第七話 倉庫を持つ商会
机の上を空けたところで、俺は椅子へ座り直した。
宝庫の文字が、目の前に浮かんでいる。
【所持ポイント:一二〇〇】
千二百。
初めてこの力を使ったときには、一回だけだった。
何が出るのかも分からずに引き、鑑定を得た。
そのあとに引いた三回では、薬と土壁の巻物、それから朔へ渡した遠見が出た。
四回引いたときには、物資を出す場所に困った。
今回は、それより多い。
俺は、机の脇へ寄せた石切場の図を見た。
入口から少し下り、右へ曲がる通路。
その先は、白いままだった。
あそこへ進む者たちのために、何かが欲しい。
そう思ったとき、宝庫の手前へ新しい文字が重なった。
【討伐ポイントを獲得しました】
【獲得ポイント:+一〇〇】
俺は息を止めた。
百。
どこかで、また強い魔物が倒されたのだろうか。
通知は、それ以上のことを教えてくれなかった。
【所持ポイント:一三〇〇】
千三百になった。
十回、まとめて引ける。
そのあと、三回。
俺は窓へ目を向けた。外は、もう暗くなっていた。
ここから見える範囲に、戦いの気配はない。
城下の灯が、いつものように点在している。
その向こうで、誰かが槍を握っている。
俺は視線を戻した。
【十回召喚】
【消費ポイント:一〇〇〇】
まとめて引いたからといって、よいものが約束されるわけではない。
一回ずつ引くのと、必要なポイントも変わらなかった。
ただ、十回分を一度に受け取れる。
俺は、その文字を選んだ。
光が広がった。
今までより、長く感じた。
宝庫の奥へ、木箱が現れる。
麻袋。
革袋。
見慣れない金属の器具。
順に形を得たものが、静かに並んでいった。
*
最初に目へ入ったのは、矢の木箱だった。
【軍用矢・百本入り木箱】
【矢羽根、矢柄、鉄製矢尻を備えた軍用矢】
前と同じだ。
それだけで、少し安心した。
使える弓へ合わせて回す必要はある。だが、調べる者も、渡す相手も、すでに分かっていた。
石切場で戦ったあとなら、矢はまた減っているはずだった。
俺は、その隣へ目を移した。
【穀物・五十キロ入り十袋】
【食用に適した乾燥小麦。製粉、加熱などの調理を要する】
五百キロ。
また、十袋。
前回、備品倉へ並べたときの景色を思い出す。
袋は、数字で考えるより大きかった。
運び出すには人が要り、食べるには手間が要る。
それでも、食料だった。
腹を満たすものがある。
そのことが、いまは何よりありがたかった。
三つ目は、革袋だった。
【銀貨・百枚】
【銀製の貨幣】
直澄の顔が浮かんだ。
荷車の借り受け代。
車輪の修理。
馬の飼料。
銀貨は、渡した途端にさまざまな支払いへ分かれていく。
けれど、それで動き始めるものがあった。
四つ目は、小さな石の袋だった。
【下級魔石・十個】
【魔力を蓄えた石。対応する魔道具の動力として使用できる】
袋の口から、薄い青色の石が見えた。
親指の先ほどの大きさだった。
鉄嶺で採れるものと同じ種類なのかは、分からない。
ただ、魔石で動く道具があることは知っていた。
城の灯りにも、使われているものがある。
問題は、何へ使うかだった。
その答えのように、五つ目の説明が浮かんだ。
【照明の魔道具・一基】
【魔石を動力として光を発する携帯灯。燃焼による煙を生じない】
俺は、少し身を乗り出した。
金属の枠に、白い石のようなものが収まっている。
上には持ち手があった。
油皿も、芯も見えない。
これが、光るのか。
煙を出さない。
説明のその一文へ、目が止まった。
景綱の報告に、松明の煙が溜まる場所があるかもしれないと書かれていた。
これなら、その心配を一つ減らせる。
だが、一基だけだった。
どれほどの範囲を照らせるのか。
魔石一つで、どれだけ使えるのか。
俺には分からない。
それでも、調べる価値はあった。
「……よし」
小さく声が出た。
六つ目も、見慣れた品だった。
【止血薬・十包】
