↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/14

第七話 倉庫を持つ商会

机の上を空けたところで、俺は椅子へ座り直した。


 宝庫の文字が、目の前に浮かんでいる。


【所持ポイント:一二〇〇】


 千二百。


 初めてこの力を使ったときには、一回だけだった。


 何が出るのかも分からずに引き、鑑定を得た。


 そのあとに引いた三回では、薬と土壁の巻物、それから朔へ渡した遠見が出た。


 四回引いたときには、物資を出す場所に困った。


 今回は、それより多い。


 俺は、机の脇へ寄せた石切場の図を見た。


 入口から少し下り、右へ曲がる通路。


 その先は、白いままだった。


 あそこへ進む者たちのために、何かが欲しい。


 そう思ったとき、宝庫の手前へ新しい文字が重なった。


【討伐ポイントを獲得しました】


【獲得ポイント:+一〇〇】


 俺は息を止めた。


 百。


 どこかで、また強い魔物が倒されたのだろうか。


 通知は、それ以上のことを教えてくれなかった。


【所持ポイント:一三〇〇】


 千三百になった。


 十回、まとめて引ける。


 そのあと、三回。


 俺は窓へ目を向けた。外は、もう暗くなっていた。


 ここから見える範囲に、戦いの気配はない。


 城下の灯が、いつものように点在している。


 その向こうで、誰かが槍を握っている。


 俺は視線を戻した。


【十回召喚】


【消費ポイント:一〇〇〇】


 まとめて引いたからといって、よいものが約束されるわけではない。


 一回ずつ引くのと、必要なポイントも変わらなかった。


 ただ、十回分を一度に受け取れる。


 俺は、その文字を選んだ。


 光が広がった。


 今までより、長く感じた。


 宝庫の奥へ、木箱が現れる。


 麻袋。


 革袋。


 見慣れない金属の器具。


 順に形を得たものが、静かに並んでいった。


     *


 最初に目へ入ったのは、矢の木箱だった。


【軍用矢・百本入り木箱】


【矢羽根、矢柄、鉄製矢尻を備えた軍用矢】


 前と同じだ。


 それだけで、少し安心した。


 使える弓へ合わせて回す必要はある。だが、調べる者も、渡す相手も、すでに分かっていた。


 石切場で戦ったあとなら、矢はまた減っているはずだった。


 俺は、その隣へ目を移した。


【穀物・五十キロ入り十袋】


【食用に適した乾燥小麦。製粉、加熱などの調理を要する】


 五百キロ。


 また、十袋。


 前回、備品倉へ並べたときの景色を思い出す。


 袋は、数字で考えるより大きかった。


 運び出すには人が要り、食べるには手間が要る。


 それでも、食料だった。


 腹を満たすものがある。


 そのことが、いまは何よりありがたかった。


 三つ目は、革袋だった。


【銀貨・百枚】


【銀製の貨幣】


 直澄の顔が浮かんだ。


 荷車の借り受け代。


 車輪の修理。


 馬の飼料。


 銀貨は、渡した途端にさまざまな支払いへ分かれていく。


 けれど、それで動き始めるものがあった。


 四つ目は、小さな石の袋だった。


【下級魔石・十個】


【魔力を蓄えた石。対応する魔道具の動力として使用できる】


 袋の口から、薄い青色の石が見えた。


 親指の先ほどの大きさだった。


 鉄嶺で採れるものと同じ種類なのかは、分からない。


 ただ、魔石で動く道具があることは知っていた。


 城の灯りにも、使われているものがある。


 問題は、何へ使うかだった。


 その答えのように、五つ目の説明が浮かんだ。


【照明の魔道具・一基】


【魔石を動力として光を発する携帯灯。燃焼による煙を生じない】


 俺は、少し身を乗り出した。


 金属の枠に、白い石のようなものが収まっている。


 上には持ち手があった。


 油皿も、芯も見えない。


 これが、光るのか。


 煙を出さない。


 説明のその一文へ、目が止まった。


 景綱の報告に、松明の煙が溜まる場所があるかもしれないと書かれていた。


 これなら、その心配を一つ減らせる。


 だが、一基だけだった。


 どれほどの範囲を照らせるのか。


 魔石一つで、どれだけ使えるのか。


 俺には分からない。


 それでも、調べる価値はあった。


