君の嘘と嘘と嘘と嘘と 10
何も解決はしていない。
ともりは話しかけてくれなくなった。……ミユキのせいなので、何も言えない。
世界には出来なくてもしなくてはならないことがあって、何故ならそれは大切なことで―――だから絶対に、自分の手でしなくては、ならない。
我儘ではじまり我儘で終わる。
ミユキに権限なんてない癖に、誰かにそれを押し付ける。―――単なるミユキの、我儘で。
感情ひとつで。
ばちん、と、頬を叩いた。じんとした痛み―――向き合って、やらなければ。
スマホのホームボタンを押す。須藤の名前を、呼び出した。
「こんにちは。御影さん。具合どう?」
軽薄な口調に薄い笑み。須藤に頼んだ通り、時間通りに家にやって来た挿木はそう言って、リビングに上がった。
「おかげさまで」
短く答え、一応礼儀なのでお茶を出す。冷たい麦茶。グラスをソファーの前のテーブルに置くと、ぐ、とその手が掴まれる。
「ねえ御影。蕪木に襲われたの?」
「……」
「あいつ、酷いことするね。一途なふりして無理矢理とか。御影、細いもんね。でもほんとは脱いだら結構あるの?」
「……」
「見たいなあ。ね、一回だけでも俺としない? 蕪木には黙っとくから。俺のこと気に入るかもよ。そうしたら俺と付き合えばいいじゃん。蕪木の反応が怖いなら全部俺が引き受けるから。俺にしなよ。俺だって同い年のガキみたいな女より歳上でしっかりした甘えられる女がいい。―――御影はうってつけ。この髪も、この眼も、本当に不思議で欲しい。―――俺にしてよ」
「……」
「蕪木と御影。どうせはじまりは一方的なんでしょ? 蕪木が一方的に御影のことが好きで。御影は蕪木をほとんど拾ったみたいな状況で、もう拒絶するにも出来なくて。……そういうのもおもしろいけど、でも別に、蕪木じゃなくったっていいでしょ? 新しいの拾って、心機一転新しくしてみない?」
至近距離で笑った挿木が―――首筋に唇をやり、そっと、撫でる。
「ねえ、御影サン。俺のことも拾ってくれる?」
耳元で、ささやかれて。
―――ぐい、と、身を引いた。
「そんなことするわけないでしょ、馬鹿が」
色素の薄い眼を睨み上げて―――臨戦、する。
「挿木くん、あなた。私じゃなくてともりのことが好きな癖に」
ともりは節穴だ。ともりは鈍感だ。
この男がミユキを襲うわけがない―――だって。
心の行き先は、ミユキじゃ、ない。
挿木はともりからミユキを奪おうとしているのではなくて、
挿木はミユキからともりを奪おうとしているのだから。
「恋愛なのか、人間としてなのかどうかはわからないし、知らないけど。……でもあなたはともりのことが好きだ。執着心が強くて、いっつもともりと一緒にいようとして―――好きな子にちょっかい出して嫌われる男の子みたいにともりの気に食わない話題を振って、ムキにさせて自分と関わらせようとして。ともりのことが大好きなんじゃん。須藤くんのこともどうせ大嫌いなんでしょ」
「―――すげ。思ってたよりあんた、すごいね」
眼を見開いてから―――くつくつと、挿木が笑う。
「いつから気付いた?」
「ともりに話を聞いた時から。おかしいなって思ってた」
「俺と会う前から? すげ。その思考の跳躍力ってどうやったら身に付くものなの? しいたけ食べなければそうなるの?」
「あなた、私と会ってもともりの話ばかり。私の出来ないことを嗤って、褒めるようにして貶して。……あなた私のこと大嫌いじゃない」
「嫌いだよ」
きっぱりと挿木は言った。
「嫌いだよ。蕪木を拾って、付き合うわけでもないのに独占して心まで奪って。でもあんたは何もしないし何もさせない。他に好きな男がいるのかもしれないし忘れられない男がいるのかもしれない。でもそんなの俺にとってどうでもいい。あんたにとって蕪木は一番じゃないのに、蕪木にとってあんたは一番だ。……それが気に食わない」
「……」
「そう思う人間、これからだって出て来るよ。その時あんたはどうすんの? 蕪木に甘え続けるの? 蕪木になんて言うの? 『ごめん、まだ私にとって一番じゃないから待ってて』とでも言うわけ?」