【傷口に使用し、出血を抑える。深い損傷を修復する効果はない】
紙包みが十。
玄庵へ渡す。
そのあと、前線へ送る分と、王都へ残す分を決めてもらう。
使い道を考える必要がないわけではない。
ただ、相談する相手が分かっているだけで、ずいぶん違った。
七つ目は、縄だった。
【麻縄・五十メートル巻き三本】
【運搬、固定などに用いる丈夫な麻縄。損傷や荷重により破断する】
丈夫だと書かれていても、切れないわけではない。
そのことまで、説明されていた。
俺は巻かれた縄を見た。
ダンジョンで道を見失わないためにも使える。
石を動かすにも、荷を縛るにも必要だった。
地味なものばかりだ。
けれど、いま欲しいのは、そういうものだった。
次の品を見るまでは。
*
【鉱山用破砕薬・三包】
【岩盤や障害物の破砕に用いる。使用には専門知識を要する】
俺は、伸ばしかけていた手を止めた。
宝庫の中にあるのだから、触れるわけではない。
それでも、反射的に止まった。
「……破砕薬」
文字を読み直す。
小さな包みが三つ、蓋のある箱へ収められていた。
見た目だけなら、薬の包みと大して変わらない。
だが、書かれている用途は違う。
岩盤を砕く。
障害物を壊す。
俺は、石切場の図へ目を向けた。
道を塞いでいる崩石。
兵が一人ずつ通ったという、南の狭い進入路。
使えるかもしれない。
そう思ったあとで、説明の最後をもう一度読んだ。
専門知識を要する。
俺にはない。
景綱が知っているとも限らなかった。
必要だからといって、そのまま渡してよい品ではない。
「これは、まだ出さない」
誰に聞かせるでもなく、そう決めた。
少なくとも、扱い方を知る者へ相談するまでは。
九つ目は、別の木箱だった。
【鉄製工具一式】
【つるはし二本、鉄製シャベル二本、鉄梃二本、大槌一本、小槌二本、鏨四本。各工具に適した柄を備える】
こちらは、分かるものが多かった。
つるはし。
シャベル。
槌。
鉄梃という名の、長い鉄の棒もある。
説明を意識すると、重いものを持ち上げたり、ずらしたりするための道具だと分かった。
鏨は、石や金属の加工に使うらしい。
俺は、工具の並んだ箱を見つめた。
石切場へ送れば、道を整えられるだろうか。
魔物を倒す武器ではない。
だが、担架が通れる道を作れれば、それで助かる者がいる。
直すべき橋もあった。
どこへ回すかは、使う者に聞こう。
最後の品へ目を移したところで、俺は口を開けた。
【穀物・五十キロ入り十袋】
【食用に適した乾燥小麦。製粉、加熱などの調理を要する】
「……またか」
嫌だったわけではない。
むしろ、ありがたい。
ただ、さっき見た十袋の横へ、さらに十袋が並んでいる。
合わせて二十袋。
一トン。
俺は、椅子の背へ体を預けた。
備品倉へ出したとき、十袋で中央が狭くなった。
今回は、その倍だ。
しかも、ほかにも木箱がある。
縄もある。
まだ、三回引ける。
俺は天井を見た。
「……どこへ出すんだ、これ」
*
残る三百ポイントを、そのままにすることもできた。
だが、照明が出た。
魔石もある。
次に何が出るかを確かめてから、送るものをまとめたかった。
俺は姿勢を戻し、一回召喚を選んだ。
光の奥に、薄い札のようなものが現れた。
【スキル:危機感知】
【自身に迫る危険を感覚的に察する。危険の正体や正確な位置までは分からない】
久しぶりのスキルだった。
俺は、その説明を見つめた。
朔へ渡した遠見とは違う。
見える範囲を広げる力ではなく、危険へ気づく力。
暗い通路で、役立つだろうか。
背後から近づくものに、気づけるだろうか。
けれど、どこまで察せるかは、説明だけでは分からなかった。
習得するか。
そう問う文字が、手前へ浮かんだ。
俺は選ばなかった。
自分が持つべきか。
誰かへ渡すべきか。
いまは決められない。
そして、前線へ物資と一緒に送ることもできなかった。
スキルを渡すには、相手が目の前にいなければならない。
本人が望み、俺が直接触れる。
