あなたの嫌いなその日のこと 5
うとうととして、やわらかい感触に寄りかかる。ーーー頼りない、華奢な肩。ふわりと香るやわらかな石鹸の匂い。
ほんの僅かに眼を開くと、彼女は窓の外にじっと視線を向けていた。
雨の向こう。けぶるように白まる、外の世界。
透き通るような雨が、黒く深い眼に映り、その中で音もなく輝く。
「……」
白くなめらかな肌。凛と澄む、誰にも似てない、彼女だけの眼。
眼を閉じて。そのあたたかさにそっと息を吐いた。
その駅に着いた時、雨の勢いは少し弱まっていた。
三木の名と同じ名前の駅だ、と思いつつ彼女に続くと、改札の向こうに向かって彼女が手を振った。その先を見るーーー五十代くらいの少しふくよかな女性。
「わこおばさん」
少し足早になった彼女と共に改札を抜けその女性、わこおばさんの前に立つと、うれしそうに目を細められーーーそしてこちらと彼女を見比べ、目を見開く。
「あら、あら、まあ、まあ」
高めで明るい声。梅雨の雨をぱっと散らすような。
「みぃちゃんが彼氏を連れて来た!」
「違います。この春から一緒に暮らしてる蕪木灯くんです」
「はじめまして。御影さんにお世話になっています。蕪木灯です」
丁寧に頭を下げると、ぱたぱたっと手を振って女性は応えた。
「あらあら、ご丁寧にどうも。しっかりとした子ねえ。私はね、遠山和子です。昔からみぃちゃんと仲良くしててねえ。あ、そうだ、あとでみぃちゃんの小さい頃の写真見る?」「見ます」「わこおばさんやめて……」
くったりとうな垂れた彼女を見て、ふは、と笑い合った。
「元気そうで何よりだわ。幸絵ちゃんは元気かしら?」
「はい。おかげさまで。わこおばさんもお元気でしたか?」
白い軽自動車に案内され乗り込んだ。助手席の彼女と運転席のわこおばさんと。わこおばさん、というのはかずこという漢字を違う読み方で読んだ名前で、小さい頃からわこと呼ばれているそうだ。だから遠慮なくわこおばさんって呼んでねと、ふっくらと頬をふくらませて笑った。
「みぃちゃんの未来の旦那さんだからねえ。大歓迎よ」
「ありがとうございます」
「わこおばさん、それはちょっと言い過ぎ……」
「なに言ってんのみぃちゃん。絶対逃がさないからね」
「……みぃちゃん言わないで」
むくっとむくれた彼女が嘆息した。ビジネスホテルか何かに泊まるのかと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「……くのじいはどうしてる?」
「ゆっくり暮らしてるわよお。前よりもっとのんびりさんになってるけど」
「……そっか」
よかった、と、小さく彼女がつぶやく。
「みぃちゃんは毎年くのじいのところ、檞の家に泊まってるのよ。私の叔父で、近所に住んでいるのだけどね」
「すみません、急に押しかけてしまって……」
後部座席からぺこりと頭を下げると朗らかに笑われた。
「いいのよう、本当、大歓迎なんだから。みぃちゃんのこと好きなんでしょう?」
「大好きです」
「なら尚更大歓迎よ」
「わこおばさあん……」
かくりと彼女がうなだれる。新幹線で聞いた話だと既に彼女の父方の祖父母は他界しているーーーもう実家はないのかもしれない。
「くのじい、檞のお家はお父さんの実家……柊のお家のご近所で。昔から孫同然にかわいがってもらってるんだ。毎年そこに泊まらせてもらってるの」
「そうなんだ」
柊ーーーひいらぎ。彼女の口からはじめて正式に聞いたその名前。ーーーかつて彼女が名乗っていた姓。
柊幸
ひきらぎ みゆき
彼女のアルバイト先で彼女が柊と呼ばれているのは知っている。だからーーーなんとなく、想像はしていた、けれど。
彼女の口から明確に聞いたのは、今がはじめてだった。
「くのじいはみぃちゃんのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんとそれはそれは仲が良くてねえ。お祖父ちゃんとくのじいは幼馴染みなのよ」
家族ぐるみで仲が良かったのだろう。これから会う、そしてもう会えない彼女の父方の家族を、思った。
「もう着くわよ。……くのじい、みぃちゃんに会うのをすごく楽しみにしてるのよ」
ぱらぱらと降る雨の窓。そのガラスに映る彼女が、小さくうなずく。
「うん。ーーーわたしも、会いたかった」




