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第十三話 帰ってきた者たち

大蜘蛛の死骸を運び出しても、ダンジョンの入口は消えなかった。


 朝の光が差す旧石切場で、景綱はその黒い穴を見ていた。核を砕いたとき、壁も床も崩れなかった。翌朝になっても、石の通路はそのまま残っている。


 ただ、出てくるものがいなくなった。


 それまで、見張りの兵は常に北を見ていた。木々が揺れるたび、声が聞こえるたび、槍を握り直していた。


 いまは、入口から戻る仲間の数を確かめている。


 その変化を、景綱はようやく実感し始めていた。


「第一層、残る部屋の確認を終えました」


 副官が報告した。


「第二層も、脇道まで見ております。生きた魔物は討ちましたが、見落としがないか、交代の組でもう一度確かめております」


「発生は」


「確認しておりません」


 景綱は頷いた。


 核を壊したあとも、しばらくは信じきれなかった。


 部屋の中で音がすれば、また現れたのかと思った。伝令が走ってくれば、次の群れが来たのではないかと顔を上げた。


 だが、記録は変わらなかった。


 これまで繰り返し魔物が現れていた場所も、静かなままだった。


「警備は、予定どおり残す。坑道へ入る者の名と、出た時刻を記録させろ。魔物が止まっても、怪我をせぬ場所になったわけではない」


「承知いたしました」


 副官が下がると、岳が来た。


 腕に抱えた箱には、布で包んだ石の欠片が入っている。


「調べる場所は、決まりそうか」


 景綱が尋ねた。


「まず、見つかった筋をたどり、どこまで続いているかを確かめます。ただ、無理に壁を掘り進めるつもりはございません」


 岳は箱を置き、蓋を開いた。


 灰色の石に、青紫の細い筋が入っている。その隣には、透き通った粒の混じる欠片があった。


「こちらは、魔鉱石を含んでいる可能性が高うございます。もう一方には、魔石らしい結晶が見えます」


「同じ場所で採れるのか」


「鉱床によって割合は違いますが、両方を含むことはございます。ただ、いま見えている分だけで、よい鉱山になるとは申し上げられません」


 景綱は、石の欠片へ目を落とした。


 どれほどあるのか。


 どれほどの価値があるのか。


 兵の自分には、見分けがつかなかった。


「王都へ、途中の報告を送ってくれ。陛下には、採れると決めつけぬよう伝える」


「ありがとうございます。私どもは、こちらへ残らせていただきます」


「ああ。警備の者へ、入る場所を伝えてからにしてくれ。調査する者が増える場合も、先に知らせろ」


「承知いたしました」


 岳は、布を丁寧に戻した。


 景綱は、その手元を見ていた。


 同じ石の壁を、これからは兵とは違う者たちが調べる。


 自分たちの仕事が終わったところから、別の仕事が始まろうとしていた。


     *


 帰還の支度には、二日かかった。


 使い終えた武具を集め、傷んだものと、現地へ残すものを分ける。補給の荷を数え直し、衛生兵は、傷ついた者のうち、誰を先に運ぶかを決めていた。


 王都から来た本隊のうち、二百名を現地と街道へ残すことになった。


 残る部隊は、先に後送された者や、亡くなった者の分まで名簿を確かめ、順に戻す。先遣隊も、一部を連絡のため残し、朔たちは景綱とともに帰還することになった。


 朔は、自分の荷をまとめると、入口の方を見た。


 岳と助手たちが、また地下へ入る準備をしている。


「まだ、休まれないのですか」


 声をかけると、岳が顔を上げた。


「今日は、入口に近いところだけです。朝のうちに見ておきたい場所がございまして」


「下の広間は、足元の悪いところが残っております」


「ええ。皆様がつけてくださった印を、確かめながら歩きます」


 岳は、腰の道具袋を締め直した。


 朔は、昨日描き直した地図を差し出した。


 入口から第三層まで、見つかった道と部屋を記してある。崩れた足場と、通れぬ場所も加えていた。


「書き込みが多く、読みにくいかもしれませんが」


 岳は地図を開き、しばらく眺めた。


