君の嘘と嘘と嘘と嘘と 8
大学から帰って来たともりが絶句した。キッチンに並ぶミユキと挿木を見て眼を見開いて言葉を失い、それから叫んだ。
「っ……何でお前がいるんだよ!」
大股で近付いて来たともりがミユキの腕を掴んで引き離した。ぐ、と腕に痛みが走る。
「夕飯にお呼ばれしたから。ね?」
「呼んでない。勝手に来たんでしょ……」
「だってほら、御影がきちんとしいたけ食べるところ確認しなきゃ」
「あなた、ひとの食生活気にする前に自分の気にした方がいいと思う。健康的に見えない。体温だって低いし目だって疲れてる」
「じゃあ今日おいしいものたくさん食べさせて?」
「あのねえ、あなた、」
「っ、みーさん。来て」
ぐいと腕を引かれリビングを抜け階段を上り二階へと連れて行かれる。強引に引っ張られ一度階段を踏み外しかけて小さく悲鳴を上げるとともりが少し我に返ったようにミユキを支えて待った。上りきったところでまたぐいと引かれともりの部屋に引き込まれる。ばたんっと勢いよくドアが閉まり、そのドアに背中を押し付けられた。両サイドに手をつかれて身動きを封じられる。
「俺が言ったこと覚えてるよね?」
苛立ちに低くなった声。喉元でごろつき、黒曜の眼が眇められ、ミユキを見下ろす。
「覚えてる」
「じゃあ何であいつがここにいるの」
「何でって……」
何でって……問われて、はじめて気付く。
何で? 何でって―――それは。
それ、は。
「―――っ……」
視界が熱で歪んだ気がした。眼の前のともりがぐにゃりと歪み、歯を食い縛ってがっと強く自分を殴る。稼動範囲が限られていたせいでそれは大したダメージにはならなかったが、ともりがぎょっとしたようにミユキを抱きかかえた。
「ちょっ、何してるのみーさん!」
「なんでもない。ごめん。軽率だった」
「そうじゃ、なくて。……どうして挿木を拾ったの?」
「拾った? 拾ってない!」
「な、何で怒ってるの?」
「怒ってなんか―――!」
「―――じゃあなに。照れてるの?」
動揺からまた低くなったともりが問う。ぎり、と、ミユキを抱きしめる腕に力が篭った。
「んんっ」
「言ったよね? みーさん。俺が何を怖がってるか。何が嫌なのか。どうして嫌なのか。……なのにどうして、こんなことするの」
いつもはあたたかい手が冷たい。ぐい、と顔を強引に上げられる。
冷たいけれど熱い、黒い黒い眼。
「挿木にやるくらいなら、無理矢理でも俺のにする」
「……」
言葉に詰まって。―――ぎり、と唇を噛んだ。
「だっ……て、」
「だっても何もない。―――腹空かせて、幸薄そうな奴がいたら全員拾うの? あいつは俺からみーさんを奪う気満々なのに。そう説明したのに。みーさんみたいに小さくてやわらかくて細いのなんか俺たちは簡単にどうでも出来るんだよ! どうして危機感が薄いんだ! 前みたくなったらどうすんだよ!」
「なるわけ、ないでしょ! ともりの節穴、なんでそんな風にしか物事が見れないの!」
「なっ……」
「ともりが悪い! 私悪くないもん!」
「何でだよ! わかってるのに家に上げたみーさんが悪いだろ! 食う気満々の奴招き入れて無防備にもほどがある!」
「だから違う!」
「違わない!」
「ちがっ……ちがう、もん! 挿木くんはそんなんじゃない、もん!」
「―――何であいつの味方するんだよ!」
至近距離で叫ばれ、ともりが大きく舌打ちしてミユキを抱え上げた。そのままベッドに乱暴に落とす。両手を片手で束ねて押さえ馬乗りになって見下ろした。
「ほら。こんなに簡単だ。みーさんは抵抗出来ない。このまま食われる」
「ともりがこんな体勢にするからでしょ!」
「だからなんだよ。俺が出来るってことは世の中の大抵の男が出来るってことだよ。挿木だってもちろん出来る」
冷たく言われて頭の中が怒りで染まる。そんなことはわかっている。男女の力の差なんて説明されるまでもない。そんな話はしていない。
ともりの手がのびた。ぷつぷつとブラウスのボタンを外す。
「ね? みーさんは何にも出来ない。出来るものならやってみなよ。抵抗。ほら」
「っ……」
「ほら。何にもでき―――わ、」
馬乗りになったともりを片脚で蹴り上げるようにして抵抗しようと、した。寸前でともりが気付きあっさりと脚を抱え込む。するりとその手がのびてベルトに触れた。
「みーさんまた痩せた? ベルトなきゃ全然駄目じゃんこのジーンズ」
