君に触れる手
前回に引き続きR-15です。
〈 君に触れる手 〉
「ーーー」
ディスプレイを灯らせて。ーーー眼を、見開く。
送られて来た画像。
顔は写っていないーーー流れる髪。
見間違えるわけがない不思議な色。
覗く、白くなめらかな首筋に滲む、濡れた赤。
『止められなくて
ちょっと乱暴にした
ごちそうさま』
呼吸が、殺された。
「っぁ、」
がつんと、硬い音。手の中から滑り落ちたスマートフォンが地面にぶつかり転がった。
「っあああ、あああああ、あああああああ」
彼女が。彼女を。彼女に。
ーーーあいつが。
「ああああああああ」
どうしよう。どうしよう。ーーーどうすれば、いい。
早く。ーーー早く。
早く。
「みーさんッ!」
飛び込むと。彼女は惚けた顔でこちらを向いた。ーーーその、肌が。
なめらかな白い肌に形良く綺麗にふくらんだ胸。なだらかに続く腰はきゅっと締まっていて、胴回りは薄い。……自分にはない起伏と細さ、やわらかさを自然と形作るその身体は上半身に下着しか身に付けておらず、……服を着る途中のよう、で。
その深い深い眼が瞬き、しっかりと眼が合ってーーー肩と首筋に残された爪痕と肌の白さの対比に、ーーー目眩が、して、
「へ……、……っ……!」
我に返ったような彼女が声もなく悲鳴を上げて椅子にかけてあったパーカーを掴んだ。ほとんど纏えないままベッドの中に潜り込んだ彼女を逃さずに追いかける。
「っ、今の傷なに!」
「ちょっ、ごめん、本気で待ってこれは駄目これは無理これは本当本当駄目無理」
「いいから!」
「全然よくない!」
ーーー挿木はよくて、自分には許されない。
嫌だ。ーーーやめて。
押さえ付けて組み敷いた。それでも尚逃げようとする彼女に絶望する。なんで拒絶するのか。なんで逃げようとするのか。ーーーもう相手が、いるからか。
乱暴に。
愉しむように彼女の肌に血を滲ませ、それで満足するような男。
『ごちそうさま』
ーーーなんで。
なんでそんな奴を、選ぶのか。
「怪我してただろ! 挿木がやったんだろ!」
「っ、」
「―――あいつと、そういうこと、しないでくれよ!」
無理矢理布団を引き剥がすと転がるように彼女が出て来た。チャックも閉められずただ掻き合わせただけのパーカーを破るように引っ張ると本気でパニックになったような悲鳴を上げられる。ーーー挿木には全部見せたはずなのに。
挿木は選ばれて、
選ばれなかった、のは、
「―――かり、に! みーさんがあいつを選んだと、して! こんな……こんな風に扱われるなんて、俺は絶対に嫌だ!」
溢れた感情がそのままこぼれた。ぼたぼたとパーカーから覗く彼女の白い肌にそれが落ち、我慢出来ずに声がぶるぶる震える。
「挿木と寝た、の? 何で、なんで……俺なら、こんなことしない、のに。……なのになんで、こんなことするさしき、えらぶの……」
……がちり、と、彼女の身体が震えた。
「……さ……」
声も。……何かを堪えて、堪え損ねた、ように。
「……挿木とか、しる、か」
「……は……」
「あんなひ、と。しらな、い。……言ってること、ぜんぶ、ただしくても。でもそれ以外のところで、あんなやつ、嫌い。……嫌い」
絞り出すように。……自分でも気持ちが纏まらないまま、それでも必死に隠すところを選ぶように。
「に、にどと、あいつのはなし、しないで。……私があいつのこと好きとか、選ぶとか、そんなことぜったい、にどと、言わないで。……ともりが、言わないで、よ、」
むずかるように。……駄々を捏ねるように。
「……みーさん?」
「どうせ、さしきから変な連絡、来たんでしょ」
