真夜中の隠し味
〈 真夜中の隠し味 〉
お皿を洗い終わり、夕飯を作る時に下準備しておいたおつまみを軽く作って、ソファーに座るともりの横に腰かけた。ともりは一瞬テレビ画面から眼を離しこちらを見たが、微笑って首を横に振るとはにかんでうなずき、また画面へと眼線を戻す。
映画専門チャンネルで放送されているのは八十年代の洋画。ともりは初見だがミユキは何度か観たことがある。アメリカの田舎町で繰り広げられる、ある少年と少女の物語。
丁寧に積み上げられる心の機微が美しくーーー繊細に紡がれる、物語。
「……」
全てがそうだとは決して言わないが、ミユキにとって心に響いた洋画はほとんどが最近のものではなかった。新しくても二千年までで、八十年代や九十年代がほとんど。これは本当に好みだが、やはり洋画の黄金期と聞くと八十年代という言葉が連想される。今観ているものは、まさにその八十年代のものだった。
どんどん映像は鮮明に綺麗になり、CG技術も含め十年前には考えられなかったくらい映像界は発展した。だがーーー画質の良さ、という意味では、映画はそこまで求めていない気がするのだ。微妙な差異ーーー手探り、追い求める。自分の望む『映画』を。
そういう意味では八十年代九十年代の映画の現場に参加してみたかったと思いながらーーーその世界の少年と少女は、距離を乗り越えついにプロム会場で再会する。
美しい色の眼と眼が微笑い合って、お互いの手を、握った。
ーーー……
「……おもしろかった」
ふぅ……と、深い息を吐きながら、余韻に微笑いかけるようにともりの表情がやわらいだ。心地よい満足感に満ちたその顔に、なんだかミユキまでうれしくなって微笑む。
「よかった。……はい、おつまみ」
「ありがと、みーさん」
うれしそうににこりと青年が微笑う。まだ空のままのグラスに少しだけとろりとした琥珀色の液体を入れて、炭酸で割ってくれる。
「はい、みーさん」
「ありがと、ともり」
受け取って、ともりが自分のグラスをちょいと掲げた。微笑って自分のグラスを軽く合わせる。ちん、という、軽い音。
「ーーーん。おいし……シンプルなのにすごくおいしいね。……見た目より味が多い気がする。なにかとっておきが隠されてるの?」
「隠し味が少しだけ」
内緒だよ、と微笑うとともりも微笑った。
「主人公がーーー誤解を知るまでの流れ。すごくはらはらした」
「あそこであの伏線が活きるとは思わなかったよね」
「ね。もう一回観たいな。またやるかな」
「今月またやるみたいだよ。録画しとく」
「ありがと。……ねえ、みーさん」
「なあに?」
「俺、ちょっと気付いたんだけど」
「うん」
心もちトーンが落ちて、すうっと真顔になって。
なにか引っかかることがあったかなとさわりと不安になって唇を結ぶと、ともりは真剣な表情で、
「俺、プロムに参加してない」
「たぶんこの国の大多数のひとがそうだよ……」
一般的な高校でプロムは開催されない。そういうイベントごとはない。基本的には。
何を言うかと軽く脱力しお酒を一口飲んでおつまみを摘む。チーズの生ハム巻きもおいしい。
「みーさん! 俺は真剣なんだ。ちゃんと聞いてよ」
「ええっ、そうなの? ごめん、頑張る……」
「うん、頑張って真剣に聞いて。……プロムってあれでしょ? いつもかわいいのに着飾ってさらにかわいく綺麗に魅力を増した大好きな女の子をエスコートして、大勢の前で誰にも譲らず独り占めして抱きしめて踊って、この子は俺だけのものだ絶対にやらねえって他の男に知らしめる会なんでしょ? 最高のイベントだよね、なんで日本じゃないのかな」
「映画ってやっぱすごいな、受け取り手によってこんなに世界が違うんだもん」
いやまあ、正しい……の、かな? ちょっと、いやだいぶ大げさに言っているだけで……やっぱり男女関係なわけだし、そういう意図も少なからず……あるだろうけれどね、そういうのはやんわりとさせてもっと素直に楽しもうよ。仮にプロムがあるとしたらね?
「いいなプロム。俺も参加したかった」
「日本じゃ開催難しいんじゃないのかな……」
「お国柄?」
「お国柄」
上流階級の学校ならばあるのかもしれないが、一般的な高校では流石に……それに準ずるのがキャンプファイヤーを囲んでのダンスかとも思ったが、あれだって映像で見たことはあっても実際やったことはない。
「……あ。ぼんおど、」
「盆踊りはまた違うでしょ」
「違いますか……」
「違います」
言い切る前に却下だった。駄目か。そうか。
「浴衣姿にはクるものがあるけど。みーさんの浴衣姿可愛かったなあ」
「あ、ありがとう……」
「落ち込んだ時にはあの時の画像見て元気出してる」
「そんなことしてるのっ?」
確かに写真撮ったけど! まさかそんな風に使われているとは!
