彼らの永遠 10
人気のないフロア。編集室を過ぎた更に奥、昨日使った自販機前。
白い壁に背を付けたままいると、ややあって足音が近づいて来た。近くなり、近くなり、近くなりーーー立ち止まる。
「あ、いたいた、御影」
に、と笑う男。湯川。
「髪くれる気になった?」
「ーーーならない」
はっきり言って。
まっすぐに見据えた。
「湯川。これ以上私に付き纏うなら学生課に報告する」
「……」
「然るべき手段を取ってもらう。鉢峰にも日代にも久世先生にも証言してもらう。そもそも圧倒的に湯川が悪いんだ。大騒ぎして停学まで持って行かれるの、困るでしょ」
確実に、今年度の卒業は出来なくなる。
来年卒業出来るとも限らない。
「……何でいきなりそんな強制手段?」
驚いたようにーーーそれから不満気になって、湯川が言う。無粋だ、と文句を言うように。
そう。無粋。ーーーじゃあ、答えよう。
「私はあんたが嫌いだ。選ぶ言葉も。行動も。全部ぜんぶが嫌いだ」
卒業制作は、何ヶ月もかけてやるものだ。企画書を書いて、オーケイが出るまで改善し、何度も何度も書いて提出し、漸くオーケイが出たら次は脚本。何度も何度も却下され、書き直し、それで漸くオーケイが出る。ーーー必死にやり遂げた鉢峰。
技術も同じ。脚本を貰ったあと、撮影設計や録音設計を書く。ここのカットはどうするか。何を使ってどのように表現したいのか。考えが甘い、なってないと何度も何度も却下され、その度に教科書片手に機材室に詰めかけ機材の性質を追求しなんとか設計に盛り込み、それで漸くオーケイが出る。ーーー掛け持ちでそれをやり切った日代。
必死に勉強し、大学以外の勉強も夜遅くまで眠気を堪えて敢行し、火傷を作りながらも少しずつ料理の腕まで上げて、でも満足しないでさらに改良しようと思案して。少しでも自分を高めようと、行きたいところに行ける人間になろうと努力を続ける。ーーー続け続ける、ともり。
あんなに頑張ってるひとたちが眼の前にいるのに。ミユキはそれを眼の前で見続けているのに。準備も情熱も心構えも何ないでやる人間がいるのが許せない
「あんたなんかに絶対やらない。ーーーインスピレーション? 確かにそうだね。瞬間は選べない。けど、卒業制作は四年間の集大成なんだよ。調べて、吟味して、企画して、立ち上げて、敢行してーーー全ての力が問われるんだ。やり遂げる力だよ。慢性せず、努力をする力。早め早めにと自分から動く力。インスピレーションは大事だよ。でもそれだけに頼る人間は、芸術家を目指す前にただの怠惰な人間だ。ーーー大嫌いなんだよ、そんな人間」
大嫌い。ーーー関わって、くるな。
「もっと前から本気で取り組んでいたら、私じゃなくても誰かが髪をくれたかもしれない。その早い段階に私を見付けたとしても私は絶対断るけれど、でも他のひとを探す時間だってあったじゃないか。今私を説得するしかないのは、髪が気に入ったしもう時間がないからじゃないか」
髪は彼が褒めてくれたものだから。
愛おしそうに、特別な色だと彼が触れてくれたから。
だから嫌だ。ーーー彼以外に、わたしの髪を特別になんかしてほしくない。
「これは警告だよ。注意じゃない。……次私に何かしたら、問答無用で突き出すぞ」
言い切って。
何も言葉は要らないから、声をかけられる前に立ち去った。
「ねえ鉢峰。全部解決したよ」
「そりゃよかった。どうやって?」
「啖呵を切りました」
「上等。で、映像は?」
「え? ないよ? あるわけないじゃん」
「何でないんだよ! カメラマンだろ!」
「因縁付けないでよ面倒臭いな! いろいろお世話になったから感謝してるところもあるのに! そこはありがとう!」
「どういたしまして!」
昼休憩として取った時間、作って来たお弁当を二人で食べる。お礼のつもりだったので少し豪華だ。日代は今日いないから明日作ろう。
食べ終わり、お茶を飲んで喉を潤し。満足気にのびる鉢峰をちらりと見る。
「ねえ鉢峰」
「なに」
「歯ぁ食い縛れ」
にっこり笑ってそう言った。
一度ゆっくり瞬きしてーーーく、と鉢峰が唇を結ぶ。
親指を上げられた。
では、遠慮なく。
