ある日の午後に
〈 ある日の午後に 〉
ふと、気になったようにともりが自身の唇に軽く触れた。丁度気付いて声をかけようとしていた時だったので、改めて言葉を選ぶ。
「ともり、唇ちょっと荒れちゃったね」
「……少しひりひりする」
「リップクリームあるよ」
スティック状のはーーーまあ、相手がともりならばミユキは気にしないけれど世間一般的には問題かもしれないから。
シーンごとに分けて使っていた指に取って塗る方のリップクリームを取り出した。小瓶の蓋を捻って開けて、薄く指先に取る。
「ともり、ソファー座って?」
「うん」
大人しくソファーに腰かけたともりの前に膝立ちで立ち、「塗るねー」と声をかけて指先を唇に近付けた。ーーー瞬間、
「ん、」
ぱくん、と、指先が食べられた。……食べられた。
きょとんとしてともりと見つめ合ってーーー停止。
黒曜の眼と同時にゆっくりと瞬く。
……再起動が自動的にかかって、何か喉の奥から言おうとしてーーー咥えられたままの指先が少しだけざらついたあたたかいものに触れられた。
「んゃんっ」
変な声が漏れた。つぅ、と舌が指先をそのままなぞる。
「と、ともり、違うちがう。なんでなめるの……」
「……つい」
「ついじゃないついじゃ、は、早くはなしてというかよく指咥えたまま喋れるね!」
「ん……」
「んんっ……」
ぺろり、ぺろり。ーーー猫が甘えるように。
あの時ともりが舐めとったように、やさしく。
いつの間にかに腰に回されていた腕が軽く、けれど抵抗を許さない力でミユキを抱きしめていて、背筋にぞくっ……と何かが駆け抜けてゆき小さく震えると、それを宥めるようにやさしく撫でられた。
「ん……ふ、あ……っ」
ちゅ……と軽く指を吸われてからゆっくりと解放され、ともりの唇が今度は首筋に触れ、
「ぁ、」
身体が軽く反り抱きしめる腕がそれを支えてーーー声が漏れた、瞬間、
だんっと何かを強く叩く音がして心臓がびくうっと慄いた。いつもならばすぐ臨戦態勢に入るところが剥き出しにされていた心は取り繕うことも出来ず怯えてしまい、咄嗟にぎゅうっと眼の前のシャツを掴んでともりに縋った。受け入れられるように強く抱きしめ返され、耳元でともりが言う。
「大丈夫。うるさい奴が来ただけだから」
「ふ、ぁ、?」
安心させるように頭を撫でられまるで小さな子供を相手にするよう。けれどやさしくされて心がほろっと解ける。そろそろと後ろを振り返ってみると、庭の窓にへばり付く勢いで怒りの形相を浮かべる真野がいた。
「……『は、な、れ、ろ』?」
「いやあれは『つ、づ、け、ろ』でしょ」
「そ、そんな馬鹿な。と、ともり、ともり離して、」
「んー」
「ああもうほら真野さんが窓割りそう!」
ーーー果たしていつから見ていたのか。嫌だな、タイミングによってはものすごい誤解をされそう。嫌だな嫌だな、同意もないのに歳下の同居人を家主権力で迫ったりしません。
「俺は利用出来るもの全て使って迫るけどね」
「え?」
「何でもないよ。ーーーじゃあ、続けようか?」
「会話ぁ!」
ぎゅうっと抱きしめられ腕の中で叫ぶ。窓を叩く音が更に激しくなり、しまいには何かおいやめろふざけんなお前調子乗んなぶん殴るぞ等真野の叫ぶ声が遠くで、それよりもっと近い位置でともりが甘やかすようにやさしく紡ぐ声。ぐらぐらしてふわふわして、何がなんだかわからなくなってぎゅうっと眼を瞑って、
「はい貴様ら全員正座ぁ!」
「吉野大好きッ!」
「知ってる。当然」
やって来た笑顔の般若に強く強く抱き付きよろこんで正座した。
そんな、ある午後の日の話だ。
〈 ある日の午後に、たまには、なんでもない話を、 〉