「そっ、そんなことしないで、よ! というか落ち込んだなら直接私のとこ来てよ!」
「え、いいの? みーさんあっという間に喋れなくなるけど」
「何する気っ?」
「まず首筋なめ」「ごめんやっぱいい!」
まずってなんだまずってどこが終わりだ。
「みーさんが言ったのに……」
「ご、ごめんてば……」
「身体で慰めてくれるって言ってくれたのに……」
「それは言ってない」
言葉だよ。言葉で慰める気でいたよ。……というより。
「ね、ねえ、変な画像ないよね?」
「変なって?」
「気の抜けた感じのやつとか……」
「うーん、『みーさんフォルダ』確認する? 絶対消しちゃ駄目だけど」
「そんなフォルダがあるのっ?」
「あるに決まってるじゃん」
「く、曇のない眼だ」
……何の話をしてたんだっけ?
「……。……もう……。……ぼんおど……いや、プロム、か……父さんからちらっと話聞いたことあるかも」
「そっか、あっち育ちだもんね」
「うん。……このままだといずれトウマもプロムに行くことになるのか。……どんな女の子誘うのかなあ」
どんどん大きくなる弟を思いにっこり微笑う。今よりも背がのびて、大人っぽくなって……やわらかい性格をしているのできっと女の子にモテるだろう。
「あ、でも、『危険な感じの男子が好き!』勢にはモテない……のか、な? うーん、でもトウマの好きなタイプの女の子だと、そういうタイプの男子を好むとはあんまり思えないし……ひとによってだろうけど……」
「気になるよね。俺たちの将来の義妹になるかもしれないもんね」
「うん。……うん?」
「ねえみーさん」
「あ、あれ? ……う、うん。なあに?」
「プロムやってみたい。ねえ、俺と踊って?」
「え、え? 今ここで?」
「今ここで」
微笑ったともりが立ち上がり、ミユキに手を差し出した。頭は理解しないまま心が勝手にその手に手を置き、とてもうれしそうに無邪気に微笑ったともりのその笑顔に心が奪われる。ーーーこんな風に、微笑ってくれる。
「曲……ちょっと待ってね。……あの映画のさ、」
ミユキの手を引きコンポへ歩み寄ったともりがスマホで曲を検索し、画面をタップして接続した。スピーカーからゆるやかに流れ出すーーー洋楽のバラード。
向き合ったともりがーーー本当に幸せそうに、微笑った。
「……でも、ごめんね、俺踊れないから、こうする」
ゆるく抱きしめられて、ゆらゆらと身体を揺らす。曲に合わせて、ゆったりと。
小さく首を横に振った。
「……私も踊れない」
「じゃあこれがいいね」
「うん、これがいい」
これでいいではなくてこれがいい。……そう、これが、いい。
先ほど観ていた映画の曲ではない。あれは少年と少女が手を取り合うところで終わっていたからーーーだからこれは、違う映画の違う曲。
踊るといえばこの曲じゃないかと、とっさにミユキが思った曲だった。
「……私も、この曲かなあって思った」
「本当? うれしい」
「……いい曲だよね」
「ね」
ゆるやかに歌い上げられる、艶のある男性の歌声。
あなたがいい
あなたがいいんだ
いつまでも腕の中にあなたを抱いていたい
あなたの唯一でなくても構わないから
あなたの最後に、なりたいんだ
この曲のーーー歌詞をどれだけ、ヒアリングしているのだろうか。
知っているのかもしれない。
知らないのかもしれない。
それでもこの曲しかないと、同じ曲を想った。
「ーーー……」
黒曜の眼に、ミユキが映っている。幸せそうなその眼に、ミユキだけが。
ゆっくりと顔が近付き、頰と頰が触れてーーーそっと抱き込まれるようにされて、ゆっくりとターンする。
「……いいね、プロムって」
「……ともり、うれしい?」
腕の中でそう問うとーーーともりはゆっくりとミユキの髪を梳き、耳に髪をかけてーーーやさしく唄うように、ささやいた。
「泣きたくなるくらい、幸せ」
たまには、こんな夜がある。
二人でご飯を食べて、ゆっくり映画を観て。
嗜むようにお酒を飲んで、何気ない会話をして。
それからーーー少し。
『特別』を、少しだけ。
〈 真夜中の隠し味 『特別』の隠し味 〉




