5話 足音
幸せなんて、雲を掴むようなものだと思っていた。
少なくとも、俺のはそうだった。
それがこんな形で手に入るなんて。
「蓮介。朝よ。」
「うん。起きてるよ。」
「お湯沸いてるから、お茶漬けならいつでも食べられるよ。」
「ありがとう。」
居心地の悪ささえ感じてしまうほどだった。
あれから1週間。
学校のダルさは感じつつも特になんでもない日々を過ごしていた。
「おはよう!うっちゃん!」
「朝からその声量はキツイよ。」
「相変わらず朝弱いね。」
隼人はなんなら数時間前に起きていそうだった。
大洋はわかるが、こいつまで元気なのは少し意外だった。
「うっちゃん、部活戻ってきなよ。」
大洋は懇願するように言う。
「いや。俺、半年寝たきりだったからもう動けんよ。」
「大丈夫って!みんな待ってるし!」
少し、間が空いた。
「……俺も入ったし、3人で一緒にさ」
隼人が言う。
「うーん。善処します。」
「やった!来てくれるんやね!」
大洋の声が弾む。
「いや戻るとは言ってないし、その前に言うことあるやろ。」
「いや、入るって聞くまではツッコまん!」
大洋の鼻息は荒い。
「まあ、もう少し落ち着いてからでいいんじゃない。入部期間はまだあるし。」
隼人が助け舟を出す。
サッカーか。
またコイツらとやれるのは悪くないな。
——————
俺が教室へ入ると
「やあ。うっちゃん。」
軽く手を挙げヤマケンが出迎える。
「おう。ヤマケン。」
「昨日さ、面白いYouTuber見つけたから、帰ったら見てみてよ!」
相変わらずのオタク口調で興奮気味に話す。
「落ち着けよ、話は聞くからさ。つーかまず座らせろ。」
「すまん、すまん。」
おどけたようにヤマケンは言った。
「それでさ、このYouTuberなんだけど……」
オタク。
そう言ってしまえば終わりだがコイツの話はいつも意外と面白かった。
授業の間の10分の休憩時間。
トイレで静かに過ごす。
これが騒がしいクラスからも休憩する方法だった。
「おっ。内村じゃん。」
『めんどくせえのが来たな。』
「おう。甲斐。」
「どう?学校は?」
『何様だお前。』
偉そうに聞いてくる。
まるで自分のもののように。
「別に、普通だよ。良くも悪くもない。」
「せっかく復帰したんだし楽しもうぜ。」
『お前らのそれは楽しいじゃねえよ』
タイミング悪くヤマケンがトイレに入ってくる。
そそくさと小便器の前に移動する。
「俺は十分楽しくやってるよ。」
「もっと楽しくなるって。俺らと連もうぜ!」
「元々クラスの端で、モジモジしてる奴じゃないやん!」
『今もモジモジしてる気はねえけどな。』
ヤマケンは壁を見たまま用を足している。
「ありがとう。」
「でも、いいよ。自由気ままの方が俺に合ってる。」
「そっか。まあ気が向いたら来いよ。」
『デカく見せたがるやつだ。』
甲斐はそう言って教室へ戻った。
「うっちゃん。」
手を洗いながらヤマケンが話しかける。
「これで良かったの?」
「悪いけどアイツらは好きになれんけん。」
つい方言が出た。
「そっか、うっちゃんがいいならいいけど。」
ヤマケンは先に出て行った。
表情が暗く見えたのは気のせいだろうか。
——————
昼休み。
この時間が一番無駄だ。
特にやることもなく持て余す。
大洋や隼人のところに行って混ぜてもらうほど、図々しくはない。
やることもなく校舎をウロチョロする。
教室にだけはいたくない。
職員室から三つ編みの女子が出てくる。
教科書を片手に。
「あ、うっちゃん。久しぶり。」
こいつに会うのは本当に久しぶりだった。
『とうとう完全にハブられたな。』
ちょっと黙ってろ。
「久しぶり。高宮さん。」
「学校、戻ってきたんだ。」
「まあね。」
「私、うっちゃんがいなくなってから、全然うまくいかなくて。」
『俺がいた頃からうまく入ってなかったけどな。』
だからうるさい。
「ごめん。」
「うっちゃんのせいじゃないの。私のせい。」
「うざいんだって私。」
高宮は笑っていた。
でも、昔からずっと苦しそうだった。
「そんなことないよ。俺はうざいって思ったことはない。」
『同じタイプだからな』
……。
「私も学校、休もうかな。」
「高宮さんはもう少し力を抜いたら変わると思うよ。」
『それをお前が言うのか。』
コイツは痛いところばかりつく。
「そうかな。」
高宮は下を向く。
「きっと楽しいことが増えるさ。」
『お前もやっぱり甲斐と一緒だな。』
「ちょっと元気出た。ありがとう、うっちゃん。」
そう言って高宮は駆け足で去っていった。
なんとも言えない罪悪感に苛まれた。
俺は、何を励ましたかったんだろう。
—————
5時間目の体育は今の俺にはしんどい。
三角座りだけでキツイ。
隣で座っているヤマケンはどうだろう。
あいつ、こう言うの苦手だし。
……ん?
