あなたの嫌いなその日のこと
〈 あなたの嫌いなその日のこと 〉
それは彼女と正式に暮らしはじめて最初に迎える梅雨の時だった。紫陽花は美しく咲き、その青さが痛みなく眼に映る。
窓の外、濡れる世界をじっと見つめる彼女を見て、雨が嫌いなの? と訊いたら、雨は好きだよ、と、窓の外を見たまま小さな声で答えられた。
雨は好きだよ。梅雨が大嫌いなだけ。
「あ、そうだ、ともり」
そんな梅雨のある日、夕飯中に彼女は思い付いたように言った。
「ちょっと撮影スケジュールきつくなってきたから、明日から二泊三日で私泊まり込み行ってくるね」
「そっか。卒制って大変だね。どこに泊まるの?」
「大学のーーーではないんだけど、大学関係で知り合った友達の家。場所は大学の近くなんだけどね」
「……女の子だよね?」
「かわいい女の子の家です。読モとかやってるくらい」
かわいいかかわいくないかは正直どうでもいいのだが。ならいいか、と、うなずく。
「気を付けてね。頑張って」
「うん、ありがとう」
にこりと微笑む彼女に微笑み返し、ナスの田楽を口に運んだ。
翌朝、朝食を一緒に食べ、駅まで一緒に向かった。彼女はまず特殊レンズを借りるからと都内へ、自分は反対方面の大学へ。授業はないが須藤とレポートをやる約束をしていた。
「いってらっしゃい。気を付けて」
「いってきます。いってらっしゃい」
「いってきます」
先に来た上り方面の電車に乗った彼女と窓越しに手を振って別れ、名残惜しくその電車を見送りーーー滑り込んで来た下りの電車に乗り込む。ここから先は駅の構造的に右側のドアしか開かないので左側のドアにとんと背中を付けた。朝と言っても通勤ラッシュは過ぎているし下りの電車なのでそれほど混んでいない。
しとしとと雨の降る窓の外になんとなしに眼を向けてーーーポケットの中でスマホが震えるのを感じた。須藤が寝坊でもしたかなと思いつつ取り出すと、
「……ん?」
登録されていないメールアドレスからのメールだった。イタズラメールかと思い開封する前に削除しようとして眼を滑らせ、
「っ、」
そのメールアドレスに『m.mikage』の文字を見付けて眼を見開いた。彼女のアドレスではもちろんないーーー登録してあるしそもそも彼女のアドレスに名前は含まれていない。m.mikageって……mの名前を呼ぶ人間なんて、そんな、
躊躇うことなくメールを開いた。添付ファイル。何の……? クレジット明細? 何でこんなものがーーー瞬きも忘れたままそのカード名義が彼女の名前であることを確認し、そして、一番上の項目に、
「……っ!」
緑の窓口での清算。額から言って新幹線の切符。……三万を超えている。清算日は一週間前。何だよこれどういうことだ。彼女は本当はどこへ行った?
ばっと顔を上げ今どこを走っているか確認する。畜生急行! 次の駅までまだーーーいや、上り方面の電車に乗ったのだから新幹線に乗るなら候補は二駅しかない。普通に考えたら手前の駅から乗るはずだからそこに行けば。この電車が次止まる駅で乗り換えれば彼女が乗ったのと同じくらいか少し後くらいに着けるはず。落ち着け、落ち着け、落ち着け。
ぎり、と歯を喰い縛る。ーーーまだやめて。まだ行かないで。あなたがいつかいなくなるとわかっているけれど今はまだ行かないで。だって漸くまた会えたのに。まだほんの少ししか経っていないのに。