「読みにくいところは、こちらで写し直します。何も描かれておらぬ図より、ずっとありがたいものです」


 そう言って、両手で受け取った。


 朔は、少しだけ照れくさくなった。


 壁の継ぎ目や、柱の位置を記してきた。戻るたびに書き足し、間違っていたところを直した。


 自分たちが歩いた跡を、今度は岳たちが使う。


「それでは、私は戻ります」


「はい。王都へ着かれましたら、よく休まれてください」


 岳は頷いた。


「またお会いするときには、何が採れそうか、もう少しお話しできると思います」


 朔は一礼した。


 入口から離れるとき、一度だけ振り返った。


 暗い穴の前へ、測るための道具が運ばれていく。


 槍を持つ兵は、その横で見張っていた。


     *


 南へ戻る道は、北へ進んだ日より、長く感じられた。


 朔は、隣を歩く騎兵と、しばらく話さずにいた。


 行きには、曲がり角の先を見るため、何度も足を止めた。森の音へ耳を澄まし、遠見を使い、後ろへ合図を送った。


 今日は、その役目を別の者が務めている。


 休んでよいと言われているのに、木々が動くたび、勝手に顔が向いた。


「癖になったな」


 隣の騎兵が言った。


「何がだ」


「ずっと、先を見ている」


 朔は自分の視線へ気づき、少し目を伏せた。


「何もいないと、落ち着かない」


「いれば、もっと落ち着かん」


「それは、そうだ」


 二人は小さく笑った。


 笑ってから、朔は後ろへ目を向けた。


 荷車が続いている。


 傷ついた者を乗せた車。その後ろに、布をかけた車があった。


 昨日まで生きていた二人も、この列で王都へ戻る。


 最初に橋で亡くなった二人を合わせ、今回の戦いで、四人が帰らぬ者となっていた。


 朔は、彼らの名を覚えていた。


 全員と親しかったわけではない。話したことのない者もいた。


 それでも、数だけで考えることはできなかった。


 列の前で合図が出る。


 少し休止するらしい。


 兵たちが道の脇へ寄り、水を飲む。荷車のそばでは、衛生兵が負傷者へ声をかけていた。


 朔は、腰を下ろせる石を探した。


 座ると、脚の重さが急に増した。


 隣の騎兵も、息を吐いて座る。


「王都へ着いたら、何をする」


 尋ねられ、朔は少し考えた。


「寝る」


「そのあと」


「……洗う」


「俺もだ」


 騎兵が、自分の袖へ顔を寄せ、すぐに離した。


「何日か、鼻が慣れていただけらしい」


 今度は、朔も声を出して笑った。


 少し前で、別の兵がこちらを見た。


 その男も、口元だけを緩めた。


     *


 帰還の知らせは、兵たちが王都へ着くより先に届いた。


 西門へ近づいている。


 そう聞いた瞬間、俺は机から立ち上がっていた。


 宗玄が、次に何を言うか、少し分かった。


「大がかりな式は要らない」


 先に伝えると、宗玄は頷いた。


「はい。兵舎へ戻る道と、負傷者を運ぶ道を、先に空けております」


「私も、西門で迎える」


「お支度を」


 弥一が戸を開けた。


 廊下へ出てから、自分の足が速くなっていることに気づく。


 急いで行ったところで、兵たちの歩く速さは変わらない。


 それでも、待っていられなかった。


 西門へ着くと、周辺にはすでに人が集まり始めていた。


 商人らしい者。


 荷を担いだまま足を止めている者。


 門の外へ、じっと目を向けている女もいた。


 兵の家族なのかもしれない。


 俺には分からなかった。


 ただ、皆の顔が、城の広間で見る顔とは違っていた。


 祝いに来たというより、確かめに来た顔だった。


 誰が戻るのか。


 どんな姿で戻るのか。


 俺も、同じものを待っていた。


 西門の外には、街道が続いている。


 遠くに見えるのは、農地と木々だった。月白川は、ここからは見えない。兵たちは橋を渡らず、東岸の道をたどって、長い西郊を越えてくる。


 やがて、見張りの声がした。


 旗が見えた。


 その下へ、槍の穂先が並んでいる。


 俺は、無意識に襟元へ手をやりかけた。


 途中で下ろす。