朔の肩へ手を置いたときの感触を、思い出した。
あのとき渡した遠見は、もう戻せない。
これも同じだ。
「……保管でいい」
札のようなものは、宝庫の奥へ収まった。
十二回目。
【銀貨・百枚】
【銀製の貨幣】
また、革袋だった。
これで二百枚。
俺は、使い道を思いつくより先に、直澄へ確認しなければと思った。
どこへ払えば、止まっているものが動くのか。
俺が知らない支払いは、まだ多い。
最後の一回を選ぶ。
巻物が現れた。
【治癒のスクロール・一枚】
【対象一名の傷の修復を促す。蘇生、失った部位の再生、失血の補填はできない】
息が止まった。
俺は、その説明を何度も読んだ。
止血薬とは違う。
傷を、治せる。
だが、一人だった。
一枚だけ。
負傷者を運んできた荷車が、頭へ浮かぶ。
浅い呼吸。
白い顔。
痛みをこらえる口元。
誰へ使う。
その問いが、すぐに生まれた。
俺は巻物を見たまま、しばらく動けなかった。
自分で決めなければならないのだろうか。
そう思いかけて、玄庵の顔を思い出す。
分からないなら、聞く。
使うべき相手を選ぶための判断まで、鑑定や宝庫がしてくれるわけではなかった。
巻物も、いまは宝庫へ残した。
【所持ポイント:〇】
十三回。
すべて引き終えた。
何もないはずの部屋が、ひどく狭く感じられた。
*
取り出してはいない。
それなのに、荷物に囲まれているような気分だった。
小麦一トン。
矢の木箱。
工具の木箱。
縄。
照明。
魔石。
薬。
銀貨。
危ないものまである。
俺は、備品倉の見取りを頭の中へ描こうとして、やめた。
入るかどうかだけの問題ではなかった。
前回は、人払いをして取り出した。
そのあと、宗玄たちを呼んだ。
だが、これを何度も続けたらどうなる。
王が倉へ入る。
誰も荷を運び入れていない。
出てきたときには、穀物が積まれている。
一度なら、見ていなかった荷があったと思うかもしれない。
二度、三度と続けば。
「どうしよう……」
俺は額へ手を当てた。
物が足りなければ困る。
手に入っても、困る。
出すだけなら、すぐにできる。
けれど、出したあとには人が触る。
運ぶ者が、数える者が、見張る者がいる。
それを、いつまでも城の隅で続けられる気がしなかった。
机の上へ紙を引き寄せる。
必要なのは、場所。
人。
運ぶ手段。
それから、外へ説明できる形。
俺は、その四つを書いた。
眺めているうちに、一つの考えが浮かんだ。
倉庫を持ち、品を運び、売り買いする者。
商人。
物が集まり、また出ていくことを、誰も不思議に思わない場所。
そこなら。
俺は立ち上がった。
「弥一」
戸の外から、返事があった。
「はい、陛下」
「宗玄を呼んでくれ。まだ休んでいなければ、少し話したい」
「承知いたしました」
足音が遠ざかる。
俺は、机の紙を見た。
商人なら、誰でもいいわけではない。
秘密を守れる者。
品物を粗末にしない者。
運び方を知る者。
そして、王の頼みだからといって、できないことまで頷かない者がよかった。
*
宗玄は、ほどなくして来た。
俺は椅子を勧め、紙を見せた。
「王都に倉庫を持つ商会を探したい」
宗玄の視線が、書きつけた四つを追う。
「新たな調達先でございますか」
「調達も、保管も、輸送も任せたい。私が用意する品を、城の外で扱えるようにしたいのだ」
宗玄は、少し黙った。
前回の小麦を思い出したのだろう。
「どれほどの規模を、お考えでしょう」
「倉庫一棟を、ほかの荷と分けて使えること。荷車や船を、自前で持っていなくとも手配できること。それから、帳簿がきちんとしていることだ」
「承知いたしました」
「ただ、大きな商会とは限らなくていい」
俺は言葉を選んだ。
「経営に行き詰まっていても、仕事に落ち度がなく、立て直せるだけのものが残っているなら、候補にしてほしい」
宗玄が顔を上げた。
「支援と引き換えに、新たな仕事を任せるおつもりですな」
「ああ」
