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第十四話 五年の重さ

岳から届いた箱には、石が三つ入っていた。


 一つは、青紫の筋が走る灰色の石。


 もう一つは、細かな結晶が、割れ目へ集まっているもの。


 最後の一つは、見た目には何の変哲もない、黒っぽい塊だった。


 俺は、机へ敷かれた布の上で、それらを見比べた。


 どれも、旧石切場の地下から持ち帰られたものだという。


「こちらが、途中の報告でございます」


 宗玄が書状を差し出した。


 岳本人の字は、少し角張っていた。添えられた図には番号があり、箱の中の石につけられた札と対応している。


 第一層の奥。


 第二層へ下る道。


 第三層へ至る斜面。


 いくつかの場所で、魔力を帯びた鉱石と、魔石の結晶を含む岩盤が見つかっていた。


 ただし、量と品質は、なお調査中。


 掘ったものを運び出すためには、通路の整備が必要。


 水の溜まりやすい場所があり、その処理も確かめなければならない。


 俺は、最後まで読み終えてから、箱へ視線を戻した。


「使える鉱床である可能性は、高いのだな」


「はい。ただし、どれほどの費用で、どれほど採れるかは、まだ判断できぬとのことです」


 宗玄は答えた。


 俺は石の一つへ手を伸ばしかけ、途中で止めた。触れたところで、何が分かるわけでもない。


 代わりに、青紫の筋がある欠片へ鑑定を使った。


【名称】魔鉱石

【分類】魔力を帯びた金属鉱石

【状態】未精錬


【性質】

鉄を含み、内部に魔力を保持する。精錬後の品質は、含有量と加工方法に左右される。


【用途】

武具、魔道具の部材など。


 表示を消す。


 正体は分かった。


 だが、鑑定には、地下へどれほど埋まっているかも、掘るために何人要るかも出てこなかった。


 岳が現地へ残り、毎日調べているのは、その部分なのだろう。


「調査を続けてもらおう。採掘を急がせるつもりはない」


「承知いたしました」


 宗玄が箱の蓋を戻す。


 俺は、机の上へ残った小さな石の粉を見た。


 領内へ生まれたダンジョンは止まった。


 その奥には、売り物になるかもしれないものがある。


 嬉しい報告だった。


 それでも、これだけで国を立て直せるとは、まだ思えなかった。


     *


 直澄が持ってきた報告は、その気持ちをさらに落ち着かせた。


 王都で配給へ回せる穀物の量。


 豊原から届く予定の荷。


 国内の商人へ買い付けを頼んでいる分。


 それぞれが、別の欄へ記されている。


「現在の配給量で見ますと、公の倉にある分は、およそ十八日分でございます」


 直澄が言った。


 俺は数字を見直した。


「王国全体の食料が、十八日で尽きるという意味ではないな」


「はい。あくまで、こちらで数量を確かめ、配給へ回せる穀物の話でございます。民間の倉や、各地の家々が持つ分は含んでおりません」


 その説明に頷きながらも、胸の奥が重くなった。


 即位したころから、穀物は買い足している。


 豊原からも送られてきた。


 俺が用意した小麦も、少しずつ配給と兵糧へ回っている。


 それでも、食べる者は毎日いる。


 倉が埋まったと思っても、数日後には、その分だけ減っていた。


「国内で、まだ買えるか」


「買えます。ただ、豊原の穀物も、すべてが余剰ではございません。種に残す分と、現地で食べる分がございます」


 直澄は、別の書付を示した。


「買い手が王国軍だけであればよいのですが、各都市も、商会も、備えを増やそうとしております」


 同じ穀物を、皆が欲しがっている。


 王の命令で倉を開けさせれば、王都へ運ぶことはできるかもしれない。


 だが、それで豊原の人々が困れば、足りぬ場所を移しただけだった。


「価格は」


「上がり始めております。荷を運ぶ費用も、増えておりますので」


 俺は椅子へ座り直した。


 小麦の種を得たわけではない。


 郊外で育て始めたのは、家畜の補助飼料にするための麦だ。それがうまく育ったとしても、収穫はまだ先だった。


 そもそも、試験畑の量で、王都を養えるわけでもない。


「新しい鉱山が動いても、それだけでは食料にならぬな」


 呟くと、直澄は静かに頷いた。


「はい。売って、買う必要がございます」


 その当たり前の言葉が、妙にはっきり聞こえた。


 鉄も、魔石も、鍋へ入れて食べることはできない。


 価値があるものを持っていることと、食べるものがあることは、別だった。


     *


 食料交易について話し合うため、政務棟へ人を集めた。


 宗玄と直澄。


 水明商会の紗那。


 各都市の荷の動きを確かめている役人も、必要な書付を持って控えている。


 机には、暁月王国の南方まで描かれた地図が広げられていた。


 水瀬湖。


 そこから南へ流れる水瀬川。


 下流には、瑞穂王国の平野と、いくつかの河港がある。


 宗玄が、その川筋へ指を置いた。


「まとまった穀物を求めるのであれば、まず、瑞穂との取引を検討すべきかと存じます」


 俺は、地図へ目を向けた。


 白津。


 柳原。


 さらに南へ下れば、海へ至る。


 水瀬へ荷を上げる道として、以前から使われてきた川だった。


「現在も、商人同士の取引はあるのだな」


「はい」


 紗那が答えた。


「ただし、当商会だけで、王都へ継続して納める量を集めるには限りがございます。相手国側での買い付けと、運び出す許可についても、話を通す必要があるかと存じます」


「国同士で、穀物を売る枠を決めるということか」


「その方が、仕入れの見通しを立てやすくなります。商人ごとの約束だけでは、途中で輸出を止められた場合、こちらには待つしかないこともございますので」


 宗玄が頷いた。


「関税と通航についても、改めて確認する必要がございます。量を増やせば、今までの小口取引とは、扱いを変えたいと言ってくるかもしれませぬ」


 俺は、瑞穂の名を見つめた。


 穀物を買う相手。


 川の下流にある、交易の相手国。


 それだけなら、話は簡単だった。


 だが、その国も、遠征へ兵を出していた。


 部屋の中で、紙をめくる音が止まった。


 誰も、すぐには次の言葉を出さなかった。


 宗玄が、俺へ顔を向ける。


「陛下」


 呼ばれただけで、何を確かめたいのか分かった。


 俺は、地図から目を上げた。


「分かっている」


 自分の声が、少し低くなった。


「疑いが、晴れたわけではない」


     *


 父上と兄上は、諸国の軍勢とともに北へ向かった。


 失われた土地を取り戻し、街道と鉱山を開き、巨大なダンジョンを討つ。


 それが、遠征の目的だった。


 暁月だけの戦いではなかった。


 いくつもの国が兵を出し、連合軍を組んだ。


 だが、帰ってきたのは、他国の軍だった。


 暁月の軍勢だけが、壊滅した。


 父上も、兄上も帰らなかった。


 かろうじて戻った兵たちから話を集めても、全体の動きは見えていない。自分のいた場所で何が起きたかを語れても、他国の軍が、同じころどこで何をしていたかまでは分からなかった。