……毛が、ねえ!
もともと色白のあいつが、やけに白く見えた。
……あの剛毛、気にしてたのか。
半袖半ズボンで初めて気づいた。
周りはクスクスと笑っている。
毛より、その笑いの方が気になった。
クラスの中心から聞こえてくる笑いだった。
ヤマケンの三角座りがより膝を抱え込んでいるように見えた。
「ヤマケンどうしたの?」
クラスメイトの女子に聞く。
「なんか昨日、あいつらに馬鹿にされてたから気にして剃ったんだと思う。」
教室のど真ん中で騒いでる甲斐達を指差す。
「そっか。ありがとう。」
「うっちゃん。注意すると?」
「注意しても悪化するだけさ。」
「そっか。そうだよね。」
クラスメイトは少し残念そうに見えた。
笑い声が、やけに長く残っていた。
理由は分からない。
でも、それだけは引っかかったままだった。
——まるで、どこかで聞いたことがある音みたいに。
——————
現状帰宅部の俺は、帰りは1人だ。
ヤマケンのことが、頭から離れない。
サッカー部に戻るってのも悪くはないかもな。
重いドアを開けイヤフォンを挿し宿題を済ませる。
———ドン。
玄関から鈍い音が聞こえる。
「ただいま……」
俺は玄関へ急ぐ。
「おかえり。」
その声は——ここ最近聞いていなかった、棘のある声だった。
「宗介!宿題したとね!」
「終わったよ!」
焦ったように宗介が出てくる。
「そうね。」
そう言い残してキッチンに向かう。
「今日はやれることやっとけよ。」
俺がそう言うと、宗介も小さく頷いた。
———ガタン。
雑に置かれた皿の音がした。
嫌になるほど見覚えのある食卓だった。
静寂が苦しくなったのか宗介は箸を置き、今日の学校での話をする。
———「早く食べんね!」
始まった。
その声に宗介は黙って箸を進める。
一気に静寂へ逆戻りする。
皿と箸が当たる音だけが響く。
箸を置いてお茶を飲む。
それでも冷静さを取り戻すには遅かった。
「またかよ。」
宗介の箸が止まる。
何も言わないまま、俯いた。
「母さんだってキツイ時はあるったい!」
「だからってそんな言い方ないやろうが!」
……見てられん。
「宗介は何もしてないのに可哀想やろうが!」
「あんたに何がわかるとよ!」
「わかるさ!やっぱり母さんは変わってない!自己中なだけや!」
宗介は俯いている。
ごめん、宗介。
「誰に言いようとね!あんたは!」
「お前に言いよるったい!」
「いい加減にしなさいよ!偉そうに!」
「間違ってるのはお前やろうが!」
「だからあんたにはわからんって言いよろうが!」
「もういい!こんなの食ってられるか!」
俺は自分の部屋へ向かう。
「あんたも変わってないやん!父親そっくり!」
「そうかい!あんたに似んでよかったわ!」
俺はドアを閉める。
イヤフォンを爆音にしてThe Offspringの「All I Want」を流す。
もう全部壊してしまいたかった。
でも、壊しても——