俺は頷いた。
「だが、困っていれば何でも従うだろう、という選び方はしたくない。何に困っているかも調べてくれ」
「借金の理由と、取引の評判まで確認いたします」
「頼む」
宗玄は紙を受け取った。
その指先が、わずかに止まる。
「陛下」
「何だ」
「品の出所については、商会へどこまでお話しなさいますか」
俺は、すぐには答えられなかった。
宗玄にも、全部は話していない。
信じていないのではない。
ただ、一度話せば、その者も秘密を抱える。
知る者が増えれば、守るために必要なことも増えるだろう。
「私が用意する。それ以上は、いまは伏せたい」
宗玄は、静かに頷いた。
「では、その条件を受け入れられる相手を選ぶ必要がございます」
「ああ」
「ただし、品の性質まで伏せては、扱う者が困ります」
俺は、宝庫の中の箱を思い出した。
鉱山用破砕薬。
「それは伝える。危険なものを、知らぬまま運ばせるつもりはない」
「承知いたしました」
宗玄が立ち上がった。
俺は、その背へ声をかけた。
「調べる者にも、まだ詳しい目的は伝えなくていい。調達先を増やすためだと」
「かしこまりました」
戸が閉じた。
俺は、ようやく椅子へ深く座った。
明日には、何か分かるだろうか。
宝庫の中では、二十袋の小麦が、取り出されるのを待っていた。
*
翌朝、朔はダンジョンの入口に立っていた。
外には日が差している。
だが、穴の奥は、昨日と同じように暗かった。
今日は、調査の組が二つに分けられていた。
一組が入る。
もう一組は、入口で待つ。
中から戻れば、話を聞き、記録を確かめる。
長く続けて入らない。
景綱が決めたやり方だった。
「今日は、右の角までだ」
前に立つ盾兵が言った。
「その先に、戻れる場所を一つ作る。敵が多ければ、そこで終わりにする」
朔は頷いた。
縄の先を、外の目立つ場所へ結ぶ。
途中で足へ絡まぬよう、壁際へ寄せながら進むことになっていた。
松明へ火がつく。
昨日と同じように、盾が先へ入った。
朔は、その後ろへ続く。
外の光が、背中へ遠ざかっていく。
足元に、昨日の血の跡があった。
小鬼を倒した場所だった。
死骸は、外へ運び出されている。
だが、奥から新たに来たものがいないとは限らなかった。
誰も、歩幅を大きくしなかった。
右へ曲がる角が見える。
先頭が止まる。
松明を、少し前へ出す。
壁に、兵の影が揺れた。
朔は、自分の呼吸を聞いていた。
足音より、それが大きい気がした。
「見えるか」
盾兵が囁いた。
朔は、角の陰から先を見た。
通路が続いている。
その途中に、左右へ開いた場所があった。
扉はない。
人が入れる幅の、四角い口だった。
「左右に、部屋がございます」
外へ伝えるときの癖で、言葉が少し硬くなった。
「奥は見えません。通路の先にも、まだ曲がりがあります」
「まず、右を確かめる」
盾兵が告げた。
全員が、一度に角を越えることはしなかった。
一人を手前へ残す。
声が届く。
その確認をしてから、朔たちは進んだ。
*
最初の部屋は、小さかった。
壁際に石が張り出し、棚のようになっている。
中央には何もない。
床に、割れた骨らしきものが落ちていた。
人のものか、獣のものかは分からなかった。
朔は近づかなかった。
天井を照らす。
壁の際を見る。
入り口のすぐ裏も、盾兵が確かめる。
動くものはいなかった。
「空だな」
後ろの兵が、小さく言った。
「見えた範囲では、な」
盾兵が返した。
朔は、その言い方を覚えた。
空だ、と決めてしまえば、次に来る者も安心して入る。
だが、隠れる場所が本当にないかどうかは、まだ分からない。
床を、短い槍の柄で軽く確かめた。
石は動かなかった。
奥まで行かず、入口から見えるものを紙へ残す。
部屋の数。
入り口の位置。
おおよその形。
それだけでも、外の白い地図は埋まっていく。
次は、左の部屋だった。
近づく前から、音がした。
爪が石を擦る音。