「……」
あの画像。
肌と髪しか写っていない、『なにをしたのか』というのをそれだけで伝えて来るそれ。
なめらかな首筋。シミもほくろもない、筋の浮き出たぞっとするほど細く白い彼女の身体。
流れるようにその首筋に沿う髪。
見間違えるわけがない不思議な色。
滲む赤と、残された爪痕。
止められなくて
ちょっと乱暴にした
ごちそうさま
「ーーー……」
唇をーーー噛んだ。
「全部嘘。全部でたらめ。……きらい。本当、嫌い」
「……喧嘩でも、したの? 挿木と……」
恐る恐るのびた手で、隙間から覗く傷の近くをそっと撫でた。あたたかい肌。先ほどと違い拒否も拒絶もなくーーー肌を、というよりも胸部を見られることを嫌がっていたようだがーーー
「これ、爪痕だよ。……したわけじゃないなら、喧嘩でしかありえないんだけど……」
我慢出来ないように彼女の小さな身体が跳ねた。逃げられるかと思いあわてて抱きしめようとしたが力を込めた身体は自分から離れることなく、ただ堪え切れないように声を大きくする。
「っ―――挿木とか、しる、か! ともりの話を、するの!」
「え、え?」
「ともりが、悪い!」
「何で!」
「ともりが節穴だから! 気付かないから!」
「何をっ?」
「挿木とどうにかなるとか、そんな風にしか考えないから見落とすんだよ! わ、私悪く、……悪いけど! 私が、悪いけど! でも違うし、全然、だってともり、ともり、が……」
俺、が?
「……っ……!」
「みーさん!」
ぐっと唇を噛んだ彼女の華奢な手が拳を握り振り上げたので押し留めて抱きしめた。うーうー小さくうなる身体に力を込めたままの彼女の頭を胸に押し付け、ゆっくりゆっくり背中を叩く。ーーー心を持て余した子供にするように。
「だって、だって、う、ぅ、ぅぁ、」
「うん、うん。ゆっくり話して?」
「は、はなせる、か」
「えええ、何で……」
「は、話せないのは、私が悪いんだ、けど、……だって、」
泣かない彼女。いっぱいいっぱいなのに、これ以上なく、あの事件で自分の身が襲われた時はちっとも動じなかった癖に、ひとの心配しかしていなかった癖に、……どうしてだか今、何かを喚きたくて堪らないかのように……彼女の中の何かに彼女自身が気付いたように。
「あげない。私のじゃ、ないけど……少なくてもあんなのになんか、あげたく、ない」
小さな女の子。今にも泣き出しそうな顔で、悲鳴も涙も押し殺し、全てすべてその心に押し込めようとする、彼女。
「……何の話?」
「ともりの、話。……最初からその話しかしてないの」
「そ、そうなんだ。……ありがと」
恐る恐る指先をのばすと、彼女はその指を見て静かに眼を閉じた。拒否も拒絶もなく、そのままそっとその頰に触れてーーーあたたかさに、吐息する。
怯えられないか、怖がられないかーーーその頰を包んで撫でても、なにも言われない。
ただ、その力のこもった身体からくて、と力が抜け、……小さく、唇から吐息が漏れる。
落ち着いた呼吸に安堵して、掻き抱くようにして彼女を抱きしめ息を吐いた。
お互いの呼吸が重なって、落ち着いて。……もうどこも乱れていないその呼吸に安堵し自分の呼吸も深く深く沈んで静かになる。
乱れたパーカーの隙間から見える白い肌。眼を閉じ、ゆるやかに呼吸する彼女。……僅かに身を離しするりとその首筋を撫でると、ぴくんと細い身体が震えた。
「みーさん」
「……ん……」