 王冠を戴いた日より、緊張していた。


     *


 隊列は、出ていった日と同じ姿ではなかった。


 槍の柄が替わっている。


 盾に、新しい傷がある。


 肩から腕を吊った者も、歩調を少し遅らせている者もいた。


 それでも、兵たちは前を向いて歩いていた。


 景綱の馬が、西門へ近づく。


 俺の姿を見つけたのだろう。少し離れた場所で止まり、馬を下りた。


 右足をつくとき、わずかに動きが慎重になった。


 それを見て、俺は先へ声をかけた。


「そのままでいい。膝をつくな」


 景綱が、顔を上げる。


 彼は姿勢を正し、深く頭を下げた。


「陛下。旧石切場に生じたダンジョン、その核を破壊し、魔物の発生停止を確認いたしました」


 門の近くが、静かになった。


「残存魔物の掃討と警備に必要な兵を残し、任を終えた部隊より、帰還いたしました」


 俺は、景綱の顔を見た。


 目の下が落ちくぼんでいる。


 頬の辺りも、出立前より少し痩せたように思えた。


 生きて、ここへ立っている。


 報告書で何度も読んだことが、目の前の姿になっていた。


「よく戻った」


 声が、少しだけ硬くなった。


 俺は、景綱の後ろへ目を向けた。


 並ぶ兵たちが、こちらを見ている。


「皆、よく戦ってくれた。領内の道と、人々の暮らしを守った働きに、感謝する」


 誰かが、握っていた槍を持ち直した。


 俺は続けた。


「負傷した者は、治療へ。ほかの者も、まず兵舎へ戻り、休め。詳しい報告は、そのあとでよい」


 景綱が、深く頭を下げる。


「ありがたく存じます」


 隊列が、再び動き始めた。


 俺の前を、兵たちが通る。


 顔が見える。


 若い者も、俺よりずっと年上の者もいた。


 一人ずつに声をかけたくなった。


 だが、立ち止まらせては、後ろが詰まる。


 俺は、その場に立って見送った。


 門の近くにいた女が、兵の名を呼んだ。


 男が顔を向ける。


 驚いたように目を開いたあと、わずかに笑った。


 列を離れることはしなかったが、その顔を見ただけで、女は口元を押さえた。


 俺は、二人からそっと視線を外した。


     *


 負傷者を乗せた車は、兵舎へ向かう列と分けられた。


 玄庵の指示を受けた者たちが、待っている。


 車が止まると、すぐに顔を覗き込み、名前と状態を確かめた。


 担架が一つ、下ろされる。


 そのあと、もう一つ。


 俺は通り道へ立たぬよう、少し脇へ寄った。


「陛下」


 玄庵が近づいてきた。


「受け入れを始めます。容体を確かめましたら、後ほどお知らせいたします」


「頼む」


 言えることが、それしかなかった。


 何か手伝いたいと思っても、ここでは動き方を知る者へ任せた方がよい。


 玄庵は、もう次の担架へ向かっていた。


 その後ろを、布で覆われた荷車が通った。


 周りの声が、少し低くなる。


 俺は、その車へ向き直った。


 景綱も立ち止まり、帽子を取った。


 二人が、そこにいた。


 奥の広間まで進み、戻れなかった二人。


 俺は頭を下げた。


 車輪の音が、ゆっくり近づき、また遠ざかっていく。


 顔を上げるまで、少し時間がかかった。


     *


 景綱には、その日のうちに長い報告をさせなかった。


 ただ、膝のことだけは、先に確かめることになった。


 王城の一室へ通し、椅子へ座らせる。俺も向かいへ腰を下ろした。


「先に言っておく。詳しい戦いの話は、明日でいい」


「ですが、陛下」


「報告書は届いている。いま聞きたいのは、歩けるかどうかだ」


 景綱は、少しだけ口を閉じた。


 俺は鑑定を使った。


【名前】景綱

【年齢】46歳

【役職】王都防衛指揮官


HP:207/286

MP:20/32


筋力:29

耐久:31

敏捷:23

魔力:10

器用:24


【スキル】

槍術熟練

盾術

弓術熟練

指揮


【状態】

右膝の古傷の悪化

疲労


 表示を消し、俺は景綱を見た。


「悪くなっているな」


「はい。地下での移動が続きましたので。ただ、歩くことはできます」