何かを噛むような、湿った音もする。
盾兵が手を上げた。
全員が止まる。
朔は、松明の光が届く範囲へ目を向けた。
小鬼がいた。
一匹ではなかった。
壁際に、二匹。
床へ伏せたものが、もう一匹。
その奥は、暗かった。
朔は指で数を示した。
盾兵が頷く。
無理に部屋へ入らず、通路の角まで引く。
引きながら、壁へ短い線を残した。
ここは、まだ確かめ終えていない。
後ろの者へ、そう伝えるためだった。
その途中で、小鬼が顔を上げた。
松明を見た。
叫ぶ。
朔たちは、足を速めた。
だが、走らなかった。
曲がり角で、盾兵が止まる。
幅のある部屋から出てきた小鬼は、通路へ入ると一度に並べなくなった。
最初の一匹が盾へぶつかった。
槍が伸びる。
倒れた体へ、後ろの小鬼がつまずいた。
その間に、角の手前へ残していた兵が声を上げた。
「敵三、接近!」
入口の方へ、声が伝わっていく。
朔は弓を持っていた。
だが、前には味方がいる。
ここでも、射られる場所はなかった。
彼は弓を背へ戻し、倒れた小鬼へ槍が届くよう、松明の位置を見ながら道を空けた。
戦いは短かった。
三匹が倒れたあと、奥から追ってくるものは見えなかった。
盾兵が、大きく息を吐いた。
「今日は、ここまで戻る」
誰も異を唱えなかった。
*
外へ出たとき、朔は目を細めた。
日差しが眩しい。
石切場の音が、一度に戻ってきた。
石を動かす音。
見張りの声。
水を運ぶ兵の足音。
中では聞こえなかったものばかりだった。
景綱は、入口から離れた石の上へ座っていた。
朔たちの姿を見ると、まず人数を確かめた。
「全員、戻りました」
盾兵が答えた。
「負傷は、ございません」
「よし。報告を」
朔は紙を広げた。
右へ曲がる通路。
左右の小部屋。
右には、動くものを確認せず。
左には、小鬼三匹。
その三匹を、通路まで引き出して討伐。
「奥へは」
「進んでおりません。さらに先に、曲がり角が見えました」
「それでよい」
景綱が頷いた。
紙の上へ、図が描き足される。
昨日は、一本だけだった。
今日は、部屋が二つ増えた。
少ししか進んでいない。
朔はそう思った。
けれど、景綱は地図を見てから、待機していた別の組を呼んだ。
「次は、左の部屋を確かめる。通路の角には兵を残せ。奥の調査と、背後の確保を同じ者へやらせるな」
「はっ」
「一度空けた場所にも、見張りを置く。どこから新たに来るか、まだ分からん」
別の組が準備を始める。
朔は、地図を見直した。
自分たちが戻ってきた道を、次の者が使う。
その次には、また別の者が使う。
入口から奥へ、一人で歩き続けるのではなかった。
少しずつ、人の立てる場所を増やしていく。
景綱は、それをしていた。
*
王都では、昼前に宗玄が来た。
直澄も一緒だった。
二人が揃っているのを見て、俺は机の上を空けた。
「候補が見つかったか」
「いくつかございます。その中で、陛下のお話に合うと思われる商会が一つ」
宗玄が、薄い書付を置いた。
「水明商会でございます」
「水明……」
聞き覚えがあるようで、なかった。
俺が知らない商会など、王都にはいくらでもある。
宗玄は続けた。
「王都に店と倉庫を持ち、水瀬との間で穀物や鉱物を扱っております。先代のころから、王国への納入もございました」
「経営に問題があるのか」
宗玄が、直澄へ目を向けた。
直澄は、持っていた帳面を開いた。
「遠征軍へ納めた物資の代金が、支払われておりません」
俺は黙った。
「小麦、布、荷造り用の縄。それから、借り受けた荷車の手配も、一部を担っております」
「どれほど遅れている」
「当初の期日は、すでに過ぎております。その後、一部を支払う約束もございましたが、そちらも滞っております」
俺は、書付へ目を落とした。
経営に困っている商会を探してほしいと頼んだ。
見つかった理由が、王国の未払いだった。
「商会は、それで」
「仕入れ先への支払いが迫っております。運ぶ荷が減り、従業員への給金も遅れ始めているようです」