スイッチが切れて眠たくなったのかもしれない。あの事件のあとの慰謝料をもらったあとともそんな風だったなと思い出し、感情が高まり迷子になったあとはもう何も考えられず眠くなってしまうのだなと今さらのように理解した。普段ひと以上、恐ろしいほどに人並み外れた思考回路を跳躍させ動かし続ける彼女だからーーーその落差は強大で、そして無防備だった。弛緩した思考に小さな身体。自分の身すら守れず戦えない彼女。……指先でその綺麗な鎖骨をなぞり彼女の身体を小さく震わせながら、ささやいた。
「みーさん、全部脱いで」
「ん。……ん……?」
ゆっくりと開く、深い深い大きな眼。
承諾は得たと、掻き合わせただけのパーカーに手をかけた。
「へ……は……え、……え、え! な、なんで脱がそうとするの!」
「他になにもされてないか調べる。してたらわかるから」
「さ、さしきとか知るかって言ってるのに! あいつの話しないで!」
「じゃあしないから全部脱いで。全部見て触って調べるから」
「ハードルが上がってる!」
無防備から覚醒した彼女の身体が跳ねた。掻き合われたままの胸元をさらに隠すように細い腕で覆って上半身の防備は整えられた。いつでも破れる程度の防備だったがじゃあとりあえずそっちは後回しでいいとベルトに手をかけた。ファッションでもなんでもなく体格的に必要なベルトの金具を弄り弛めると彼女が悲鳴を上げた。
「どっちがいい? 自分で脱ぐのと俺に脱がされるのと」
「どっ、どっちも問題大有りでしょ! ともり落ち着いて! なんにもされてないから!」
「身体に訊く。腰浮かせて」
「だめだめだめだめ!」
両手がのびて阻止しようとしたので薄い腹部をするりと撫でると擽ったそうな小さな声が上がる。ぐらりとしたが今回はまずそっちは後回しにしなければならないので死ぬ気で堪えて手を進めた。
「ともり、本当、ほんと、だめ……だめだから、飛び越えてるから……」
「ーーーみーさんさ、」
「ふ……」
「駄目って言うけど嫌とは言わないよね」
「……!」
か! と顔が赤くなる彼女を見下ろし微笑った。頰を撫で、その熱さと赤さを至近距離で味わい、……パーカーを開いた。
「……っ……!」
「……ん、綺麗」
ちゅ、と、下着に覆われていない部分のふくらみに唇を落とし顔を埋めた。やわらかくてあたたかくて気持ちいい。ふくらみとふくらみの合間に舌を差し入れるとぴくんと身体が跳ねた。
「ほ……んとに、なにも、な……」
「挿木と?」
「っ、あいつのはなし、やだ、」
「挿木は『嫌』なんだね」
「さっきから言ってる!」
「うん。……ごめん、何回聞いてもいい響きで」
「ん……?」
「みーさんすごいどきどきしてるね。心音すごい」
「……!」
「大丈夫。なにもしないから。……したいけど」
「っ……」
「いやまあ、うん。しないから。……結構、足りてないけどでも満足です」
「……?」
駄目とは言われるけど嫌がられなくて、名前を出すと警戒心剥き出しの猫のように反発されて。
鼓動は早く、頰は上気し赤らんでいる。ーーーなんだ。
ちゃんとどきどき、してもらえてる。
よかった。ーーー男として微塵も見られていないなんてことはなくて。ただ、ただ本当にお互いの今の関係と、彼女自身の心の問題で。
ーーーならいいんだ。それなら、いくらでも待てるから。
「みーさん」
「ふ、ぁ、」
「本当になにもされてないね?」
「ん、ん」
「そう。ならこれ以上はしないから平気。よく頑張りました」
「ふぁ……」
顔を上げてパーカーを掻き合わせるとほっとしたように脱力する。とろとろと眼を閉じ、少しの間、そうやって呼吸を落ち着かせ、
「……ともり」
「なあに? みーさん」
「……仲直り、したい」
ゆっくりと、眼を開いて。
微笑みもせず、悲しみもせず、静かに凪いだ表情で、彼女は言った。