「……よし」


 小さく声が出た。


 六つ目も、見慣れた品だった。


【止血薬・十包】


【傷口に使用し、出血を抑える。深い損傷を修復する効果はない】


 紙包みが十。


 玄庵へ渡す。


 そのあと、前線へ送る分と、王都へ残す分を決めてもらう。


 使い道を考える必要がないわけではない。


 ただ、相談する相手が分かっているだけで、ずいぶん違った。


 七つ目は、縄だった。


【麻縄・五十メートル巻き三本】


【運搬、固定などに用いる丈夫な麻縄。損傷や荷重により破断する】


 丈夫だと書かれていても、切れないわけではない。


 そのことまで、説明されていた。


 俺は巻かれた縄を見た。


 ダンジョンで道を見失わないためにも使える。


 石を動かすにも、荷を縛るにも必要だった。


 地味なものばかりだ。


 けれど、いま欲しいのは、そういうものだった。


 次の品を見るまでは。


     *


【鉱山用破砕薬・三包】


【岩盤や障害物の破砕に用いる。使用には専門知識を要する】


 俺は、伸ばしかけていた手を止めた。


 宝庫の中にあるのだから、触れるわけではない。


 それでも、反射的に止まった。


「……破砕薬」


 文字を読み直す。


 小さな包みが三つ、蓋のある箱へ収められていた。


 見た目だけなら、薬の包みと大して変わらない。


 だが、書かれている用途は違う。


 岩盤を砕く。


 障害物を壊す。


 俺は、石切場の図へ目を向けた。


 道を塞いでいる崩石。


 兵が一人ずつ通ったという、南の狭い進入路。


 使えるかもしれない。


 そう思ったあとで、説明の最後をもう一度読んだ。


 専門知識を要する。


 俺にはない。


 景綱が知っているとも限らなかった。


 必要だからといって、そのまま渡してよい品ではない。


「これは、まだ出さない」


 誰に聞かせるでもなく、そう決めた。


 少なくとも、扱い方を知る者へ相談するまでは。


 九つ目は、別の木箱だった。


【鉄製工具一式】


【つるはし二本、鉄製シャベル二本、鉄梃二本、大槌一本、小槌二本、鏨四本。各工具に適した柄を備える】


 こちらは、分かるものが多かった。


 つるはし。


 シャベル。


 槌。


 鉄梃という名の、長い鉄の棒もある。


 説明を意識すると、重いものを持ち上げたり、ずらしたりするための道具だと分かった。


 鏨は、石や金属の加工に使うらしい。


 俺は、工具の並んだ箱を見つめた。


 石切場へ送れば、道を整えられるだろうか。


 魔物を倒す武器ではない。


 だが、担架が通れる道を作れれば、それで助かる者がいる。


 直すべき橋もあった。


 どこへ回すかは、使う者に聞こう。


 最後の品へ目を移したところで、俺は口を開けた。


【穀物・五十キロ入り十袋】


【食用に適した乾燥小麦。製粉、加熱などの調理を要する】


「……またか」


 嫌だったわけではない。


 むしろ、ありがたい。


 ただ、さっき見た十袋の横へ、さらに十袋が並んでいる。


 合わせて二十袋。


 一トン。


 俺は、椅子の背へ体を預けた。


 備品倉へ出したとき、十袋で中央が狭くなった。


 今回は、その倍だ。


 しかも、ほかにも木箱がある。


 縄もある。


 まだ、三回引ける。


 俺は天井を見た。


「……どこへ出すんだ、これ」


     *


 残る三百ポイントを、そのままにすることもできた。


 だが、照明が出た。


 魔石もある。


 次に何が出るかを確かめてから、送るものをまとめたかった。


 俺は姿勢を戻し、一回召喚を選んだ。


 光の奥に、薄い札のようなものが現れた。


【スキル:危機感知】


【自身に迫る危険を感覚的に察する。危険の正体や正確な位置までは分からない】


 久しぶりのスキルだった。


 俺は、その説明を見つめた。


 朔へ渡した遠見とは違う。


 見える範囲を広げる力ではなく、危険へ気づく力。


 暗い通路で、役立つだろうか。


 背後から近づくものに、気づけるだろうか。


 けれど、どこまで察せるかは、説明だけでは分からなかった。


 習得するか。


 そう問う文字が、手前へ浮かんだ。


 俺は選ばなかった。


 自分が持つべきか。


 誰かへ渡すべきか。


 いまは決められない。