「それは、さっき見た」


 答えると、景綱は少し目を伏せた。


「前へ出続けたわけではございません。途中からは、弓と指揮へ回りました」


「報告にあった。隠さず伝えてくれたことも、助かった」


 俺は、肘掛けへ置かれた彼の手を見た。


 指の節へ、小さな傷がある。


「治療を受け、休め。その間の任務は、宗玄と副官たちで割り振る」


「承知いたしました」


「眠れそうか」


 景綱が顔を上げた。


 少し意外な問いだったのかもしれない。


「……眠れると存じます」


「なら、よかった」


 俺は頷いた。


 景綱の口元が、わずかに緩んだ。


「陛下も、お休みください」


 俺は返事に詰まった。


 それを見て、景綱がもう少しだけ笑った。


 初めて見る顔のように思えた。


「こちらが休んでいる間に、陛下が倒れられては困ります」


「分かっている」


 少しだけ早く答えてしまった。


 景綱は、それ以上言わず、一礼した。


 俺は立ち上がり、戸口へ控えていた者を呼んだ。


 膝を診てもらうこと。


 そのあと、食事をして休むこと。


 命じる内容が戦いのことではないのが、いまは嬉しかった。


     *


 朔が王城へ呼ばれたのは、翌朝だった。


 昨夜は、眠れないのではないかと思っていた。


 実際には、横になったあとのことを覚えていない。目を開けると明るくなっていて、しばらく、どこにいるのか分からなかった。


 地下ではない。


 それに気づいてから、ようやく体を起こした。


 洗った服へ着替え、王城へ向かう。


 廊下の床が、妙に平らに感じられた。


 石に足を取られる心配も、角の向こうへ魔物がいる心配もない。それでも、曲がる前に耳を澄ませてしまった。


 案内の者が戸を開ける。


 悠真は、机の前ではなく、窓際の席にいた。


「入ってくれ」


「失礼いたします」


 朔が頭を下げると、座るよう勧められた。


 向かいの椅子へ腰を下ろす。


 王の前で座ることには、まだ慣れなかった。


「眠れたか」


「はい」


「食事は」


「いただきました」


「そうか」


 悠真は頷いた。


 卓の上には、水と、少しの菓子が置かれている。


 朔は、それへ手を伸ばすことができなかった。


「遠見は、どうだった」


 尋ねられ、朔は顔を上げた。


「役立ちました。橋でも、石切場でも、先に敵を見つけられたことがございます」


 それから、少し言葉を選んだ。


「ただ、地下では、灯りのない場所は見えませんでした。柱の向こうも、曲がり角の先もです」


「報告を読んだ」


 悠真が答えた。


「照明を届けられて、よかったと思った」


「はい。あれがなければ、見えなかったものが多くございます」


 朔は、揺れない光を思い出した。


 柱の継ぎ目。


 床の糸。


 高い足場へ掛かる脚。


 その記憶へ引かれ、指が膝の上で曲がった。


 悠真は、少し待ってから尋ねた。


「怖かったか」


 朔は答えかけ、止まった。


 王の前へ持ってくる言葉として、よいものか迷った。


 だが、悠真は急かさなかった。


「……はい」


 朔は答えた。


「特に、最初に蜘蛛を見たときには。上ばかり見て、近くを見失いかけました」


 隣の騎兵に、肩をつかまれた。


 あの手がなければ、足元の小蜘蛛へ気づくのが遅れていただろう。


「組んでいる者に、何度も助けられました」


「そうか」


 悠真は、静かに聞いていた。


「遠くを見る役と、近くを見る役を分けたのだな」


「はい」


「なら、そなた一人へ渡したつもりの力を、皆で使ってくれたわけだ」


 朔は、顔を上げた。


 そう考えたことはなかった。


 遠見は、自分の持つ技だった。


 けれど、使うときには、いつも隣に誰かがいた。


 見る場所を教える者。


 近くを守る者。


 伝えた先で動く者。


 朔は、膝の上の手を少し開いた。


「……はい。私一人では、使いきれなかったと思います」


「戻ってきてくれて、よかった」


 悠真が言った。


 朔は、すぐに返事ができなかった。


