退屈のお味はいかが?
〈 退屈のお味はいかが? 〉
友人が微笑っている。そこら辺の女よりも滑らかで綺麗な肌は薄っすらと赤くなり、眼はきらきらと輝き、口元は美しくほころんで本当に幸せそうな顔をしている。艶のある黒い髪をふるっと振ると前髪が流れ、臥しめがちにうつむいた長い睫毛が光を受け影を落とした。・・・・・・そんじょそこらの女よりも綺麗な男である。
その友人の目線はひとつに釘付けだった。集中していた。周りの女共が友人を見かけてきゃあっと声を上げているのも聞こえていないようだった。友人は今全く周りを見ていない。自分の腕に、もう少し言うのなら手首だけを見ていた。
「・・・・・・あー・・・・・・蕪木?」
「ん?」
「・・・・・・そんなに見たところで時間は変わらねえぞ」
「? そりゃそうだろ」
なんだいきなり、という感じに友人が答えやっと顔を上げた。そうかすまんね。
「いや、うれしいのはわかるんだけどさ」
「いや、須藤が思ってる以上に俺うれしいよ」
「・・・・・・そうか」
うなずく。
それはまあ、否定出来なかった。
同じ学部にとてつもないレベルのイケメンが入学したのは、それこそ入学式初日からの話題だった。最早『イケメン』なんて軽い言葉が当て嵌まらないくらい顔立ちが整った男で、次の日の顔合わせの時鈴なりになっている女子たちを見て他の男子共は浮き足立っていた楽しいキャンパスライフに夢を抱き続けることが出来ず絶望した。隣に並びたくないどころか同じ空間にいるのさえ忍びなくなるレベルだった。
当の本人はーーー特になにも気にした様子はなく、淡々と自己紹介を終えていた。
「蕪木灯です。よろしくお願いします」
可もなければ不可もない簡潔な自己紹介で自分の番を終えた蕪木は、着席すると手元の資料に目を軽く落とした。長い睫毛が目元に微かに影を作り、繊細な陰影を作る。・・・・・・そんな細かいところまでよく見えるのは、自分が隣の席にいるからだった。
こんな次元の違う奴がいるなんて、予想もしてなかった。女子はみんな夢中だし、これは当分自分に春は来ないなあと思いながら嘆息し、掴みもなにもなく無難に自分も自己紹介を終えた。
数日後、早速だがオリエンテーションの準備があった。準備といってもただ前日に説明を聞くだけなのだが。
昼前にそれが終わり、なんとなく腹が減ったので学食でなにか食べてから帰ろうかとふらふら廊下を歩いているとーーーいた。同じく向かい側から歩いて来る男。蕪木灯。
ただ歩いているだけなのにその立ち振る舞いはとてもきれいに見えた。長い手脚は振り回されることなく自然と扱われ、その主人である恐ろしいほどに整った顔がふとこちらを見る。思わず「あ」と声が漏れた。・・・・・・お互い行き当たった瞬間。馬鹿か。
「あ、いや、悪い、えーと」
人形のようなすうっとした顔を前にあたふたとなにか言おうか言うまいか軽くパニックになりながら考えていると蕪木はゆっくりと、
「・・・・・・同じ学部だよな」
「え? ーーーあ。そう。俺、須藤」
「そっか」
うん、と納得したようにうなずき、それからこきりと首を傾げた。
「俺、蕪木」
知ってます。
「よろしく、蕪木。・・・・・・えーと」
沈黙。・・・・・・いやなにか喋れよ俺もこいつも。
「あー・・・・・・腹減ってない? 俺今から学食行こうかと思ってんだけど」
それから少しあわてて、
「別に学食じゃなくてもいいんだけどさ」
蕪木はこきりと首を微かに傾げた。ん、とうなずき、
「学食だったら行ける。俺も昼食べるところだったから」
・・・・・・あっさりと同意された。あまりの簡単さに逆にぽかんとする。
「え・・・・・・あ、ああ、じゃ、じゃあ行くか」
「ん」
並んで歩き出す。
隣にいるのは信じられないレベルの顔立ちの男。キャンパス中が注目する男。
あれ?