「そんなことない!」
「そんなことあるアンダー六十五未満」
「っ、言わないって言ったのに!」
「利用しないとは言ってない」
かちゃかちゃとベルトを外されウェストが一気にゆるくなった。ボタンもファスナーも下ろさなくたってもうジーンズは余裕で脱げるのを知っているのかともりはまたぷつぷつとブラウスのボタンを外しはじめる。平然と、何でもないことのように冷たく見下ろされてそうされて。それが本当に嫌で全力で暴れる。
「離して! これは私の……わたしの問題なの!」
「俺の問題だ。みーさんが俺より挿木を選ぶなら許せない」
「そういう問題じゃない!」
「そういう問題だよ。挿木に食われるか俺に食われるか。―――ねえ、挿木のどこがいいの? 俺に似てるけど俺は挿木じゃない。でもみーさんが挿木がいいって言うなら俺は挿木みたいになる。だからやめて。言って? 俺にどうなって欲しい?」
覗き込まれる―――怒りと熱と冷たさの向こうにある核の部分。―――怖がりで臆病で、それでもミユキに微笑いかける、かつての少年。
「……っ……」
いつからこんなに大きくなっていたんだろうと、心が滲んだ。
見ないふり。気付かないふり。意識を逸らすこと。考えないようにすること。予防線を張ること。誤魔化して流すこと。―――全部ぜんぶが得意だ。詐欺師? ミユキのことだ。
嘘は得意だ。自分に吐くことも、誰かに吐くことも。
大切なひとに嘘を吐くことも―――
「―――ぁ、」
頭の中が真っ白になって、
「―――ぅ、」
心も身体も、自分に付いていけなく、なった。
ともりの身体の下で勝手に身体が丸まる。心臓を守るようにそうなって、横になっているはずなのにぐらりと眩暈がする。
「―――みーさん?」
異変に気付いたのかともりの手がゆるんだ。身体は完全に丸まり、込み上げる吐き気に口元を押さえる。
―――は、く。
「ぅくっ……ぅ、ぁあっ……」
ベッドの上で嘔吐しそうになりそれだけは避けたくて転がって床にびだんっと落ちた。そのままゴミ箱まで這いずり寄る。
「みーさん!」
ともりの声。返す間もなく、ゴミ箱の中に嘔吐した。昨日から考えっぱなしで胃の中は空っぽだった。喉を焼く胃液を戻し、その感覚にえずく。
「みーさん、みーさん!」
ともりが背中をさする。あわてた声。悲痛な声。今はあたたかい手。―――心配をさせたいわけでも、あんなことを言わせたいわけでも、ないのに。
―――俺にどうなって欲しい?
そんなことを言って欲しく、ない。
無意識の内に動いた右手がボタンが全て外されたブラウスの下、キャミソールの裾に入り込んで横腹を爪で抉った。
「っ、駄目だみーさん! それはやっちゃ駄目! ごめん、ごめん落ち着いて! もうしないから! ごめん、ごめんなさい!」
右手を掴まれて拘束される。何とか振りほどこうとしてもともりは譲らず、自分の腕にミユキの右手を押し付けた。
「抉るならこっち。駄目、みーさんはこれ以上自分を傷付けちゃ駄目だ。……ごめん、追い込んでごめん、ごめんなさい……」
違う。違う。こんなことがしたいわけでもこんな顔をさせたいわけでもなくて―――右手がびしりと固まる。力を全部その手の中に押し込めて、だからもう、どこにも発散出来ずミユキの中で渦巻いて内側からミユキを壊す。
―――誰か、殺してくれないか。
「なあ、すごい音したけど……」
がちゃりという音と共に、挿木の声。はっと息を吞んで、その見開かれた眼とミユキの眼が合う。
「……は、……なに、が、」
「―――俺が悪い。見るな」
ボタンを全部外され腰周りもゆるくなった目障りであろうミユキの姿をともりがゆるく抱きしめて隠した。その力は本当にやさしくて、やわらかくて、あたたかくて、……ミユキのことを本当に大事にしてくれているもので。
見ないふり。気付かないふり。意識を逸らすこと。考えないようにすること。予防線を張ること。誤魔化して流すこと。―――全部ぜんぶが得意だ。詐欺師? ミユキのことだ。
嘘は得意だ。自分に吐くことも、誰かに吐くことも。
大切なひとに嘘を吐くことも―――
時間が止まればいいと思っているのに。あの時と、……彼と過ごしたあの時の自分と、一ミリも変わりたくないと、思っているのに。
じわりと滲みかけたそれを、必死に押し留めた。ぎりぎりと唇を噛んで、必死に追い詰めて掻き消した。