「品物の不備や、納入の遅れは」
直澄が帳面をめくった。
「記録上、今回の納入は受領済みでございます。不足を理由に支払いを止めたものではございません」
俺は息を吐いた。
怒る相手が、目の前にいるわけではなかった。
直澄一人で払えるものでもない。
だが、払えないという言葉で、その先の暮らしが止まることを、俺は分かっていなかった。
「会長は」
「紗那と申す、二十七の女性です」
宗玄が答えた。
「父から商会を継いで、まだ日が浅うございます。ただ、父の存命中から帳簿と仕入れを手伝っておりました。取引先から、品をごまかしたという話は出ておりません」
「人柄は」
「少なくとも、支払いを待たせている相手から逃げてはおりません。自分で出向き、期日の延長を頼んでおります」
俺は顔を上げた。
「会えるか」
「使いを出せます」
「頼む。契約書と、未払いの内訳を持ってきてもらってくれ」
「承知いたしました」
宗玄が立ち上がる。
直澄は、そのまま残った。
俺は彼を見た。
「返せる分を、確認しておきたい」
「はい」
「新しい取引の話と、すでに借りている金の話を、混ぜたくない」
直澄は、静かに頷いた。
俺は机へ指を置いた。
「まず、何が支払われていないのかを知りたい。私にも、分かる形で頼む」
「かしこまりました」
直澄が、帳面をこちらへ向けた。
*
紗那が城へ来たのは、午後だった。
豪華な服ではなかった。
濃い藍色の着物に、飾りの少ない帯。
持っている包みは、何度も使われているのだろう。角の辺りに、擦れた跡があった。
部屋へ入ると、彼女は深く頭を下げた。
「水明商会の紗那と申します。お召しにより参りました」
「顔を上げてくれ。今日は、話を聞くために呼んだ」
「ありがとうございます」
紗那が顔を上げた。
俺は、一瞬、言葉を探した。
疲れている。
そう見えた。
背筋は伸びていたが、目の下に薄い影がある。包みを持つ手には、力が入りすぎていた。
俺は、鑑定を使った。
【名前】紗那
【年齢】27歳
【役職】水明商会会長
HP:78/103
MP:22/26
筋力:9
耐久:10
敏捷:11
魔力:10
器用:18
【スキル】
算術
交渉
在庫管理
【状態】
睡眠不足
疲労
表示を消す。
分かったのは、疲れていることと、持っている技だけだった。
誠実かどうかも、秘密を守るかどうかも、そこにはなかった。
話して、確かめるしかない。
「座ってくれ」
「失礼いたします」
紗那が椅子へ腰を下ろした。
俺の横には宗玄と直澄。
向こうには、紗那一人だった。
それだけで、話しにくいだろうと思った。
「水を」
女官へ頼む。
紗那は、差し出された椀へ礼を述べたが、すぐには口をつけなかった。
「遠征軍への納入について、聞いている」
俺は切り出した。
「代金が、まだ払われていないそうだな」
「はい」
紗那は、包みを開いた。
帳面と、折り畳まれた契約書。
それから、受領の印が押された書付を並べる。
「こちらが納入の契約でございます。こちらが受領書。支払いの延期についていただいた書面は、その下にございます」
直澄が受け取り、確認した。
紗那は、俺の顔を見ていた。
「本日は、その件でお呼びいただいたのでしょうか」
「それもある。まず、現状を聞かせてほしい」
彼女は、少しだけ唇を結んだ。
どこまで言うべきか、考えているようだった。
「仕入れ先への支払いを、二度、延ばしていただいております」
やがて、静かに話し始めた。
「次の期日を過ぎますと、新しい品を仕入れることが難しくなります。従業員への給金も、全額を渡せておりません」
「何人いる」
「店と倉庫、それから荷の手配をする者を合わせて、十八人です。荷運びは、必要に応じて別に雇っております」
「倉庫は」
「王都に三棟ございます。一棟は、いまはほとんど空いております」
俺は、表情が変わらないよう気をつけた。
空き倉庫がある。