 戦いには、混乱がある。


 伝令が届かぬことも、退く判断が食い違うこともあるのだろう。


 俺は、戦場を知らない。


 だからこそ、簡単に裏切りだと決めつけることもできなかった。


 けれど、不自然だと思う気持ちは消えない。


 なぜ、暁月だけだった。


 その問いは、父上の訃報を聞いた日から、胸の奥へ残っていた。


「瑞穂だけを疑っているのではない」


 俺は、皆へ向けて言った。


「遠征に加わり、帰還した諸国が、何を知っているのか。こちらへ何を伝え、何を伝えていないのか。それを、まだ信用しきれぬ」


 宗玄は、静かに聞いていた。


 直澄も、紗那も、口を挟まない。


「だが、それを理由に、食料を買わずにいることもできない」


 俺は地図へ目を戻した。


 王都の倉にある穀物は、話し合っている今日も減る。


 不信を口にすれば、胸は少し晴れるかもしれない。


 その代わりに取引が閉じれば、困るのは、俺一人ではなかった。


「遠征の調査は続ける。ただし、今回の食料交渉とは分ける」


 宗玄が頷いた。


「相手へ、疑念をお伝えにはならぬということでございますな」


「ああ。礼を尽くす。穀物を売ってほしいと、正式に頼む」


 言葉にすると、喉の奥へ、苦いものが残った。


「ただし、相手の善意だけを頼りにはしない。こちらにも、差し出せる利益を用意したい」


 俺は、机の端へ置いた岳の報告を引き寄せた。


 箱へ収めた石の重さを、まだ手が覚えていた。


     *


「新しく見つかった鉱床を、交渉の材料にできぬだろうか」


 俺が言うと、直澄が顔を上げた。


「採掘前の鉱山を、でございますか」


「ああ。ただし、権利そのものを渡すつもりはない」


 俺は報告を開いた。


 魔石と、魔鉱石。


 どちらも採れる可能性がある。


 暁月が必要とするものだが、隣国にとっても価値はあるはずだった。


「ここから出る魔石と魔鉱石を、ほかの国より先に買える権利を与える。その見返りとして、穀物を継続して売る約束を求めたい」


 紗那が、少し身を寄せた。


「優先購入の約束でございますね」


「そうだ。売る相手を、永遠に一国へ絞るのではない。期限を定める」


「どれほどを、お考えでしょう」


 宗玄に尋ねられ、俺は答えた。


「五年」


 部屋が、少し静かになった。


 直澄が、机の上へ視線を落とす。


 紗那は、すぐに筆を動かさなかった。


 俺は二人の反応を待った。


 五年。


 口にすれば、短い言葉だった。


 だが、その間に何度も収穫があり、兵が入れ替わり、商売の相手も変わる。


 俺自身、五年前には、王になると思って生きていなかった。


「長すぎるか」


 尋ねると、紗那は慎重に答えた。


「相手へ、話を聞く価値があると思わせる長さではございます」


「では、こちらには」


「条件によります」


 その返事に、俺は少し息を吐いた。


 紗那は、岳の報告へ目を向けた。


「よい鉱床であれば、瑞穂は供給元を五年間、先に押さえられます。ですが、値段までいま決めてしまいますと、暁月側が損をするおそれがございます」


「価格は固定しない」


 俺は答えた。


「品質も、採れる量も分かっていない。五年分を、いまの一つの値で売る約束はできぬ」


 紗那が頷いた。


「でしたら、その線は初めから明らかにすべきでございます。優先して買えることと、安く買えることは別ですので」


 宗玄が、初めて筆を取った。


「価格は、品質と相場をもとに、取引ごとに協議する」


「ああ」


 俺は、少しだけ姿勢を正した。


 考えていた案が、皆の言葉で形になり始めていた。


     *


「まず、対象を限りとうございます」


 直澄が言った。


「今回攻略したダンジョンの鉱床から出るものだけとし、鉄嶺の既存の鉱山までは含めぬように」


「それでよい」


 俺は頷いた。


「いま売れているものまで、まとめて約束する必要はない」


「軍で使う分と、国内の工房へ回す分も、先に確保すべきかと存じます」