「……」
「すっげえ卑怯。最低の人間。確約も何もあげない、安心もさせてやらない。嘘でも蕪木に自分は蕪木のものだって言ってやれば、行動で示してやれば蕪木はほんの少しでも安心出来るのにそれをわかった上でしない。ずうっと蕪木に甘え続けて、それでずっと、そのまま」
「……」
「―――ねえ」
くすりと、嗤う。
「いつまで蕪木は待ってくれていると思う?」
―――ゆっくりと抱きしめられ、ぎり、と、首筋に痛みが走った。
「―――まあ、俺は最高に嫌われてるし。あんたのポジションも須藤のポジションも奪えないようだから。―――頑張って、苦しんで、もがいて、あきらめるよ」
するりと解放され―――覗き込まれ、にこりと微笑まれる。
「地獄よりも苦しくて辛いんだろうな。あんたもいつか、蕪木にそうやって味合わせるんだろうな」
「……」
「じゃあね、最低な女。あんたなんか、不幸になっちまえ」
そう言って。
挿木は、最後、ぎり、と肩に爪を立て皮膚を抉って、……微笑んで、出て行った。
二度と来るな。―――そんな言葉は、ミユキには、言えない。
爪の痕はばっちり残っていた。滲んだ血をティッシュで拭い、自分で傷付けてもひとが傷付けても大して変わらないんだな、などとぼんやり考える。―――いつもより早くともりが帰宅したのは想定外だった。
「みーさんッ!」
ばんっと激しくドアが開いてミユキの部屋に飛び込んで来る―――肩で息をするともり。
「へ……、……っ……!」
思わず呆然として、それからあわてて椅子にかけてあったパーカーで身を包んだ。首筋と肩。滲む血の痕をどうにかしようと思いシャツもキャミも脱いで上半身下着姿。流石にここまで肌を晒すのはありえないほど恥ずかしくて逃げるようにしてベッドの布団に潜る。
「っ、今の傷なに!」
「ちょっ、ごめん、本気で待ってこれは駄目これは無理これは本当本当駄目無理」
「いいから!」
「全然よくない!」
今までだっていろいろアウトがあったが流石に上半身だけとはいえ下着姿を晒したことはなかった!
「怪我してただろ! 挿木がやったんだろ!」
「っ、」
「―――あいつと、そういうこと、しないでくれよ!」
ぼふっとベッドを叩かれて布団を引っぺがされた。パーカーを引っ張られ悲鳴を上げる。
「―――かり、に! みーさんがあいつを選んだと、して! こんな……こんな風に扱われるなんて、俺は絶対に嫌だ!」
ぽた、と、……ミユキの肌に、あたたかいものが落ちた。
「あいつと寝た、の? 何で、なんで……俺なら、こんなことしない、のに。……なのになんで、こんなことするさしき、えらぶの……」
ぽたぽた、ぽたぽた。……やさしいあたたかさが、ミユキの肌を撫でるようにあたためる。
「……さ……」
声が、……震えた。
「……挿木とか、しる、か」
「……は……」
「あんなひ、と。しらな、い。……言ってること、ぜんぶ、ただしくても。でもそれ以外のところで、あんなやつ、嫌い。……嫌い」
喧嘩なんてほとんどしたことがない。揉め方もわからない。
ひとを好きになったことがあるし、愛するひとがいるし愛されている。―――けれど、嫉妬したことは、ほとんどない。
やり方がわからない。―――どうしたら相手に勝てるのか、どうしたら自分を見てもらえるのか、気にしてもらえるのか―――やり方が本当に、わからない。知らない。
「に、にどと、あいつのはなし、しないで。……私があいつのこと好きとか、選ぶとか、そんなことぜったい、にどと、言わないで。……ともりが、言わないで、よ、」
正しいことを言っていた。本当のことを言っていた。わかる。わかっている。ミユキが、悪い。
―――けど、嫉妬してはいけないことなんか、ない。
その自分の気持ちすら、自分で受け入れられなくても。
心に追い付けなくなってパニックになって、嘔吐を繰り返しても。
―――誰かを愛したまま、誰かを愛しているかもしれない自分を認められなくても。
それでもこれは、どうにもならない状態のまま表に出てしまった嫉妬で―――ミユキがどうにか、しなければならないことだ。