 そして、前線へ物資と一緒に送ることもできなかった。


 スキルを渡すには、相手が目の前にいなければならない。


 本人が望み、俺が直接触れる。


 朔の肩へ手を置いたときの感触を、思い出した。


 あのとき渡した遠見は、もう戻せない。


 これも同じだ。


「……保管でいい」


 札のようなものは、宝庫の奥へ収まった。


 十二回目。


【銀貨・百枚】


【銀製の貨幣】


 また、革袋だった。


 これで二百枚。


 俺は、使い道を思いつくより先に、直澄へ確認しなければと思った。


 どこへ払えば、止まっているものが動くのか。


 俺が知らない支払いは、まだ多い。


 最後の一回を選ぶ。


 巻物が現れた。


【治癒のスクロール・一枚】


【対象一名の傷の修復を促す。蘇生、失った部位の再生、失血の補填はできない】


 息が止まった。


 俺は、その説明を何度も読んだ。


 止血薬とは違う。


 傷を、治せる。


 だが、一人だった。


 一枚だけ。


 負傷者を運んできた荷車が、頭へ浮かぶ。


 浅い呼吸。


 白い顔。


 痛みをこらえる口元。


 誰へ使う。


 その問いが、すぐに生まれた。


 俺は巻物を見たまま、しばらく動けなかった。


 自分で決めなければならないのだろうか。


 そう思いかけて、玄庵の顔を思い出す。


 分からないなら、聞く。


 使うべき相手を選ぶための判断まで、鑑定や宝庫がしてくれるわけではなかった。


 巻物も、いまは宝庫へ残した。


【所持ポイント:〇】


 十三回。


 すべて引き終えた。


 何もないはずの部屋が、ひどく狭く感じられた。


     *


 取り出してはいない。


 それなのに、荷物に囲まれているような気分だった。


 小麦一トン。


 矢の木箱。


 工具の木箱。


 縄。


 照明。


 魔石。


 薬。


 銀貨。


 危ないものまである。


 俺は、備品倉の見取りを頭の中へ描こうとして、やめた。


 入るかどうかだけの問題ではなかった。


 前回は、人払いをして取り出した。


 そのあと、宗玄たちを呼んだ。


 だが、これを何度も続けたらどうなる。


 王が倉へ入る。


 誰も荷を運び入れていない。


 出てきたときには、穀物が積まれている。


 一度なら、見ていなかった荷があったと思うかもしれない。


 二度、三度と続けば。


「どうしよう……」


 俺は額へ手を当てた。


 物が足りなければ困る。


 手に入っても、困る。


 出すだけなら、すぐにできる。


 けれど、出したあとには人が触る。


 運ぶ者が、数える者が、見張る者がいる。


 それを、いつまでも城の隅で続けられる気がしなかった。


 机の上へ紙を引き寄せる。


 必要なのは、場所。


 人。


 運ぶ手段。


 それから、外へ説明できる形。


 俺は、その四つを書いた。


 眺めているうちに、一つの考えが浮かんだ。


 倉庫を持ち、品を運び、売り買いする者。


 商人。


 物が集まり、また出ていくことを、誰も不思議に思わない場所。


 そこなら。


 俺は立ち上がった。


「弥一」


 戸の外から、返事があった。


「はい、陛下」


「宗玄を呼んでくれ。まだ休んでいなければ、少し話したい」


「承知いたしました」


 足音が遠ざかる。


 俺は、机の紙を見た。


 商人なら、誰でもいいわけではない。


 秘密を守れる者。


 品物を粗末にしない者。


 運び方を知る者。


 そして、王の頼みだからといって、できないことまで頷かない者がよかった。


     *


 宗玄は、ほどなくして来た。


 俺は椅子を勧め、紙を見せた。


「王都に倉庫を持つ商会を探したい」


 宗玄の視線が、書きつけた四つを追う。


「新たな調達先でございますか」


「調達も、保管も、輸送も任せたい。私が用意する品を、城の外で扱えるようにしたいのだ」


 宗玄は、少し黙った。


 前回の小麦を思い出したのだろう。


「どれほどの規模を、お考えでしょう」


「倉庫一棟を、ほかの荷と分けて使えること。荷車や船を、自前で持っていなくとも手配できること。それから、帳簿がきちんとしていることだ」


「承知いたしました」


「ただ、大きな商会とは限らなくていい」