「なにしてくれたんだこの馬鹿ぁッ!」
まっすぐ拳を引いてそのまま鋭く突き出した。ーーー鈍い音と鈍い痛み。
「ってえ、歯折れた」
「嘘吐け!」
全力で否定する。あの夜のメール。鋏の音と逃げた男。
あれは鉢峰だ。ーーーどう言ってもともりに報告する気も学生課に報告する気もないミユキを脅して怖がらせ行動を促すためにした強制手段だ。
「あのねえ、下手したら私怪我してたんだよ? 作品仕上がるのに支障出てたらどうすんの!」
「って言うと思ってたけどさ」
「そうなったらどうするつもりだったの運命共同体!」
「どうって、」
別におもしろくも悲しくもない、ごく当たり前の表情で。
「御影と一緒に留年してたけど」
「……」
その言葉に。
息が軽く、止まった。
「来年もまた組んで、来年こそきちんと創り上げて卒業して。仕事して金稼いで生活して。そんなん」
「……」
鉢峰 逸は。
アイドルが好きだ。洋楽の限られたジャンルが好きだ。クラシックは聞かない。
いつも興味がなさそうに見えるけれど。それは。
今眼の前のことを余計な力を入れず『当たり前』だと自然に捉えているから。
「まあ日代は掛け持ちので卒業出来るだろうけど。でも、卒業したらもう御影と日代のいない日常が『当たり前』になるんだなあと思ったら、さみしくなるな」
「……」
「卒業制作ってさ。別れまでの道筋を自分たちで創って歩くそのものだな」
「……」
「悲しいとは思わないけど。でもさみしいとは思うよ」
「……」
「アイドルも御影も伝説のグループも恋愛対象じゃないけど、でも大事だ。ーーー友達が理不尽に傷付けられるのは嫌だって思うのは当たり前だろ」
言葉を、
「……死ぬわけじゃ、ないんだし、」
今は、まだ。
「私たちの創る作品だって、いつかは創り手である私たちが死んで、形だけが残るんだ。……鉢峰の好きなバンドだって、もう何人か亡くなってる。いつかはみんな亡くなる。……人間だから」
人間だから。
限りが、あるから。
世界の平和を唄ったそのひとは、たった四発の銃弾に撃ち抜かれて死んだ。
限りを、限られた。
だから私たちは、今この時間を自由に使うし、形あるものを創り上げようとするのだ。
限りのないものを。永遠の約束を。
「……だから生きてる間に何度も会うよ。何度も、何度も。……時間が空くことがあるかもしれない、ほんの僅かな時間しか会えないのかもしれない、でも、何度だって会って何度だって話をする。……『当たり前』の話を」
言葉を、
伝える。
「さみしいのは、『当たり前』だよ」
「……」
ふうっと、空へ視線を投げてーーーくつ、と喉の奥で鉢峰が微笑った。
「そっか」
そうか、と。
作品は完成した。三人が三人、眼の下に隈を作った青白いずたぼろの状態で提出しに行くと担当教授は「毎年みんなこんなゾンビより悪そうな状態で来るんだよなあ」と言いつつ書類に受け取りサインをしてくれた。ゾンビより悪そうな状態の人間を見慣れているなんてかわいそうだと思った。
「っあー、通るかなー通るかなー」
「まだ審査まで時間あるからな。俺たちは第一回目?」
「だねー」
審査は四回に別れて開かれる。その一回目で自分たちの作品は上映されるから、その時が勝負日だ。……その日で済めばいいけれど。
「大丈夫。絶対通る」
「通るかなー」
「通す」
「どうやって」
「日代が土下座」
「何でだよ!」
「いやだって、高貴な俺がやるわけには……」
「じゃあ私が土下座する。……この二人はどうなってもいい! だから私は卒業させてください!」
「おい運命共同体!」
「半分でしょ!」
「半分でも十分だ!」
しばらくはまだ時間がある。その日まではまだ、半分だろうが全部だろうが、運命共同体でいようじゃないか。
その日が過ぎたらーーーそうだな。
会おう。ーーー時間は空いてしまうかもしれない。けれど、絶対に会おう。何度だって会おう。
大丈夫。あなたたちがどれだけ努力し続けられる人間なのか、目指すことが出来る人間なのかーーー知っている。
知ってるんだ。
年が明け、残った期間、駆けるように三ヶ月が過ぎ去っていく。
わたしたちは卒業する。
〈 彼らの永遠 彼らの未来 〉