それは、俺にとって都合がよかった。
紗那にとっては、荷がないということだった。
「船や荷車は、自前か」
「荷車はございますが、数は多くありません。船は水瀬の船主へ頼んでおります」
「頼めば、すぐ動かせるか」
紗那は、初めてはっきり首を横へ振った。
「荷と行き先によります。空きがなければ待つことになりますし、前の支払いが滞れば、こちらの依頼も後へ回されます」
「そうか」
「申し訳ございません。陛下のお求めになる日までに、必ず、とお約束することはできません」
「できぬものは、そう言ってほしい」
俺は答えた。
紗那が、わずかに目を上げた。
俺は、机の上の契約書を見た。
「納めた品に問題があったとは、聞いていない。直澄」
「はい。こちらの記録と、受領書は一致しております」
直澄が答える。
紗那の指が、膝の上でわずかに動いた。
「未払い分については、一部を先に支払えるようにしたい。残る分も、期日を曖昧にしたままにはしない」
紗那は、すぐには返事をしなかった。
「……恐れながら」
「言ってくれ」
「前にも、同じお約束をいただいております」
部屋が静かになった。
紗那の顔は、少し白くなっていた。
言ってはいけないことを言ったと、思ったのかもしれない。
俺は頷いた。
「ああ。その書面も、ここにある」
延期の書付を示す。
「だから、そなたがすぐ信じられぬのは分かる。支払う額と日を示す。曖昧な言葉だけで、仕入れ先を待たせろとは言わない」
紗那は、ゆっくり頭を下げた。
「ありがとうございます」
その声には、まだ安堵より緊張が残っていた。
*
未払いの確認が済んでから、俺はもう一つの話を切り出した。
「水明商会へ、新しい仕事を任せたい」
紗那が顔を上げる。
「新しい、仕事でございますか」
「ああ。私が用意する品を預かり、必要な場所へ納めてほしい。調達や輸送も、引き続き頼みたい」
「品は、どちらから運び込まれるのでしょう」
俺は、一呼吸置いた。
「その前に、条件がある」
紗那の背が、わずかに伸びた。
「倉庫を一棟、私が自由に使えるようにしてほしい。ほかの荷とは分け、人の出入りも管理できる場所だ」
「王家専用の倉庫として、貸し出すということでしょうか」
「そう考えてよい」
「でしたら、空いている倉の広さと立地を、ご確認いただけます。ですが、修繕が必要な箇所もございます」
返事は早かった。
よいことだけを言わない。
俺は、そのことを覚えた。
「私がその倉を使う間は、人を入れないでほしい。使い終えたあと、用意した品をそなたへ引き渡す」
紗那の目が、俺の顔へ止まった。
「その品は、水明商会の調達品として、外へ納めてもらいたい」
彼女は黙った。
宗玄も、口を挟まなかった。
俺は続けた。
「品の出所と、倉の中で何をするかは、尋ねぬこと。他言も避けてほしい」
紗那の指が、帳面の端へ触れた。
すぐに頷くと思っていたわけではない。
だが、待っている間に、俺の方が息苦しくなった。
断られるかもしれない。
そうなれば、別の方法を考えるしかない。
「陛下」
やがて、紗那が口を開いた。
「倉へ入る者を制限し、預かった品を運ぶ。それ自体は、お引き受けできる仕事でございます」
俺は頷いた。
「ただし、品を検めることは、お許しいただけますでしょうか」
「ああ」
「品質の分からぬ食料や、扱い方の分からぬ危険物を、そのまま従業員へ運ばせるわけにはまいりません」
「それは、私も同じ考えだ。検査はしてもらう。分かっている性質も伝える」
紗那の目が、少しだけ和らいだ。
「帳簿は、いかがいたしましょう」
「内部では、王から預かった品として記録する。数も、金額も、ごまかさない」
直澄が頷いた。
「私どもの記録とも、照合いたします。商会が実際に購入した品とは、内訳を分けていただきます」
「承知いたしました」
紗那は、初めて直澄へはっきり目を向けた。
帳簿の話なら、何をすべきか分かるのだろう。
