2話 ヒーロー
眠れない。
今に始まったことではないにしろ、秒針の音に急かされるのは、本当に癪に触る。
ただ、ギターが弾けるようになった今は、まだマシと言える。
秒針がメトロノームに変わっただけで、世界は変わる。
ギターを弾いている間は、自分を解放できるような気がする。
時間の感覚が消えて、自分の世界に入れる。
誰にも邪魔されない俺と音だけの世界は、救いだった。
———コンコン。
ドアの音が鳴る。
この時間は飯が置いてあるわけではない。
「蓮介、入っていいか。」
ドア越しに声が聞こえる。
「うん。」
「少し元気になったみたいだな。」
ドアを開けて早々、親父は少し笑顔でそう言った。
「うん。まあ。」
一方的に当たり散らして以来、会話を避けていて気まずい。
「最近ギター弾いてるみたいだな。」
「やっとね。」
「何弾いてんの?」
「RANCIDとか洋楽のパンクかな。」
「いいね。」
「俺は、Toy Dollsをやってるよ。」
「あれは難しすぎるよ。」
「まだ俺には無理。」
「やったら意外とできるもんだぜ。」
「そうかな。」
「……あと曲作りも少し。」
「へー曲作ってんだ。聴かせてよ。」
ドキッとした。
「いや、まだ全然できてない。」
「詩?メロディー?」
「いや、やりたいことはあるのに、それをどう音にしていいか、わからん。」
「もう少しいろんなジャンルをコピーするとイメージ湧くかもよ。」
「待ってて。」
そう言って親父は部屋を出る。
不思議だ。
音楽の話になると自然と言葉が出てくる。
「これ、CRACK The MARIANのスコア。」
「お前CRACK好きだったろ?」
「うん。」
「CRACKは基本的なテクを活かしてる曲が多いから、バリエーションも増えるかも。」
「持ってたんだ、そんなの。」
「俺のスコアならいつでも使っていいから、暇ならやってみな。」
「おすすめの曲は?」
「好きな曲。」
「それじゃおすすめにならんやろ。」
「何をやるにも自分の気持ちが大事。」
「好きじゃなきゃ上手くならないから。」
実に親父らしい回答だった。
「ありがとう。」
「そういや、たまには、ばあちゃんたちにも顔見せてやれよ。」
「うん。そうするよ。」
「じゃあ。」
「親父!……この前はごめん。」
「いいよ。気にすんな。」
「そういや、モンハンのアップデート来たぞ。」
「まじか。やるわ。」
「またやる時声かけるよ。」
そう言って親父は自分の部屋に戻った。
俺と親父の間にあった気まずさはいとも簡単に消えた。
親の部屋からテレキャスの明るい音が聞こえる。
俺はCRACK The MARIANのスコアを開いて、「FREEDOM」のコピーを始めた。
——————
———ピロン。
「お母さん来た。」
美玖から突然LINEが来る。
仕事から帰って来るにはおかしな時間。
俺の胸が少しだけ痛む。
「落ち着いて、気持ちを伝えろよ。」
「何かあったら、LINEして。」
「ありがとう。頑張る。」
「ああ、頑張れよ。」
既読はつかなかった。
ギターをかき鳴らす。
それでも頭の中が回る。
アイツも話しかけてきた。
『そんなに心配か。』
母親となればな。
『しっかりトラウマだな。』
これでトラウマじゃなかったら、こんなふうになってないよ。
『お前の母親は異常だぜ。』
知ってる。
『育児放棄の方が楽だろ。』
『切っちまえば終わりだ。』
そう簡単に子は親を捨てられない。
『母親側が捨ててんだから簡単だろ。』
まだ捨てるって決まった訳じゃ……。
『でもお前は捨てられることを望んでる。』
そんなことない。
『ヒーローにでも憧れてるのか。』
うるさい。
———ピロン。
『ほら来たぞ。』
美玖からのLINEは、3文字。
「助けて」
——————
汗が滴り落ちる。
春の夜中に半袖半ズボンで、汗だく。
自転車を飛ばしただけでは説明がつかない。
呼び出されたのは、あの公園。
ベンチに背中を曲げてポツンと座る影。
外灯も気を使えばいいのに。
「とりあえず無事で安心したよ。」
隣に座って、呟く。
———ボフッ。
美玖は、俺にしがみついて泣いた。
「おっ、おい。」
「俺、今汗だく。」
———「死にたい。」
美玖は呟いた。
彼女から初めて聞いた言葉は、意外と胸に刺さった。
自分ならどうとも思わないのに。
「3年は頑張るんじゃなかったのか。」
「……。」
「別にいいぜ。死んでも。」
美玖は驚いて俺の顔を見る。
「死にたいのは俺も一緒だ。」
「ズルいよ。」
「そんなこと言われたら死ねない。」
『それを狙って言ってるんだけどな。』
うるさいな。
「俺を無理に生かしたんだから、お前にも無理させる。」
「これでおあいこだろ。」
「そうだね。」
「話、聞いてもいいか?」
「うん。」
「産まなきゃよかったって言われた。」
「……。」
「私の人生の邪魔をしないでって。」
『手遅れだな。』
そうだな。
「なあ美玖。もうお母さんを卒業したらどうだ?」
「寂しいと思うけど、俺がいる。」
「うん。」
美玖はまた俺に抱きつく。
『よかったな。』
『これでヒーローだ。』
うるさい。
「今後はどうするつもりなんだ。」
「わかんない。」
「多分、児童相談所に相談するのが一番だと思うが。」
「わかった、そうしてみる。」
「今日はどうする?」
「もう少し一緒にいたい。」
「わかった。」
美玖はずっと俺に抱きついたままだった。
「蓮介と出会えてよかった……。」
抱きしめる力が強くなる。
でも俺は、彼女を強く抱きしめることができなかった。
『ここまでしておいてか。』
俺は何も言えなかった。
———ピロン。
美玖のスマホが鳴る。
「さっきは言いすぎた。ごめん。」
美玖はメッセージを見て黙り込む。
表情から葛藤が見えた。
「行ったら?」
「いいかな?」
「行きたいんだろ?」
「……うん。」
「行っておいで。」
「ありがとう。」
美玖は、俺の手を離れて走り出した。
『お前は、やっぱり親父に似ているよ。』
うるせえ。
『今、戻っても絶対に上手くいかない。』
わかってる。
でも気持ちは、変えられない。
『そこを変えて救うのがヒーローじゃないのか?』
俺はヒーローじゃない。
何度も言ってる。
『お前は、責任を負うことから逃れてるだけだ。』
そうだな。
『ヒーローに憧れても、最後の最後でチキる。』
『お前らしいよ。』
うるさい。
もうやめろ。
わかっている。
俺は誰かのヒーローにはなれない。
でも、俺はこの選択を一生後悔することになる。
彼女に一生消えない傷をつけたことを。
ヒーローなんていない。
自分自身で道を切り開くしかない。