ーーー呼吸を忘れて。
ゆっくりと、瞬きした。
「……え……?」
「喧嘩、したんだか……ら。……ちゃんと、仲直り、したい」
たどたどしく。自分の中にある言葉を、探すまでもなく不器用に繋げて伝えるように。
全てを呑み込みそのまま映す、海の底の光のような深い深い眼が自分を見つめ、言葉を紡ぐ。
「……喧嘩……」
喧嘩ーーーに、なるの、か。……そうかもしれない。
「わたしが、悪い、から……ごめんなさい。喧嘩慣れしてないとか、そういうの言いわけにするのはずるいし、例えしたとしても限度を超えてると、思う。……ごめんなさい。最近、わたしこんなのばっかりで……ともりのこと、傷付けてばっかで」
小さな彼女が、いつもよりさらに小さく、……頼りなく、儚く。
呼吸を思い出してーーー心が、疼いて。
……微笑んだ。
「みーさん」
「はい」
ーーーどこか不安げな、心細そうな彼女の頰をやさしく撫でた。
「……みーさんと喧嘩するようになるのに、三年かかった」
「……」
「……俺もごめんね。酷いことして……ごめんなさい」
じっと自分を見下ろす彼女がーーーその深い眼で自分を見つめていた、彼女が。
ふわりと眼を閉じて、ほんの僅か、すり、と頰を寄せた。
「……ともり、もう怒ってない?」
「怒ってない。みーさんは?」
「怒ってない」
「そっか」
「でももうあいつの話しないでね」
「了解」
眼を開いた彼女と視線を合わしーーーふは、と微笑い合った。
「ともり」
「なあに? みーさん」
「この場合の慰謝料ってどうなるの? どっちも?」
「ん? んー」
至極真面目にそう問われて少しだけ微笑う。喧嘩慣れしていない彼女は、少なくても自分との間だと慰謝料を払うまでが仲直りだと思っているらしい。まあ過去を振り返っても毎回自分は慰謝料をもらっていたわけでーーー今回は、お互いに慰謝料が必要なわけで。
「……どうしようか?」
「ともりの慰謝料って毎回その、さっきみたいな、まあ、うん。……だけど、今回からほら、掃除当番とか、ご飯のリクエストとか……」
「だーめ」
すり、と頰を首筋に寄せて微笑むと、彼女の身体がぴくんとした。
「みーさん、好き」
「……うん」
「みーさんに触りたい」
「……どの、……くらい?」
「一線を踵で踏むくらい」
「……つまさき」
「譲歩するの?」
「……譲歩してもらうのが私への慰謝料……」
「なるほどね」
さらさらと髪を梳き、現われる首筋に唇を落とす。
つぅ、とそのまま唇で耳元までなぞり上げ、ふるっと震えた彼女の身体をやんわりと抱きしめゆったり微笑って耳元でささやいた。
「……頑張って爪先に留めるから、煽んないでね」
くたりと力を抜き眼を閉じる彼女の乱れた服を整えた。規則正しい呼吸音。一足先に眠りについた彼女を見下ろし、微笑む。
ベッドに横たわり、自分の下で、無防備にーーー頰をゆっくりと撫で、その薄い唇に指先で触れる。やわらかくて甘そうな、かつて一度だけ無理矢理触れたことのある唇。
「……」
顔を、寄せて。
吐息が混じり合うまで近付いてーーーその距離で、ささやく。
「……みーさん。好きだよ」
そわそわして、落ち着かなくて、苦しくて……けれど今はもう、焦燥感にも似た熱くもどかしい何かは溶け合うように消えて。
残ったのはーーー甘く苦く疼く心と、焦がすような熱さだけ。
ぎこちなく歩み寄って。
触れ合って。何度でも、手を繋ぐ。
とろとろとやって来た睡魔に微笑み、眠る彼女を抱きしめてその額に口付け、あたたかい体温を胸いっぱいに感じながら眼を閉じて、白い眠りに身を浸した。
〈 君に触れる手 君が触れる手 〉