「……みーさん?」
「どうせ、さしきから変な連絡、来たんでしょ」
「……」
不愉快そうに。ともりは顔を歪め、小さくうなずいた。
「全部嘘。全部でたらめ。……きらい。本当、嫌い」
「……喧嘩でも、したの? 挿木と……」
恐る恐るのびた手が、パーカーの隙間から傷の近くをそっと撫でた。
「これ、爪痕だよ。……したわけじゃないなら、喧嘩でしかありえないんだけど……」
「っ―――挿木とか、しる、か! ともりの話を、するの!」
「え、え?」
「ともりが、悪い!」
「何で!」
「ともりが節穴だから! 気付かないから!」
「何をっ?」
「挿木とどうにかなるとか、そんな風にしか考えないから見落とすんだよ! わ、私悪く、……悪いけど! 私が、悪いけど! でも違うし、全然、だってともり、ともり、が……」
ともりが取られるかと、思った、
「……っ……!」
「みーさん!」
じわりと視界が滲みかけた気がし、それを掻き消すため頭を殴ろうと拳を振り上げたのにともりがそれを押し留めた。そのままぎゅうと抱きしめられ、うーうーうなりながらともりの胸に頭を押し付ける。
「だって、だって、う、ぅ、ぅぁ、」
「うん、うん。ゆっくり話して?」
「は、はなせる、か」
「えええ、何で……」
「は、話せないのは、私が悪いんだ、けど、……だって、」
私なら。ミユキなら。
気に障るような言葉を吐いて不機嫌にして気を引くなんてことはしない。無理矢理不安を創り上げてそれで揺さぶって自分の方を見てもらうようなことはしない。そんなひとに、そんな人間にともりが好きだなんて言って欲しくない。
ミユキの方が、そんな人間より、ともりのことを大事にする。
「あげない。私のじゃ、ないけど……少なくてもあんなのになんか、あげたく、ない」
「……何の話?」
「ともりの、話。……最初からその話しかしてないの」
「そ、そうなんだ。……ありがと」
遠慮がちに触れる手があたたかくてやさしい。
ミユキが怯えないか、怖がらないか確かめるようにそっと、そっと撫でる手に安心する。
すり、とその手に頬を寄せ、くたりと身体の力を抜くと、ほっとしたようにともりが息を吐いた。
「で?」
「……心から反省して、おります」
「原因は?」
「……歳下扱い、してるから」
「だから言ったよねー? 私。まあ、言ったところでどうにかなる問題でもないんだけどさ」
ミユキはリビングで正座。吉野はソファーで溜め息を吐いて、お茶を一口。ともりは大学。今いられたら困る。
「ユキ、一歳でも歳が下だと歳下扱いするから。対象外にするから。弟感覚で接するから。……それが駄目。本当。ユキ、自分で思ってるより目立つし結構洒落になんないレベルでひとを焦がせることがあるんだから。それは流石に、自覚なさい」
「……はい」
「それに。……今回は恋愛なのか友愛なのかわからなかったけど、本当に、恋愛の意味で、ともりくんを求める子だって、出て来るよ。きっと。ユキのことを責める子が、きっと出て来る」
「……」
「その時また、ユキはともりくんを不安にさせるよ。……今回はとりあえず、何となく、収まったかもしれないけど。……次また曖昧な態度を取ったら、ともりくんはもう、身動きが取れなくなる。……わかってるよね?」
「……うん」
「……次こういうことがあったら、ユキがどういう対処をしようが要くんを召喚するから」
「……勘弁して……」
そしてそれは、本当に、本当のことになった。
それから一ヵ月後。
繰り返しともりに告白し続けた女の子が、それとなり―――追い詰められて、もう本当に、ぎりぎりのところまで追い遣られて、―――そうして、ともりを失いかけて。
―――彼を失いたくなかった。
だから、ずるくて酷くて、身勝手で我儘な―――御影幸の抱える、蕪木灯への執着心を、……ずっとずっと、見ないふり、気付かないふり、意識を逸らして、考えないようにして、予防線を張って、誤魔化して流し続けていた醜い本音を―――漸く、告げた。
―――それが、二人で最後に過ごした夏だった。
〈 君の嘘と嘘と嘘と嘘と、君がいなくなる、その前に 〉