 俺は言葉を選んだ。


「経営に行き詰まっていても、仕事に落ち度がなく、立て直せるだけのものが残っているなら、候補にしてほしい」


 宗玄が顔を上げた。


「支援と引き換えに、新たな仕事を任せるおつもりですな」


「ああ」


 俺は頷いた。


「だが、困っていれば何でも従うだろう、という選び方はしたくない。何に困っているかも調べてくれ」


「借金の理由と、取引の評判まで確認いたします」


「頼む」


 宗玄は紙を受け取った。


 その指先が、わずかに止まる。


「陛下」


「何だ」


「品の出所については、商会へどこまでお話しなさいますか」


 俺は、すぐには答えられなかった。


 宗玄にも、全部は話していない。


 信じていないのではない。


 ただ、一度話せば、その者も秘密を抱える。


 知る者が増えれば、守るために必要なことも増えるだろう。


「私が用意する。それ以上は、いまは伏せたい」


 宗玄は、静かに頷いた。


「では、その条件を受け入れられる相手を選ぶ必要がございます」


「ああ」


「ただし、品の性質まで伏せては、扱う者が困ります」


 俺は、宝庫の中の箱を思い出した。


 鉱山用破砕薬。


「それは伝える。危険なものを、知らぬまま運ばせるつもりはない」


「承知いたしました」


 宗玄が立ち上がった。


 俺は、その背へ声をかけた。


「調べる者にも、まだ詳しい目的は伝えなくていい。調達先を増やすためだと」


「かしこまりました」


 戸が閉じた。


 俺は、ようやく椅子へ深く座った。


 明日には、何か分かるだろうか。


 宝庫の中では、二十袋の小麦が、取り出されるのを待っていた。


     *


 翌朝、朔はダンジョンの入口に立っていた。


 外には日が差している。


 だが、穴の奥は、昨日と同じように暗かった。


 今日は、調査の組が二つに分けられていた。


 一組が入る。


 もう一組は、入口で待つ。


 中から戻れば、話を聞き、記録を確かめる。


 長く続けて入らない。


 景綱が決めたやり方だった。


「今日は、右の角までだ」


 前に立つ盾兵が言った。


「その先に、戻れる場所を一つ作る。敵が多ければ、そこで終わりにする」


 朔は頷いた。


 縄の先を、外の目立つ場所へ結ぶ。


 途中で足へ絡まぬよう、壁際へ寄せながら進むことになっていた。


 松明へ火がつく。


 昨日と同じように、盾が先へ入った。


 朔は、その後ろへ続く。


 外の光が、背中へ遠ざかっていく。


 足元に、昨日の血の跡があった。


 小鬼を倒した場所だった。


 死骸は、外へ運び出されている。


 だが、奥から新たに来たものがいないとは限らなかった。


 誰も、歩幅を大きくしなかった。


 右へ曲がる角が見える。


 先頭が止まる。


 松明を、少し前へ出す。


 壁に、兵の影が揺れた。


 朔は、自分の呼吸を聞いていた。


 足音より、それが大きい気がした。


「見えるか」


 盾兵が囁いた。


 朔は、角の陰から先を見た。


 通路が続いている。


 その途中に、左右へ開いた場所があった。


 扉はない。


 人が入れる幅の、四角い口だった。


「左右に、部屋がございます」


 外へ伝えるときの癖で、言葉が少し硬くなった。


「奥は見えません。通路の先にも、まだ曲がりがあります」


「まず、右を確かめる」


 盾兵が告げた。


 全員が、一度に角を越えることはしなかった。


 一人を手前へ残す。


 声が届く。


 その確認をしてから、朔たちは進んだ。


     *


 最初の部屋は、小さかった。


 壁際に石が張り出し、棚のようになっている。


 中央には何もない。


 床に、割れた骨らしきものが落ちていた。


 人のものか、獣のものかは分からなかった。


 朔は近づかなかった。


 天井を照らす。


 壁の際を見る。


 入り口のすぐ裏も、盾兵が確かめる。


 動くものはいなかった。


「空だな」


 後ろの兵が、小さく言った。


「見えた範囲では、な」


 盾兵が返した。


 朔は、その言い方を覚えた。


 空だ、と決めてしまえば、次に来る者も安心して入る。


 だが、隠れる場所が本当にないかどうかは、まだ分からない。


 床を、短い槍の柄で軽く確かめた。


 石は動かなかった。