 その言葉へ、俺はすぐに同意しかけた。


 だが、紗那が少し首を傾けた。


「そのままですと、相手は不安に思うかもしれません」


「なぜだ」


「国内で必要だと言えば、すべてを留められるように聞こえます。優先して買えると約束されても、売る分が一つもなければ、権利を得た意味がございません」


 俺は黙った。


 こちらを守る条件ばかり並べれば、向こうにとっては、何も約束されていないのと同じになる。


「国内用に確保する基準と、優先購入の対象へ回す分を、見通しが立った時点で示す必要があるかと存じます」


 紗那は言った。


「そのうえで、数量に上限を設けます。採れたものすべてを、瑞穂へ売る形にはしないということです」


 直澄は、少し考えてから頷いた。


「採掘の見込みが出れば、国内の需要と合わせて算定できます」


「いま、量を決めることはできぬな」


「はい」


 俺は宗玄を見た。


「今回の書状では、優先購入権を提示する用意があると伝える。具体的な数量は、調査を進めながら詰めることにしよう」


「承知いたしました」


「五年は、いつから数える」


 直澄が尋ねた。


 俺は、岳の報告へ目を落とした。


 掘れるようになるまで、どれだけかかるか分からない。


 今日から五年とすれば、何も出荷できぬうちに、一年が過ぎることもあるだろう。


「最初に、正式な出荷をした日からだ」


 俺は答えた。


「採掘の開始を宣言しただけの日ではない。量と品を検め、鉱山から荷を出した日を記録する」


 律の顔が、頭へ浮かんだ。


 こういうものを、曖昧にしない者が必要になる。


 紗那も、同じことを考えたらしかった。


「双方で確認できる記録を残しましょう。日付だけでなく、何を、どれだけ出したかも」


「頼む」


 宗玄の紙へ、条件が増えていく。


 俺は、その文字を見つめた。


 五年という一言を決めるだけでは、済まなかった。


     *


「購入の返答には、期限を設ける必要がございます」


 紗那が続けた。


「優先して買えるという理由で、いつまでも荷を押さえられては、こちらが困ります」


 それは、俺にも想像できた。


 買うかもしれないと言われ、倉へ置き続ける。


 ほかの相手へ売ろうとすれば、まだ返事をしていないと言われる。


 その間に、保管の費用も、人手も使われる。


「期限を過ぎれば、ほかへ売れるようにする」


「はい。条件を示して申し入れ、一定の期間内に返答がなければ、その荷に対する優先権は失効する形がよろしいかと」


 宗玄が書きつける。


 直澄は、別のところへ指を置いた。


「穀物は、どのように支払うおつもりでしょう」


「優先購入権を渡すから、無償で送れとは言わぬ」


 俺は答えた。


「初回に払える金を確かめる。鉄嶺から、いま出せる鉄や魔石も使えるはずだ」


「ただし、既存の契約へ納める分は、除く必要がございます」


「ああ。ほかへ売ると決まっているものを、勝手に取り上げるつもりはない」


 直澄が帳面を開いた。


 王国が自由に動かせる金。


 売却を予定している魔石。


 既存の鉱山から、契約を守ったうえで出せる品。


 それらを一つずつ確認することになった。


 紗那は、初回から大きな荷を約束するべきではないと言った。


「相手の品を、こちらも確かめたいはずです。積み出すときと、水瀬へ着いたときで、数量と品質を検める。支払いも、納入と合わせて分ける形を相談すべきかと存じます」


「向こうも、代金を受け取れるか不安だろうな」


 俺が言うと、紗那は少し目を伏せた。


「はい。暁月の支払いが遅れていることは、商人の間でも知られているかもしれません」


 胸へ、小さく刺さった。


 水明商会への未払いも、まだ残っている。


 俺たちは、信用するかどうかを考える側であると同時に、信用されるかどうかを見られる側でもあった。


「払えるものを示そう」


 俺は言った。


「大きな約束で相手を引き寄せるより、最初の取引を確実に終えたい」