 王城で肩へ触れられ、遠見を受け取った夜を思い出す。


 あのときには、ここまで何が起きるか、何も知らなかった。


「また、力をお使いください」


 そう言うと、悠真は少し眉を動かした。


「まずは休め。休暇のあとで頼む」


 朔は、ようやく口元を緩めた。


「承知いたしました」


 卓の上の椀へ手を伸ばす。


 水は、冷たすぎなかった。


     *


 正式な報告を聞いたのは、その日の午後だった。


 景綱と副官、それから記録をまとめた者が来た。宗玄と直澄も同席する。


 机の上へ、ダンジョンの地図が広げられた。


 最初に見たものより、ずっと大きい。


 入口から右へ曲がるだけだった線の先に、いくつもの部屋と分岐がある。柱の並ぶ広間と、第三層へ下る道。その奥へ、大蜘蛛と核のあった場所が描かれていた。


 俺は、しばらく地図を見た。


 白かったところが、埋まっている。


 兵たちは、この線の上を歩いた。


 ここで止まり、ここで戦い、ここを通って傷ついた者を運んだ。


 景綱が、戦いの経過を話し始めた。


 俺は途中で質問した。


 なぜ一度引いたのか。


 なぜ、そこで兵を替えたのか。


 何が足りず、何が役立ったのか。


 景綱は、うまくいったことだけを話さなかった。


「第二層へ初めて下りた際、脇道から回り込まれました。階段を背に、受ける場所を狭めて戻しております」


 その戦いで、治癒のスクロールが使われた。


 衛生兵の説明も添えられた。


 傷は塞がった。


 だが、失った血と体力は戻らず、引き続き療養が要る。


「いまは、粥を食べられるようになっております」


 宗玄が補った。


 玄庵から聞いたのだろう。


 俺は頷いた。


 助かったという一言のあとにも、その者の暮らしは続く。


 すぐに槍を持てるようになるわけではなかった。


 大蜘蛛との戦いについては、図を使って説明された。


 一度、予想と違う道へ動いたため、攻撃を待ったこと。


 落下後も、すぐには兵を入れなかったこと。


 小蜘蛛を止める組を分けたこと。


 話を聞きながら、俺は指を組んだ。


 書状では、数行だった。


 そこにあった時間が、いま、声になっている。


「皆、よく判断してくれた」


 話が一区切りついたところで、俺は言った。


「私は、図を見て薬を渡しただけだ。あの場所で使える形にしたのは、そなたたちだ」


 景綱が顔を上げる。


「陛下が、必要なものを送ってくださいました」


 俺が何か言う前に、彼は続けた。


「兵も、矢も、灯りも。現地で判断するよう命じてくださったことも、助かりました」


 俺は、言葉を探した。


 自分が戦ったわけではない。


 その事実は変わらない。


 けれど、何もできなかったわけでもないと、景綱は言ってくれていた。


「……そうか」


 ようやく、それだけ答えた。


 机の上の線が、少しにじんで見えた。


     *


 岳の報告は、景綱が持ち帰った書類の中にあった。


 調査継続中。


 いくつかの地点で、魔鉱石を含むと見られる岩盤を確認。


 同じ帯の中に、魔石と考えられる結晶も認められる。


 ただし、品質と埋蔵量は未確定。


 俺は、最後まで読んだ。


 採れると、喜びかけた気持ちが、途中で少し落ち着いた。


 掘るには、まだ分からないことがある。


 換気。


 水の流れ。


 傷んだ場所。


 運び出す道。


 岳は、その一つ一つを調査の項目として挙げていた。


「黒鉄鉱業へ、正式に調査を頼もう」


 俺は宗玄へ言った。


「岳たちだけで足りぬなら、必要な者を出してもらう。費用と期間の見積もりも求めてくれ」


「承知いたしました」


「ただ、採掘を始める契約とは、分ける。まず、安全に掘れるのか、運び出せるのかを知りたい」


 直澄が頷いた。


「調査費と、開発に必要な金を分けて整理いたします」


 俺は、岳の文へ目を戻した。


 余白に、一行だけ、少し違うことが書かれていた。


 軍が残している地図と見張りがあるため、調査へ入ることができている。


 俺は、その一文を景綱へ見せた。