 奥まで行かず、入口から見えるものを紙へ残す。


 部屋の数。


 入り口の位置。


 おおよその形。


 それだけでも、外の白い地図は埋まっていく。


 次は、左の部屋だった。


 近づく前から、音がした。


 爪が石を擦る音。


 何かを噛むような、湿った音もする。


 盾兵が手を上げた。


 全員が止まる。


 朔は、松明の光が届く範囲へ目を向けた。


 小鬼がいた。


 一匹ではなかった。


 壁際に、二匹。


 床へ伏せたものが、もう一匹。


 その奥は、暗かった。


 朔は指で数を示した。


 盾兵が頷く。


 無理に部屋へ入らず、通路の角まで引く。


 引きながら、壁へ短い線を残した。


 ここは、まだ確かめ終えていない。


 後ろの者へ、そう伝えるためだった。


 その途中で、小鬼が顔を上げた。


 松明を見た。


 叫ぶ。


 朔たちは、足を速めた。


 だが、走らなかった。


 曲がり角で、盾兵が止まる。


 幅のある部屋から出てきた小鬼は、通路へ入ると一度に並べなくなった。


 最初の一匹が盾へぶつかった。


 槍が伸びる。


 倒れた体へ、後ろの小鬼がつまずいた。


 その間に、角の手前へ残していた兵が声を上げた。


「敵三、接近!」


 入口の方へ、声が伝わっていく。


 朔は弓を持っていた。


 だが、前には味方がいる。


 ここでも、射られる場所はなかった。


 彼は弓を背へ戻し、倒れた小鬼へ槍が届くよう、松明の位置を見ながら道を空けた。


 戦いは短かった。


 三匹が倒れたあと、奥から追ってくるものは見えなかった。


 盾兵が、大きく息を吐いた。


「今日は、ここまで戻る」


 誰も異を唱えなかった。


     *


 外へ出たとき、朔は目を細めた。


 日差しが眩しい。


 石切場の音が、一度に戻ってきた。


 石を動かす音。


 見張りの声。


 水を運ぶ兵の足音。


 中では聞こえなかったものばかりだった。


 景綱は、入口から離れた石の上へ座っていた。


 朔たちの姿を見ると、まず人数を確かめた。


「全員、戻りました」


 盾兵が答えた。


「負傷は、ございません」


「よし。報告を」


 朔は紙を広げた。


 右へ曲がる通路。


 左右の小部屋。


 右には、動くものを確認せず。


 左には、小鬼三匹。


 その三匹を、通路まで引き出して討伐。


「奥へは」


「進んでおりません。さらに先に、曲がり角が見えました」


「それでよい」


 景綱が頷いた。


 紙の上へ、図が描き足される。


 昨日は、一本だけだった。


 今日は、部屋が二つ増えた。


 少ししか進んでいない。


 朔はそう思った。


 けれど、景綱は地図を見てから、待機していた別の組を呼んだ。


「次は、左の部屋を確かめる。通路の角には兵を残せ。奥の調査と、背後の確保を同じ者へやらせるな」


「はっ」


「一度空けた場所にも、見張りを置く。どこから新たに来るか、まだ分からん」


 別の組が準備を始める。


 朔は、地図を見直した。


 自分たちが戻ってきた道を、次の者が使う。


 その次には、また別の者が使う。


 入口から奥へ、一人で歩き続けるのではなかった。


 少しずつ、人の立てる場所を増やしていく。


 景綱は、それをしていた。


     *


 王都では、昼前に宗玄が来た。


 直澄も一緒だった。


 二人が揃っているのを見て、俺は机の上を空けた。


「候補が見つかったか」


「いくつかございます。その中で、陛下のお話に合うと思われる商会が一つ」


 宗玄が、薄い書付を置いた。


「水明商会でございます」


「水明……」


 聞き覚えがあるようで、なかった。


 俺が知らない商会など、王都にはいくらでもある。


 宗玄は続けた。


「王都に店と倉庫を持ち、水瀬との間で穀物や鉱物を扱っております。先代のころから、王国への納入もございました」


「経営に問題があるのか」


 宗玄が、直澄へ目を向けた。


 直澄は、持っていた帳面を開いた。


「遠征軍へ納めた物資の代金が、支払われておりません」


 俺は黙った。


「小麦、布、荷造り用の縄。それから、借り受けた荷車の手配も、一部を担っております」


「どれほど遅れている」