「外へ出す際は、水明商会からの納入とする」
俺は言った。
「保管と輸送、それから販売を頼む場合には、その手数料も払う。名だけ借りるつもりではない」
「御用の調達を、継続してお任せいただけると」
「ああ。御用商人として取り立てることを考えている」
紗那の呼吸が、一度、止まった。
彼女はすぐに頭を下げなかった。
机に置かれた契約書へ目を落とし、それから俺を見た。
「ありがたいお話でございます。ただ、肩書をいただいたとしても、仕入れの金がなければ、荷を集めることはできません」
「分かっている」
俺は答えた。
「今回の仕事に必要な前金も、条件を決める。王の注文だからといって、そなたの商会がすべて立て替える形にはしない」
紗那は、ゆっくり息を吐いた。
その肩が、ほんの少し下がった。
*
窓の外で、鳥の声がした。
部屋の空気は、面会の初めとは変わっていた。
紗那は、膝の上へ置いていた手を、机へ移している。
帳面を開き、倉庫の場所を示した。
「こちらの一棟であれば、裏手から荷車を入れられます。表の店を通す必要はございません」
俺は、その図を見た。
王都の中だった。
王城から、通えない距離ではない。
道も、荷を運ぶのに十分そうに見えた。
「周りは」
「ほかの商家の倉がございます。ただ、入口は一つです。隣の倉とは壁を隔てております」
「倉の鍵は」
「いまは、私と倉役が一本ずつ持っております。専用にされるのであれば、扱いを改めます」
俺は宗玄へ目を向けた。
宗玄が頷く。
「現地を確認いたしましょう。修繕と警備についても、そこで詰める必要がございます」
「そうしてくれ」
俺は紗那へ向き直った。
「今日、ここですべてを決めろとは言わない。契約の文を作る。そなたも、従業員をどう動かすか考えてほしい」
「はい」
「出所を尋ねないという条件は、軽いものではないと思う。引き受ければ、そなた自身が疑問を抱くこともあるだろう」
紗那は、しばらく黙った。
それから、帳面の上へ手を置いた。
「商いをしておりますと、売り手が話したがらぬ事情に触れることはございます」
丁寧な声だった。
「すべてを知ってからでなければ、荷を動かせぬわけではございません。ただ、私の名で納める品に不備がございましたら、私にも責任が生じます」
「ああ」
「そこを確かめることをお許しいただけるのでしたら、お話を進めとうございます」
俺は、ようやく息を吐いた。
まだ、契約が結ばれたわけではない。
倉も見ていない。
信頼できると決めきるには、早いのだろう。
それでも、話ができた。
ただ頭を下げて従う相手ではなく、必要な条件を返してくれる者が、目の前にいた。
「頼みたい」
俺は言った。
紗那は、深く一礼した。
そして顔を上げると、帳面の新しい頁を開いた。
「では、陛下。まず、お預かりする品の種類と量を、お聞かせいただけますでしょうか」
俺は口を開きかけて、止まった。
宝庫の中の景色が浮かぶ。
二十袋の小麦。
矢と工具の木箱。
縄。
灯り。
薬。
銀貨。
それから、まだ取り出すつもりのない破砕薬。
「……まず、穀物だ」
紗那が筆を持った。
「どれほどでございましょう」
「小麦が、一トン」
筆先が止まった。
紗那は、俺の顔を見た。
俺も見返した。
少しの間を置いて、彼女は静かに尋ねた。
「それは、一度に倉へ入ると考えてよろしいでしょうか」
「ああ」
紗那は頷いた。
驚いたままではいなかった。
「でしたら、床へ直に置かぬための敷板と、荷を動かす者を先に用意いたします」
筆が動き出す。
「袋の数は、お分かりになりますか」
「五十キロが、二十袋だ」
「承知いたしました。ほかには」
俺は、次の木箱を思い浮かべた。
手に入れたときには、出す場所に困った。
いまは、出したあとを考えてくれる者がいる。
それだけで、宝庫の中の荷物が、少し違って見えた。
「矢が、百本。それから、工具が一式ある」
紗那の筆が、紙の上を進んでいった。