 景綱は目を通し、短く息を吐いた。


「ならば、残した甲斐がございました」


 地図を作った兵も、通路を守る兵も、その先を知らずに働いていた。


 それが、次の者へ渡っている。


 俺は報告を丁寧に畳んだ。


     *


 弔いは、帰還した兵たちが落ち着いてから行われた。


 盛大なものにはしなかった。


 遺族へ先に知らせ、望む者が来られるようにする。都合がつかぬ家族には、遺品と文を届ける手配をした。


 俺も、その場へ立った。


 今回の戦いで亡くなった、四人の名が読み上げられた。


 橋で倒れた二人。


 最奥の広間で倒れた二人。


 紙で見ていた名を、声で聞く。


 その響きが、思っていたより胸へ重かった。


 近くで、誰かが鼻をすする音がした。


 顔を上げることができず、俺は手元を見ていた。


 王として、言葉を述べなければならない。


 だが、どんな言葉なら、この場へ置いてよいのか分からなかった。


 国を守った。


 立派に戦った。


 そのことは、俺も信じている。


 それでも、その言葉で家族の隣が埋まるわけではない。


 俺は、ゆっくり息を吸った。


「皆の働きによって、領内へ魔物があふれ続ける危険は取り除かれた」


 声が、静かな場へ落ちた。


「その功を、忘れぬ。預けられた命を、帰すことのできなかった責任も、忘れぬ」


 長くは話さなかった。


 頭を下げる。


 守ってくれて、ありがとう。


 帰してやれず、すまない。


 胸の内で、何度も繰り返した言葉だった。


 弔いを終えたあと、遺品を受け取る者たちのそばへ、担当の役人がついた。


 給金と、支援についての説明も行われる。


 俺は、直澄へ目を向けた。


 彼は小さく頷いた。


 書類を渡して終わりにはしない。


 伝わっているか。


 受け取れているか。


 そこまで確かめてもらうことになっていた。


     *


 報奨と休暇については、直澄が現実的な案を出してきた。


 回収した魔石の売却代のうち、今回の働きに対して支給する分を確保する。


 額は、これまでの未払い給金と分ける。


 支給のための記録も、別に残す。


「少額にはなります」


 直澄は言った。


「ですが、今回お渡しすると決める分は、用意できる額でございます」


「それでいい」


 俺は頷いた。


「払えると分からぬ額を約束し、また待たせるよりよい。給金の未払いは、それとは別に、整理を続けてくれ」


「承知いたしました」


 休暇は、持ち場を一度に空けぬよう、組ごとに与える。


 現地に残っている兵にも、交代して戻る順を知らせる。


 帰還した者だけが、すべてを終えたわけではなかった。


 俺は、その文面を確かめた。


 休め。


 そう命じるにも、休めるように人を置き直す仕事が要る。


 最近になって、ようやく、命令の先へ少し目が向くようになってきた。


     *


 水明商会へ寄ると、店の前で荷を下ろしている男たちが、こちらを見て頭を下げた。


 俺は、短く応じた。


 奥では、紗那と律が、軍から戻った受領書を確かめていた。


 机へ置かれているのは、矢や糧食だけの記録ではない。


 使われた品。


 現地へ残された品。


 戻ってきた空箱。


 それぞれが、帳面の行へ収められている。


「攻略部隊の分を、整理しております」


 紗那が言った。


「まだ現地の調査が続きますので、次の補給も、止めずに用意いたします」


「頼む。岳たちが残る。軍の警備も続く」


「承知いたしました」


 律が、別の紙を差し出した。


「回収した魔石の売却分です。品質の確認が済んだものから、商会を通して納めております」


 俺は受け取った。


 数字の下へ、引取先と、支払いを受けた日がある。


 紗那は、魔石を預かったままにせず、金へ変えていた。


 その金が、兵へ戻り、次の荷を動かす。


「よく働いてくれた」


 俺が言うと、紗那は少し首を傾けた。


「私どもは、契約した荷を運んだだけでございます」


「その荷がなければ、兵は進めなかった」


 紗那は、黙った。


