君の嘘と嘘と嘘と嘘と 6
あとで須藤から聞いた話だ。
ともりがお風呂に入っている時、こっそり電話して聞いたその話ではーーー高校時代の挿木は、所謂『トップ集団』の中にいたらしい。
須藤自身挿木とは高校が違うので又聞きになるのだが。でも挿木はそこそこ見れる顔で、彼女が途切れることはなくーーーそして自分の『周囲』にとても気を使う人間だったようだ。
気を遣うのではない。気を使うのだ。
アクセサリーのように厳選して選んでーーー『その人物と一緒にいることで自分が周囲からどう見られるか』気を使うのだ。
例えば見た目。顔立ちの整った友人たちと過ごす、同じく顔立ちの整った自分。
例えば才能。何かに秀でた友人たちと過ごす、そんな友人たちと仲のいい自分。
どんな風に見えるか。どんな風に捉えられるか。
厳選して熟考して棄てて得て。
『自分にとっての最高のスタイル』を作り上げた、かつての挿木。
もしかしたらその友人たちも、どこかで挿木の思惑を知っていたのかもしれない。感じていたのかもしれない。それでも彼らが上手く行っていたのは、お互いにメリットがあるから。
軽薄でルーズで、しかしそれこそがキャラなのだと、気軽にはしゃげて気軽につるめる人間、挿木。
作り上げたトップ集団。
トップ集団の中にいるという安心感。
生ぬるくて座りのいい空気。
ーーー大学に入って、そして、はじめて挿木は目の当たりにする。
そういう性質なのだと受け取られていた軽薄さが通用せず、むしろ不愉快なものだと拒絶する人間。
どうやっても『飾り』にならない人間。
そういう性質だからとなあなあに許さず、選ぶ言葉や行動が好きじゃないと云う、唯一の人間。
ともりは不機嫌だった。ぎっちり繋がれた手はそのままに帰宅し、気詰まりな空気の中簡単に作った食事を終え、お風呂に入ってーーー寝巻きのキャミソールにショートパンツ、あの時からずっと借りているパーカーを着て、こんこん、とノックすると、いつもより低いともりの声が返って来た。
「いいよ」
「入るね」
ともりはベッドで仰向けになっていた。眠るというよりは単に横になっていただけのようで、ミユキが入るとむくりと上体を起こし脚をベッド横に下ろした。
「なに? みーさん」
「えと……」
歩み寄る。……腰かけているからミユキより低いその顔を、見下ろす。
綺麗な色の漆黒の髪。さらさらとやわらかい髪質なのは何年も前から知っている。何度も触らせてもらったことがある。黒曜の瞳は黒々と美しく、どこまでも澄んでいて整った顔立ちをさらに印象強いものにしている。
「……」
不機嫌そう。機嫌がやはり、悪そう。……流石にタイミングが悪過ぎる、か。
「あのね、明日私、ちょっと遅くなるから」
「……遅く?」
こきり、と、首を傾げて眼を眇める。視線の強さが増した気がした。
「うん、撮影終わって自由になったからさ。ちょっと友達とご飯食べて来る」
嘘だった。けれどまあ、このあと吉野や大学の友人誰かに声をかければ嘘ではなくなる。にこりと笑って出直すことを決め、「それだけなんだ。ごめんね、夜に。おやすみなさい」自然に言って、背中を向けたーーー瞬間、
がっと身体の両サイドに脚が現れた。ぎょっとした瞬間その長い脚が折り畳まれ腰の辺りを脚でホールドされ背後に引き寄せられる。脚が宙を掻き、背後に向かってほとんど落下するように身体が傾いてその感覚に思わず悲鳴を上げた。
「きゃんっ!」
衝撃は覚悟したほど強くはなく、痛みもなかった。ともりにしっかり抱き止められたらしい。ほっとして胸を撫で下ろし、咄嗟とはいえか弱い小さな女の子みたいな悲鳴を上げてしまったことに今さらながら恥ずかしくなり、か! と顔が熱くなる。きゃんって何だきゃんって、わあ! とか、うわ! にしたかった。まずい、結構、恥ずかしい。いたたまれないし真っ赤になっているであろう顔を見られたくなくて抱き止められた腕の中を逃れようともがきかけた瞬間、背後から回るその手が片方ミユキの頬を少し強引にともりの方を向かせた。肩越しに振り仰ぐ形を取られ、離してと言おうとしてーーー
「んぅっ」
その指が、口の中に割って入った。眼を見開いてーーーその不機嫌そうなともりを、見上げる。
「……嘘吐くのは、この口?」
黒曜の眼を眇め。低く低くごろつく声で。
そう言ったともりは、既に一本差し込まれた口にもう一本指を滑り込ませた。二本の指が昨晩より強引に口の中で蠢いてミユキの舌に触れる。
