゃない。」
「自分で考えれるやろ。」
「うん。」
「わかってるなら、別にいいよ。」
その声に怒りは感じなかった。
「18までは俺が責任取っちゃるけん。」
親父はニカっと笑った。
「まあとりあえず無茶すんなよ。」
「ごめん。」
その後、親父は黙ってハンドルを握った。
俺はバッグからスマホを取り出してみる。
来るはずのない通知を待ち続けるなんて初めてだ。
履歴を見て感傷的になるなんて、自分の女々しさが嫌になる。
決意はした。
でも寂しい。
それは別の話だった。
「てかさ……。」
親父は真面目な顔して黙る。
「お前、その子……彼女?」
世界一要らない間だった。
「違うよ。友達。」
あんなに抵抗があったのに、今はスッと出てきた。
「なんだ、つまんねえ。」
親父は唇を尖らす。
「夜の散歩中に会って仲良くなったんよ。」
流石に喧嘩の話は言えない。
このタイミングは悪すぎる。
「ふーん。」
「まあいいや。」
親父はそう言いながら、駐車場に車を停める。
———もう着いたんだ。
警察署から家までは、想像よりすぐだった。
「今日はもう何も考えるな。」
ドアの鍵を開けながら親父は言う。
「そりゃ無理やね。」
見栄を張るのも違う気がした。
「ちょうどいい薬があるやん。」
「不謹慎だな。」
笑いながらツッコむ。
「まあ、ゆっくり寝な。」
「おやすみ。」
「おやすみ。」
親父は笑って部屋に入っていった。
俺も自分の部屋に入る。
異常なまでの疲労感が押し寄せ、気分が底の底まで落ちる。
今になって親父は、俺が落ち込まないようにしていたことを実感した。
言う通り薬を飲んで目を瞑った。
記憶の欠落のことも忘れて。
——————
朝にしては強い日差しが、カーテンの隙間から入る。
まだ冷めない頭で時計を見る。
午後になっていた。
「外着で寝てたのか。」
自分で言ってハッとした。
記憶を掘り起こす。
そして、そもそも外着のまま寝たことを思い出し、安堵する。
『気を抜きすぎだな。』
そういえば、声を聞くのは久しぶりな気がした。
しょうがないだろ。
昨日は余裕なかったんだから。
『自ら大変にしたからな。』
俺が望んでやったことだ。
『望んでやって捕まるとかマヌケだな。』
それでもいいさ。
『気づいてるか。』
何が。
『男を殴ったあの時、お前は別人だった。』
わかってるよ。
『制御が効かない。化け物だった。』
美玖が止めてくれただろ。
『じゃあ寝たら誰が止める?』
……。
夜の徘徊。
おそらくこれは、俺の中にあるドス黒いあれを持て余した結果だ。
解離性健忘。
ネットで血眼になって調べた。
確証はない。
でも今はそう考えるしかない。
美玖はこれから現実と戦う。
だから俺も現実と向き合う。
『そうは言っても策はないだろ。』
ドス黒いものの正体はストレスなら、ストレスを解消すればいい。
『どうやってやる。』
音楽。
『音楽?』
ああ。
自分の中にある本当の気持ち。
今まで、見て見ぬふりをしていた。
音楽をやりたい。
『今さら夢追いか。』
……。
わかっている。
その世界を嫌と言うほど、聞かされてきた。
でも気持ちには嘘をつけなかった。
それでもやりたいんだ。
『親父はどう言うかな。』
……。
親父は、俺より遥かに上手いし、実績もある。
こんな俺が、その世界を目指すことを認めてくれるだろうか。
きちんと話はするさ。
『……。』
珍しくアイツが沈黙する。
俺はお前が嫌いだ。
『そうだろうな。』
俺の本音をアイツは笑う。
お前は俺じゃない。
お前は俺のストレスが生み出した、化け物だ。
『残念ながら俺はお前だ。』
お前を使って音楽を作り、お前を消滅させる。
『やってみればいいさ。』
アイツは、不敵に笑う。
でもまずは美玖への気持ちを歌にする。
『女々しいやつだな。』
でも今、俺の中にある一番強い気持ちだ。
ここから始める。
『まあやるのは勝手だが、お前が言っているのは感覚論に過ぎない。』
そう言ってアイツは消えた。
その通りだった。
全て感覚の話であり、確証はない。
それでも、世界が綺麗に見えた。
それだけで十分だった。
俺は、ギターを構える。
スマホのメモに歌詞を書く。
一番上に書く。
「I Love You」。




