あなたの嫌いなその日のこと 10
わこおばさんの運転で着いたその場所は、山の中腹にあった。
「今は梅雨だけどね、春になるとこの山は一面桜色に染まるのよ」
いってらっしゃい、と、車に残るわこおばさんが微笑み、うなずき返す。新鮮な空気を吸い込み、止め、ゆっくりと吐いた。
桜に囲まれる、眠るひとたち。ーーーそれは。
それはとても美しく、儚いもののように思えた。
「おひぃさん」
「なあに?」
「おひぃさんは今、幸せかの?」
並んで歩くくのじいからの問いに、彼女が軽く眼を見開いた。
彼女の手に手を添え、ゆっくりと歩くくのじいは、穏やかな表情のまま前を見続けている。
「……わかん、ない」
隠そうとして、隠し切れず、ほんの僅か微かに震えた声がーーー沈黙の末、言葉を絞り出す。
「そかね」
「……」
迷うように。その唇が薄く開き、閉じ、また開く。
「……でも、わたしはひとりぼっちじゃないから、」
「ああ、ああ」
「だから、ーーーまだ大丈夫なんだと、思う」
「そかね」
やわらかい声。
堪えるように、彼女が唇を噛んだ。ほんの、一瞬。
そしてそれすらも隠すように、その仕草はすぐに消えて見えなくなった。
辿り着いたひとつの墓石の前、そこでくのじいと彼女は足を止め、じっと見つめた。
刻まれている、柊の名。
ゆっくりゆっくり、彼女がお墓を掃除しはじめる。それを手伝い、丁寧に墓石に触れる。わこおばさんが定期的に掃除をしてくれているのだろうか、それほど汚れてはおらず、掃除はすぐに終わった。
持って来ていた花を供え、線香に火を付ける。
「……港、おひぃさんが来てくれたんの。よかったのう。……おひぃさんのこと大好きな子も一緒での。よかったのう」
頭を、下げた。
「幸絵ちゃんも、また今度来てくれるからの。……さあ、おひぃさん」
「ありがとう、くのじい」
一歩彼女が進み出て、膝を折った。墓石に向かって微笑む。
「お父さん。ーーー久しぶり」
やわらかくて、あたたかい声。
「ともりだよ」
倣って一歩前へ出て、膝を折った。もう一度頭を下げる。
「嘘吐いて黙って来ようとしたら、見事にばらされちゃった。ひねくれてるよね。友達は選べって言うけど、友達じゃないから選べなかったんだ」
くすっと笑って彼女が言って、その断片的な情報を得てもメールの差出人が全く想像出来ず内心首を横に傾げる。
「お母さんも、リュウもトウマも元気だよ。吉野ももちろん元気。……あ、ごめん、嘘。卒制でげっそりしてる。まあそれはみんな一緒なんだけど。……うん、私もなんだけどね。撮影はこれから。……はじまる前から『これ終わるのかなあ……』って思うようなスケジュールなの。無事終わるように祈っててくれる? 卒業出来なくなっちゃうんだ」
義父のことを名前で呼んで、彼女が切実そうな顔で言う。これからますます忙しくなるのだろう。自分に出来る分野でサポートしたい。
少しの間、彼女は黙って墓石を見つめた。そして眼を閉じ手を合わす。……二人きりでする会話は、口に出して語りかけたそれよりも長かった。
じっとそれを見つめてーーーす、と手が下される。
「……俺も、いい?」
「うん、ありがとう」
手を合わせ、眼を閉じた。……言いたいことは、
伝えたいことは、ただひとつだ。
ーーー眼を開ける。
「ありがとう。これで大丈夫」
「そっか。ありがとう、ともり」
「ううん。俺がしたかったから」
ゆっくりと立ち上がり、三人で墓石を最後に見つめる。
ふは、と彼女が微笑んだ。
「また来るね。お父さん」
踵を返すーーー歩き出す。
ゆっくりと歩き出したくのじいは、今度は彼女の介添えを遠慮した。
「みーさん」
「なあに?」
「着いてきてごめんね。でも俺は来れてすごくうれしかった」
「そっか。ともりがそう言ってくれるなら、よかった」
「うん」
「ひねくれ者の肋は五本で許してあげることにする」
「ああ、やっぱり折るんだね」
歩く。歩く。ーーー先へ向かって。
「ともり」
「なに?」
「お父さんに何を話したの? 自己紹介?」
ともりくん
あの時名前を呼ばれた。夢であれ、幻であれーーーだから自己紹介は、必要ない。
「ううん。ーーー返事をしたんだ」
「返事? 何の?」
「俺と義父さんの秘密」
「……?」
ともりくん
この子をあきらめないで欲しい。ーーー頼んだよ
隣を歩く彼女の手をそっと捕まえ、その小さな手を握った。
はい。
ーーー必ず。
〈 彼女の嫌いなその日のこと 彼女の愛するそのひとのこと 〉