「んぅうっ! んく、んぁぅっ……」
驚いて無意識の内に舌を引っ込ませようとしたがともりはそれを許さなかった。奥に差し込まれた長い指が逃げようとした舌を捕まえ、玩ぶようにちゅくちゅくと口の中で動く。危うく歯で噛みそうになってあわてて口を開けた。
「まだいい? じゃあもう一本」
「んんっ!」
気遣いが苛立ちで返される。三本目の指も口の中に加わり上顎のところをつうっと撫でた。ちゅくちゅくくちゅくちゅと舌を軽く引っ張られたり裏を擽るように撫でられたり、全然口内が思い通りに出来ず嚥下出来ない唾液が口の端からつうっとこぼれた。先ほど女の子みたいな悲鳴を上げた時よりも恥ずかしくて何とか身を捩って逃げようとするが脚は脚で押さえ込まれ、胴はもう片方の手で後ろから抱きかかえられて脚の間に座るようにして固定されていてちっとも動けない。どうしよう。同居人の青年はいつから歯医者を目指すようになったのだろう。定期的に通うようにしているので事足りているから出来れば他のひとにやってほしいが、けれどこんなこと他のひとにさせて被害を拡大させるわけにも、
「ろろり! ろ……ろり、ふろっ、ふ、」
「ロリ? ロリはみーさんでしょこんなに童顔なんだから。俺は年相応です。風呂?風呂一緒に入りたいの? いいよ、入ろ。俺が全部洗ってあげる」
何ひとつ正しく伝わってないからやめようか! ともり、ともりストップって言ったんだよ! それにロリじゃない! 童顔なのは仕方ないから認めるけど断じてロリじゃない! なに、そんな風に思ってたの? 吉野に言いつけてやる! ……というのを必死に眼で訴えたが、ともりは相変わらず不機嫌そうにぐちゅぐちゅ口の中で遊ぶだけで訴えはちっとも効いていないようだった。
「やっぱりみーさんの口の中って狭いね。全身小さくて細くて儚くて、こんな身体でどうしてこの世の中生きていけるの? 安全なところにずっとずっと閉じ込めて俺だけで愛でてたい」
誰だって口の中はそれなりに狭いと思う。トウマが小さい頃よく仕上げの歯磨きをしていたから知っている。チョコレート味の歯磨き粉がお気に入りでそれでしか磨いてくれなかったなあとつい意識が遠くを彷徨った。が、
「んくうっ!」
ち、とほんの微か、小さく舌打ちしたともりがさらに奥へと指を滑り込ませたのでえずく。噛むまいとしていた指を反射的に噛んでしまい、何とか口をまた開いた。
「みーさん、集中して。他のこと考えないで。俺のことだけ考えて」
現実逃避でかわいくて愛おしい弟のことを考えたらおしおきとばかりに怒られた。集中してと言われたって、どうして。こぽりと唾液がこぼれ続けていることなんて改めて考えたくもないし、けれどともりが不機嫌な理由もわかるからーーーだから恥ずかしいし苦しいしけれど我慢しようと、思った。
「みーさん、やっぱり会ったね? 約束したのに。誓ったのに。やっぱり挿木に会ったね? ーーー普段持つ警戒心、どうして働かせてくれなかったの」
それに関しては本当、申し訳ないと思う。でもあの時、あの時キャンパスで声をかけられて、ともりのところに連れて行ってくれると言うからつい警戒を怠った。早くともりに会いたかったから。
「ふ、ぁ! あぅ……ろれんら、らい……っ」
ごめんなさいと言う言葉すらろくに口に出来ない。舌をくにくにと弄ばれて満足に話すことすら出来ない。
ともりは挿木が昔の自分に少し似ていると言っていた。居酒屋で触れたかさつき温度の低い手のひら。最近ろくにものを食べていないのであろう身体。怠さの蓄積した疲弊した目。かつての少年。ーーーでも、似ていない。似ているだなんて思わなかった。だって、あれは、
「んんぅっ……!」
身体がぴくんと跳ねる。それをじっと黒曜の眼が見下ろす。恥ずかしい。話を聞いて欲しい。
「やめて。例え気紛れでも一晩の遊びでも絶対、嫌だ。許さない。俺はやさしくないしそんなの許す余裕だってない。ーーーそんな奴より絶対、俺のものなのに」
怒りを孕んだ苦しそうな悲しい声。ーーー怒っている。苦しんでいる。そしてなにより、悲しんでいる。
心細くて。不安で。ゆらゆら揺れて、必死にミユキを捕まえるように。
どうしたのと問いたくても、大丈夫だよと言いたくても、何かも、不可能で。
「……みーさん、反射じゃなきゃ噛んでくれないね。舐めてもくれないし。舌、本当にやわらかい。かわいい」
舌にかわいさはない、絶対に。赤ちゃんじゃあるまいし。指を舐めたり噛んだりして欲しいのだろうか?