 俺は、照明の箱が置かれていた場所を見た。


 初めて倉へ取り出したときには、使い方も分からなかった。


 あれを検め、包み、運ぶ者へ渡したのは、この商会だった。


「戦った者だけで、終えられた仕事ではない。運んだ者にも、そう伝えてほしい」


 紗那は、ゆっくり頭を下げた。


「ありがとうございます。必ず、伝えます」


 店の外から、声が聞こえた。


 帰還した兵を見たという話をしているらしい。


 王都の兵が、戻ってきた。


 石切場の魔物が、止まった。


 まだ細かなことを知らぬ者たちが、確かめ合うように話していた。


 俺は耳を澄ませたが、途中から聞こえなくなった。


 紗那が、窓の外へ目を向けた。


「道を通る荷も、少し落ち着くと思います」


 その言葉へ、俺は頷いた。


 称賛より先に、荷が動く。


 店を開けられる。


 明日の予定を立てられる。


 守ったものが、少し分かった気がした。


     *


 その夜は、千歳の部屋へ行った。


 扉が開くと、千歳は俺の顔を見て、それから廊下へ目を向けた。


「今日は、もうお仕事は終わり?」


「急ぎのものはな」


「本当に?」


 俺は少し返事に困った。


 机へ戻れば、読むものはある。


 だが、母上が窓際からこちらを見ていた。


「今日は、ここで食べていきなさい」


「……はい」


 俺が座ると、千歳も向かいへ腰を下ろした。


 膳が運ばれてくる。


 温かい汁と、焼いた魚。


 千歳は箸を持ったまま、少しの間、何かを考えていた。


「兵の人たち、帰ってきたんだね」


「ああ」


「姉上にも、お知らせした?」


「もう使いを出した。北門砦へも、攻略したことを伝える」


 千歳は頷いた。


「姉上、喜ぶかな」


「喜んでくれると思う」


 俺は答えた。


 そのあと、少し笑った。


「だが、私が寝ているかどうかも、聞いてくるかもしれない」


 千歳が、母上を見た。


「母上と同じだね」


「朱音も、あなたのことを知っていますから」


 母上が、静かに言った。


 俺は汁の椀を持ち上げた。


 温かさが、指へ伝わる。


 前線へ送った薬で、助かった者がいる。


 兵は帰ってきた。


 亡くなった者もいる。


 鉱石の調査は続き、試験畑では、種の記録が始まっている。


 終わったことと、始まったことが、いくつも頭へ浮かんだ。


 それでも、いまは箸を置かずにいた。


 千歳が、今日見たものを話し始める。


 庭の木へ、新しい鳥が来たらしい。


 前に話していた鳥と、同じかもしれないという。


 俺は、その話を最後まで聞いた。


     *


 王城から西へ続く通りで、朔は立ち止まった。


 休暇の間に必要なものを買い、兵舎へ戻るところだった。


 店先では、夕方の片づけが始まっている。荷を下ろす者と、板戸を閉める者が声を交わしていた。


「石切場へ行っていた兵かい」


 声をかけられ、朔は振り返った。


 店の女が、包みを一つ持っていた。


「はい」


「帰ってきたんだね」


 女は、それを差し出した。


 小さな焼き菓子だった。


 朔が断りかけると、女は先に言った。


「売れ残りだよ。持っていっておくれ」


 売れ残りかどうかは、分からなかった。


 まだ温かかった。


「ありがとうございます」


 朔は受け取った。


 通りへ戻り、少し歩く。


 城の方を見上げると、王城の窓に灯りがあった。


 あのどこかで、王が書類を読んでいるのかもしれない。


 あるいは、ようやく食事をしているのかもしれなかった。


 朔には見えない。


 遠見を使って、確かめることもしなかった。


 彼は包みを開き、一つ口へ入れた。


 甘かった。


 噛んでいるうちに、ようやく、戻ってきたのだと思えた。


 通りの先では、誰かが笑っていた。


 荷車が通るため、脇へ寄る。


 車輪の音を見送り、朔はまた歩き出した。


 明日は、急いで起きなくてもよかった。

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