学食はまだそんなに混んでいなかった。食券を買う列に加わろうとすると蕪木は「俺弁当だから席取っとく」とさらりと言って先に学食の中に入って行った。どうやら蕪木初見らしい学生がぽかんとしてその横顔を見送る。・・・・・・モーセのようにひとがざっと道をあけたりしないだろうか。あり得るだろ。
なんとなくそわそわしながらメニューを選び(考えなしにボタンを押してたぬき蕎麦)、威勢のいい学食のおばちゃんがささっと茹でネギや安っぽいナルトやざくざくした揚げ玉をばら撒くのをどこか他人事のように受け取って、トレーを手にのろのろと視線を彷徨わせた。どこだろ・・・・・・いた! 多分あれだ! 人だかりになってて見えないけど絶対あそこだろ! うわあまじかよ!
頭を抱えたくなったが蕎麦を手にそれは出来なかった。世の中本当にままならない。ああ畜生。
きゃぴきゃぴと明るいーーーそしてきゃぴきゃぴし過ぎていて怖いーーーグループに近付くと、やはり渦中の人物は共にここまで来た蕪木だった。くそ。
「蕪木くんだよね? どこの高校から来たの?」
「サークル見学一緒に行かない?」
「一人暮らし?」
やんわりと、しかし物静かにあまり答えない蕪木は、どちらかというとひんやりとした無表情だった。・・・・・・さっき声をかけた時はまだ単なる無表情だったのに。
幸いなのかなんなのか蕪木は二人席に座っていた。これがグループ席だったらあっという間に女子で埋め尽くされていただろう。どこのキャバクラだよ。・・・・・・あーもう、これ俺もういいかな。適当にひとりで食べよう。のろのろと踵を返そうとした時、
「須藤」
抑揚のあまりない、その分まっすぐ聞こえる声が黄色い声の間を通った。
「須藤。こっち」
「え。・・・・・・あ」
いっせいにぐるりと五、六名の女子が振り返ったので悲鳴を上げて逃げたくなった。こええよ。なんでどいつもこいつも「誰だ邪魔する奴」みたいな顔で見るんだよ。
「蕪木くん、これからお昼?」
「一緒に食べない?」
一瞬で興味を失ったようにくるりと蕪木に向き直った女子たちは花のような肉食の笑顔でそう言った。こええよ本当こええよ女子。ここまであからさまとか本当うわあ。
「もう空いてる席ないし。須藤と食べるから」
淡々と蕪木が返し、「じゃあ」と話を切ってしまう。女子たちはそれでもまだ粘ろうとしたが徐々に埋まった学食にはもう席はなく、渋々あきらめたように「今度ね、絶対ね!」と言ってこの場を去った。去り際思い切り睨まれたが。いや俺が譲ったところで席ひとつじゃん・・・・・・椅子取りゲームでもするの?
「須藤」
「え?」
「・・・・・・座れば?」
「え。あ。うん」
うんって。
ひんやりとした冷たさをまだ少しだけ残す蕪木の前でぎこちない動作で席に着き、どこか放心したままで蕎麦を前に呆然とした。
「・・・・・・」
いや本当、なんて言ったらいいのかわからない。特別コミュ症なつもりではないのだが蕪木を前にすると圧倒されてなにも浮かばない。
学食中の視線に見つめられているような気がしてびくびくしながら、なんとか箸を取った。蕪木が鞄から弁当を取り出し包んでいた綺麗な青色のバンダナを解く。中から出て来たのはいくつかに別れた大きな弁当だった。それぞれが大きいので弁当とはいえ結構ボリュームがありそうだった。うらやましい。
蓋をぱかぱかと開けていき、なんとなく自分も視線を落として、
「わあ、豪勢だな!」
思わず声を上げた。
弁当の中身は色とりどりのおかずだった。濃い褐色に色付いた手羽先、プチトマト、ほうれん草のおひたし、茹でたたっぷりのキャベツとベーコンでアスパラを巻いたもの、そしてメインの茹で卵入りの分厚く切られたミートローフ。トマトソースがたっぷりとかけられ、それはどうやらケチャップではなくていろいろと刻まれた野菜が織り交ぜられたきちんとした『ソース』のようだった。
そして米は薄く黄色く染まりパプリカや玉ねぎや薄く切ったソーセージの入ったパエリアだった。小さなタンブラからはゆるく昇る湯気と共にコンソメの匂いがふんわりとした。
「すっげえ美味そうだな!」
「ありがとう。すっげえ美味よ」