「当初の期日は、すでに過ぎております。その後、一部を支払う約束もございましたが、そちらも滞っております」


 俺は、書付へ目を落とした。


 経営に困っている商会を探してほしいと頼んだ。


 見つかった理由が、王国の未払いだった。


「商会は、それで」


「仕入れ先への支払いが迫っております。運ぶ荷が減り、従業員への給金も遅れ始めているようです」


「品物の不備や、納入の遅れは」


 直澄が帳面をめくった。


「記録上、今回の納入は受領済みでございます。不足を理由に支払いを止めたものではございません」


 俺は息を吐いた。


 怒る相手が、目の前にいるわけではなかった。


 直澄一人で払えるものでもない。


 だが、払えないという言葉で、その先の暮らしが止まることを、俺は分かっていなかった。


「会長は」


「紗那と申す、二十七の女性です」


 宗玄が答えた。


「父から商会を継いで、まだ日が浅うございます。ただ、父の存命中から帳簿と仕入れを手伝っておりました。取引先から、品をごまかしたという話は出ておりません」


「人柄は」


「少なくとも、支払いを待たせている相手から逃げてはおりません。自分で出向き、期日の延長を頼んでおります」


 俺は顔を上げた。


「会えるか」


「使いを出せます」


「頼む。契約書と、未払いの内訳を持ってきてもらってくれ」


「承知いたしました」


 宗玄が立ち上がる。


 直澄は、そのまま残った。


 俺は彼を見た。


「返せる分を、確認しておきたい」


「はい」


「新しい取引の話と、すでに借りている金の話を、混ぜたくない」


 直澄は、静かに頷いた。


 俺は机へ指を置いた。


「まず、何が支払われていないのかを知りたい。私にも、分かる形で頼む」


「かしこまりました」


 直澄が、帳面をこちらへ向けた。


     *


 紗那が城へ来たのは、午後だった。


 豪華な服ではなかった。


 濃い藍色の着物に、飾りの少ない帯。


 持っている包みは、何度も使われているのだろう。角の辺りに、擦れた跡があった。


 部屋へ入ると、彼女は深く頭を下げた。


「水明商会の紗那と申します。お召しにより参りました」


「顔を上げてくれ。今日は、話を聞くために呼んだ」


「ありがとうございます」


 紗那が顔を上げた。


 俺は、一瞬、言葉を探した。


 疲れている。


 そう見えた。


 背筋は伸びていたが、目の下に薄い影がある。包みを持つ手には、力が入りすぎていた。


 俺は、鑑定を使った。


【名前】紗那

【年齢】27歳

【役職】水明商会会長


HP:78/103

MP:22/26


筋力:9

耐久:10

敏捷:11

魔力:10

器用:18


【スキル】

算術

交渉

在庫管理


【状態】

睡眠不足

疲労


 表示を消す。


 分かったのは、疲れていることと、持っている技だけだった。


 誠実かどうかも、秘密を守るかどうかも、そこにはなかった。


 話して、確かめるしかない。


「座ってくれ」


「失礼いたします」


 紗那が椅子へ腰を下ろした。


 俺の横には宗玄と直澄。


 向こうには、紗那一人だった。


 それだけで、話しにくいだろうと思った。


「水を」


 女官へ頼む。


 紗那は、差し出された椀へ礼を述べたが、すぐには口をつけなかった。


「遠征軍への納入について、聞いている」


 俺は切り出した。


「代金が、まだ払われていないそうだな」


「はい」


 紗那は、包みを開いた。


 帳面と、折り畳まれた契約書。


 それから、受領の印が押された書付を並べる。


「こちらが納入の契約でございます。こちらが受領書。支払いの延期についていただいた書面は、その下にございます」


 直澄が受け取り、確認した。


 紗那は、俺の顔を見ていた。


「本日は、その件でお呼びいただいたのでしょうか」


「それもある。まず、現状を聞かせてほしい」


 彼女は、少しだけ唇を結んだ。


 どこまで言うべきか、考えているようだった。


「仕入れ先への支払いを、二度、延ばしていただいております」


 やがて、静かに話し始めた。


「次の期日を過ぎますと、新しい品を仕入れることが難しくなります。従業員への給金も、全額を渡せておりません」


「何人いる」


「店と倉庫、それから荷の手配をする者を合わせて、十八人です。荷運びは、必要に応じて別に雇っております」