「んっ……」
舌に触れる指に、そっと、ほんの少し、触れた。舐めたというにはあまりにも微かな動きだが口の中でともりの指がびくりと震えて固まった。驚いたように眼を開くのでぐいと頭を反らし口の中から指を全部抜く。ぷはあっ、と、漸く自由になれた口から声が漏れた。
「と……もい、とも、り、」
舌も口も疲れてろくに動かない。なんとか名前を呼ぶと、どうしようか困るような声で「なに」とともりが短く言う。まだまだ機嫌は悪いよう、だけれど。
「おち……おちちゅ……おちちゅいて、はなしょ……」
言い直したのになにも治らなかった。この部屋に来てから羞恥心が煽られるだけ煽られて誰もフォローしてくれない。少しだけゆるんだ拘束から腕を引っこ抜き袖口でぐいぐい口元を拭った。つか、れた。
はふう、と、漸く落ち着きかけた呼吸をひとつ置いて、……少し距離があった方がいいと思った。ばっ! とその腕の中から抜けようと両足を床に付けた、が、
「ーーーだと思った」
「きゃうっ!」
脚払いをかけられるように両脚が凪がれ立てるわけがなくてそのまま腕の中に横転した。脚で脚を跳ね上げられるように持ち上げられベッドの上に落とされ、一瞬で絡んだ脚と抱きしめられた胴とでぐるんっと一回転してベッドの上に寝転がる。大きなパーカーから片方腕が抜けそのままともりがそれを脱がせた。当たり前だがこないだの事件と違って相手はともりだし我武者羅に暴れるわけにもいかず、ただあっという間に手脚を押さえ込まれてまた動けなくなる。昨夜と同じ、昨夜よりも強引に。
「みーさん、いい加減、俺怒るよ。一線踵で踏むどころか飛び越え続けるよ」
「ふ……」
本気で怒っている声に怖いというより混乱して動揺する。何かに縋りたい気持ちがいっぱいでシーツを掴むとその手をほどかれてともりの身体に回された。促されるままミユキよりずっと大きくてずっとしっかりとした身体にしがみ付く。……耳元で、ささやく吐息。
「……本当、ちっちゃ。……ね、みーさん。何を話すの?」
「ん……」
脚と脚の間にともりの脚が割って入り絡んだ。怖くはない。ともりは酷いことをしないから。これは酷いことじゃない。ともりの方が酷く怯えているだけで。
「……挿木くんに、何を言われたの」
ぎゅう、とともりにしがみ付いたままそう問うとーーー腕の中でびくりとともりの身体が震えた。離れていってしまいそうな気がしてさらに強くしがみ付いて、絡んだ脚にも力を込めた。
「駄目、行っちゃ駄目。……家に行かせろとか風俗行こうとかそれだけじゃないよね。他になんて言われたの」
「……言いたくない」
ぼそりと言われて引き剥がされそうになりそうは行くかと必死にしがみ付く。ともりの力なら簡単に引き剥がせたはずだが困るような仕草をするだけで強引に振りほどいたりはしなかった。
「ともり、教えて。なにを言われたの」
「……言いたくない、ってば。ごめん、離して」
顔が離れてゆきそうになったので反射的に眼の前にある首筋に噛み付いた。さっきまであんなに避けていた噛むという行為を形振り構わず行使して、痛くないようにしたつもりだがでも勢いが余ってそれは確かな感触になる。痛みのせいかびくっとともりの身体が震え強張った。嫌われたかもしれないが、それでも、
「っ……言っ、て、」
言葉の隙間にかぷ、かぷと噛み付く。絶対に逃がさないと背中に回した手はまるで爪を立てる猫のようになり、首筋を歯噛みして、何だか呼吸が乱れはじめたともりが息が止まるほど強くミユキを抱きしめてーーーんくぅっと掠れた声を上げたミユキにはっと我に返ったように力を抜いた。
「ごっ、ごめんっ。ごめ、言う、から。噛むのやめて」
「……昨日ともりだって私のこと噛んだ」
「か……噛んだね。そうだね。ごめん。……俺が帰れるように迎えに来てくれたのに態度も悪くてごめん。……みーさん、本当、ごめんなさい。……噛むのやめて?」
「……自分がやられて嫌なことはひとにやったら駄目だよ」
「ふ……くざつ、なんだ、よ、」
「? なにが?」
「……なんでも。みーさん、本当、話すから噛むのやめて」
「……」
会話の合間にかぷかぷ噛み続けていたのだけれど。あまりにもやめて欲しそうにともりが言うので口を離した。……ほっとしたようにともりが力を抜くので最後のひと噛みとばかりにかぷっと少しだけ強く噛み付く。
「ッ!」
「んくっ……ん……はい、終わり。もう二度としないから安心して」
「……全然安心出来ない。今が問題なだけで嫌じゃないのに」
噛まれた痕の残る首筋に複雑そうに手を這わすともりが大きく溜め息を吐いた。……その顔が真っ赤になっていることに気付き、そんなに痛かったのかなと噛んだ痕を撫でる。
「……ごめんね?」
「……怒ってないよ。複雑なだけで。……ねえみーさん」
「なあに?」
「俺以外の奴噛んだりしたら絶対に許さないから。みーさんの身体中噛み付いて俺のにするから」
「……ともりが言うと冗談に聞こえない」
「冗談じゃないからね。全く」