しっかりと蕪木はうなずいた。その豪勢な弁当を前に軽く両手を合わせ「いただきます」と言うと綺麗な箸使いで食べはじめた。こんな弁当なかなか見ないぞと感心しながら自分も蕎麦に手を付けた。
「蕪木の親って料理上手なんだな」
この顔は父親似だろうか母親似だろうか、あるいはどちらも美男美女か。そんなとりとめのないことを考えながら言うと蕪木は首を横に振った。
「作ってくれたのは親じゃない」
「あ、そうなんだ。・・・・・・彼女?」
「違う」
「ふうん」
まあいいや。だって。
「そのひと、本当に蕪木のこと大事にしてるんだなあ」
何気なしにぽろりと言うと、蕪木が手を止めた。少し驚いたように眼を開き、どこかぽかんとしたようにこちらを見る。
「・・・・・・え? なに?」
「・・・・・・なんでそう思う?」
「え、だって。こんなに手の込んだ料理作ってくれてさ。・・・・・・見ればわかるよ。それに」
なあんだ、と思った。それは拍子抜けだった。
ふっと身体の力が抜けて、視界はクリアになる。
呼吸が深く自然に自分の中を巡ってゆく。
「蕪木、幸せそうだ」
短い返事は変わらない。ーーーけど。
それはわかった。それだけはわかった。
だって、今はもう人形に見えない。尋常じゃないレベルで顔立ちの整ったーーー幸せそうに薄っすら微笑む、自分と同い年の男にしか。
「・・・・・・一緒に住んでるひとが作ってくれたんだ」
そのままの表情で蕪木が言った。
「『初日だからお祝いだね』って言って昨日の夜から仕込んでくれたんだ」
「へえ。お姉さん?」
「ううん。俺の好きなひと」
「好きなひとと一緒に住んでるのか! 同棲?」
「そのひと曰く『同居』。俺からしたら『同棲』」
「やるなあ蕪木! というか蕪木の顔でも落とせないとかすごいひとだな!」
「あのひと俺の顔の造りなんてあんま見てないよ。顔色とか表情とか眼とか、そういう全体的な目ではすごくよく見てくれてるけど。俺の見かけで好きだって言ってくれた部分だって顔じゃなかったし」
「へえ。どこ?」
「秘密」
「えええ」
なんだ。ーーーなあんだ。
話せるじゃん。人形なんかじゃないじゃん。
なあんだ。
記念すべき最初の一日目で、ちょっと見ないレベルの顔立ちの奴と親交を深めた。
警戒心が強くて人見知りで女にはあんまり愛想がなくて、だけど律儀で丁寧で変なところで人懐っこい猫みたいな友人。
この友人が、その例の好きなひとーーー『みーさん』をそれこそ文字通り一心不乱に形振り構わず求めて行く様を、自分は四年間、それこそ文字通りすぐそばで見続けることになる。
「センスいいよな、御影さん。その腕時計すげえかっこいい」
「だろ。俺もすげえ好き」
焦げ茶色の革ベルトに大きな文字盤のアナログ時計。上品でシンプルだが十分存在感のある美しい文字盤の上で細い金色の針が時を刻み時刻を報せる。
「海外メーカーだし、値段結構するんだろうな」
「え」
腕時計から蕪木が顔を上げた。そうなの? という顔をするのでうなずき、
「いやまあ、腕時計はピンキリあるけどさ」
「・・・・・・将来五ヶ月分の給料のにする」
「なんの話だ」
それは誕生日プレゼントじゃない。
「・・・・・・あ。そろそろ時間だ」
「ああ、その腕時計が本当の意味で役に立ったな。・・・・・・御影さんとデート?」
「そう」
「買い物?」
「そう。今日キャベツ安いから」
そっちの買い物か。蕪木狙いの女子たちが聞いたらなんだかよくわからない顔で首を傾げそうだ。ーーー今の蕪木の表情と合わせて。
「幸せそうだなあ蕪木」
「幸せだよ。みーさんと買い物だ」
「スーパーにキャベツが?」
「どこであろうとなんであろうとみーさんと出かけるならデートだ」
「はいはい。じゃあなー」
「おう」
幸せそうな顔でいそいそと立ち去る長身痩躯。それを適当にはたはたと手を振って見送り、ふう、と息を吐いて空を仰ぐ。
恐らくまだまだ秘密があるであろう、大学に入ってから出来た風変わりな友人。
まあ、なんというか。
退屈はしてないよ。
〈 退屈のお味はいかが? 幸せはどんな形? 〉
活動報告を更新しました。
どうぞよろしくお願いします。