「倉庫は」


「王都に三棟ございます。一棟は、いまはほとんど空いております」


 俺は、表情が変わらないよう気をつけた。


 空き倉庫がある。


 それは、俺にとって都合がよかった。


 紗那にとっては、荷がないということだった。


「船や荷車は、自前か」


「荷車はございますが、数は多くありません。船は水瀬の船主へ頼んでおります」


「頼めば、すぐ動かせるか」


 紗那は、初めてはっきり首を横へ振った。


「荷と行き先によります。空きがなければ待つことになりますし、前の支払いが滞れば、こちらの依頼も後へ回されます」


「そうか」


「申し訳ございません。陛下のお求めになる日までに、必ず、とお約束することはできません」


「できぬものは、そう言ってほしい」


 俺は答えた。


 紗那が、わずかに目を上げた。


 俺は、机の上の契約書を見た。


「納めた品に問題があったとは、聞いていない。直澄」


「はい。こちらの記録と、受領書は一致しております」


 直澄が答える。


 紗那の指が、膝の上でわずかに動いた。


「未払い分については、一部を先に支払えるようにしたい。残る分も、期日を曖昧にしたままにはしない」


 紗那は、すぐには返事をしなかった。


「……恐れながら」


「言ってくれ」


「前にも、同じお約束をいただいております」


 部屋が静かになった。


 紗那の顔は、少し白くなっていた。


 言ってはいけないことを言ったと、思ったのかもしれない。


 俺は頷いた。


「ああ。その書面も、ここにある」


 延期の書付を示す。


「だから、そなたがすぐ信じられぬのは分かる。支払う額と日を示す。曖昧な言葉だけで、仕入れ先を待たせろとは言わない」


 紗那は、ゆっくり頭を下げた。


「ありがとうございます」


 その声には、まだ安堵より緊張が残っていた。


     *


 未払いの確認が済んでから、俺はもう一つの話を切り出した。


「水明商会へ、新しい仕事を任せたい」


 紗那が顔を上げる。


「新しい、仕事でございますか」


「ああ。私が用意する品を預かり、必要な場所へ納めてほしい。調達や輸送も、引き続き頼みたい」


「品は、どちらから運び込まれるのでしょう」


 俺は、一呼吸置いた。


「その前に、条件がある」


 紗那の背が、わずかに伸びた。


「倉庫を一棟、私が自由に使えるようにしてほしい。ほかの荷とは分け、人の出入りも管理できる場所だ」


「王家専用の倉庫として、貸し出すということでしょうか」


「そう考えてよい」


「でしたら、空いている倉の広さと立地を、ご確認いただけます。ですが、修繕が必要な箇所もございます」


 返事は早かった。


 よいことだけを言わない。


 俺は、そのことを覚えた。


「私がその倉を使う間は、人を入れないでほしい。使い終えたあと、用意した品をそなたへ引き渡す」


 紗那の目が、俺の顔へ止まった。


「その品は、水明商会の調達品として、外へ納めてもらいたい」


 彼女は黙った。


 宗玄も、口を挟まなかった。


 俺は続けた。


「品の出所と、倉の中で何をするかは、尋ねぬこと。他言も避けてほしい」


 紗那の指が、帳面の端へ触れた。


 すぐに頷くと思っていたわけではない。


 だが、待っている間に、俺の方が息苦しくなった。


 断られるかもしれない。


 そうなれば、別の方法を考えるしかない。


「陛下」


 やがて、紗那が口を開いた。


「倉へ入る者を制限し、預かった品を運ぶ。それ自体は、お引き受けできる仕事でございます」


 俺は頷いた。


「ただし、品を検めることは、お許しいただけますでしょうか」


「ああ」


「品質の分からぬ食料や、扱い方の分からぬ危険物を、そのまま従業員へ運ばせるわけにはまいりません」


「それは、私も同じ考えだ。検査はしてもらう。分かっている性質も伝える」


 紗那の目が、少しだけ和らいだ。


「帳簿は、いかがいたしましょう」


「内部では、王から預かった品として記録する。数も、金額も、ごまかさない」


 直澄が頷いた。


「私どもの記録とも、照合いたします。商会が実際に購入した品とは、内訳を分けていただきます」


「承知いたしました」


 紗那は、初めて直澄へはっきり目を向けた。


 帳簿の話なら、何をすべきか分かるのだろう。


「外へ出す際は、水明商会からの納入とする」


 俺は言った。


「保管と輸送、それから販売を頼む場合には、その手数料も払う。名だけ借りるつもりではない」


「御用の調達を、継続してお任せいただけると」


「ああ。御用商人として取り立てることを考えている」


 紗那の呼吸が、一度、止まった。


 彼女はすぐに頭を下げなかった。


 机に置かれた契約書へ目を落とし、それから俺を見た。


「ありがたいお話でございます。ただ、肩書をいただいたとしても、仕入れの金がなければ、荷を集めることはできません」


「分かっている」


 俺は答えた。


「今回の仕事に必要な前金も、条件を決める。王の注文だからといって、そなたの商会がすべて立て替える形にはしない」


 紗那は、ゆっくり息を吐いた。


 その肩が、ほんの少し下がった。


     *


 窓の外で、鳥の声がした。


 部屋の空気は、面会の初めとは変わっていた。


 紗那は、膝の上へ置いていた手を、机へ移している。


 帳面を開き、倉庫の場所を示した。


「こちらの一棟であれば、裏手から荷車を入れられます。表の店を通す必要はございません」


 俺は、その図を見た。


 王都の中だった。


 王城から、通えない距離ではない。


 道も、荷を運ぶのに十分そうに見えた。


「周りは」


「ほかの商家の倉がございます。ただ、入口は一つです。隣の倉とは壁を隔てております」


「倉の鍵は」


「いまは、私と倉役が一本ずつ持っております。専用にされるのであれば、扱いを改めます」


 俺は宗玄へ目を向けた。


 宗玄が頷く。


「現地を確認いたしましょう。修繕と警備についても、そこで詰める必要がございます」


「そうしてくれ」


 俺は紗那へ向き直った。


「今日、ここですべてを決めろとは言わない。契約の文を作る。そなたも、従業員をどう動かすか考えてほしい」


「はい」


「出所を尋ねないという条件は、軽いものではないと思う。引き受ければ、そなた自身が疑問を抱くこともあるだろう」


 紗那は、しばらく黙った。


 それから、帳面の上へ手を置いた。


「商いをしておりますと、売り手が話したがらぬ事情に触れることはございます」


 丁寧な声だった。


「すべてを知ってからでなければ、荷を動かせぬわけではございません。ただ、私の名で納める品に不備がございましたら、私にも責任が生じます」


「ああ」


「そこを確かめることをお許しいただけるのでしたら、お話を進めとうございます」


 俺は、ようやく息を吐いた。


 まだ、契約が結ばれたわけではない。


 倉も見ていない。


 信頼できると決めきるには、早いのだろう。


 それでも、話ができた。


 ただ頭を下げて従う相手ではなく、必要な条件を返してくれる者が、目の前にいた。


「頼みたい」


 俺は言った。


 紗那は、深く一礼した。


 そして顔を上げると、帳面の新しい頁を開いた。


「では、陛下。まず、お預かりする品の種類と量を、お聞かせいただけますでしょうか」


 俺は口を開きかけて、止まった。


 宝庫の中の景色が浮かぶ。


 二十袋の小麦。


 矢と工具の木箱。


 縄。


 灯り。


 薬。


 銀貨。


 それから、まだ取り出すつもりのない破砕薬。


「……まず、穀物だ」


 紗那が筆を持った。


「どれほどでございましょう」


「小麦が、一トン」


 筆先が止まった。


 紗那は、俺の顔を見た。


 俺も見返した。


 少しの間を置いて、彼女は静かに尋ねた。


「それは、一度に倉へ入ると考えてよろしいでしょうか」


「ああ」


 紗那は頷いた。


 驚いたままではいなかった。


「でしたら、床へ直に置かぬための敷板と、荷を動かす者を先に用意いたします」


 筆が動き出す。


「袋の数は、お分かりになりますか」


「五十キロが、二十袋だ」


「承知いたしました。ほかには」


 俺は、次の木箱を思い浮かべた。


 手に入れたときには、出す場所に困った。


 いまは、出したあとを考えてくれる者がいる。


 それだけで、宝庫の中の荷物が、少し違って見えた。


「矢が、百本。それから、工具が一式ある」


 紗那の筆が、紙の上を進んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。