「その方が、次へつながります」


 紗那が頷いた。


 宗玄は、ここまで書いた紙を読み返した。


「穀物の継続供給を、優先購入権を維持する条件へ含めることになりますな」


「ああ。こちらだけが五年間、縛られる形にはしない」


 俺は答えた。


「納める量と時期を決める。理由もなく止められれば、こちらも権利を見直せるようにしたい」


 宗玄が頷く。


 だが、そのあとで、静かに言った。


「凶作や災害の場合を、どう扱うかも必要でございます。できぬことまで、できると約束させても、続きませぬ」


 俺は地図を見た。


 瑞穂の平野にも、人が暮らしている。


 豊作の年だけが五年間続くわけではない。


「例外は、話し合おう。ただし、何も知らせず止めるのは避けたい。供給が難しくなったなら、早く伝える。それは双方の義務にしたい」


「承知いたしました」


 筆の音がした。


 不信を抱えているのだから、厳しい条件を並べればよい。


 そう簡単な話ではなかった。


 相手が引き受けられなければ、穀物は来ない。


 引き受けたとしても、守れない約束なら、同じことだった。


     *


 話し合いが一区切りついたころ、窓の光が、机の端まで移っていた。


 俺は水を飲み、広げられた紙を見た。


 五年間の優先購入権。


 対象は、新鉱山から輸出する魔石と魔鉱石。


 国内需要を確保し、対象となる数量には上限を置く。


 価格は固定しない。


 購入の返答には期限を設ける。


 権利を保つには、穀物供給の約束を守ること。


 そして、始まりは最初の正式出荷日。


 いまは、まだ暁月の内側で考えた案にすぎない。


 瑞穂が、そのまま頷くとは思えなかった。


「向こうは、何を求めてくる」


 尋ねると、宗玄と紗那が顔を見合わせた。


 先に答えたのは、紗那だった。


「価格の固定は、求められるかもしれません」


「五年間、同じ値でか」


「はい。あるいは、一定以上に値を上げないことを。品質のよいものほど、先に選ばせてほしいとも言うかもしれません」


 直澄が眉を寄せる。


「採れる量も分からぬうちに、それは約束できませぬ」


「向こうも、こちらが穀物を必要としていることは分かります」


 紗那は、俺を見た。


 言いにくいことを、わざと隠さずに言っているのだと思った。


「急いでいる側の条件は、重く見られます」


 俺は椀を置いた。


 腹を満たすものが欲しい。


 その事実を、隠しきることはできない。


 だが、飢えを恐れて何でも渡せば、五年先にも同じ相手へ頭を下げることになる。


「優先して売る用意はある」


 俺は、ゆっくり言った。


「だが、まだ掘れてもいない鉱山を、安い値で五年間、押さえられるつもりはない」


 宗玄が、こちらを見た。


「その線は、使節にも伝えてくれ。値段を固定せよと言われても、その場で約束してはならぬ」


「かしこまりました」


「独占もだ。ほかへ売る道を、すべて失う条件は受けない」


 紗那が頷いた。


「それであれば、こちらも売却先を比較できます。瑞穂に優先して声をかけたうえで、話が折り合わぬ荷は、ほかへ出せますので」


 俺は、もう一度、水瀬川の線を見た。


 川は、一国の都合だけで流れを変えない。


 だが、その上を行く荷は、約束一つで止められる。


 だから、書きつける言葉が要った。


     *


 会議を終えたあと、宗玄だけを残した。


 紗那は、穀物を扱う相手と相場を調べるため、商会へ戻っていった。直澄は、初回の購入に使える資金を整理する。


 急に静かになった部屋で、俺は椅子へ深く座った。


 宗玄が、書付を揃えている。


「遠征の調査は、どうなっている」


 尋ねると、その手が止まった。


「帰還した兵から、引き続き話を集めております。ただ、体調の戻らぬ者もおりますので、急がせてはおりません」


「そうか」


「諸国へ確かめるべきことも、整理しております。しかし、いま先方を非難する形で問いただせば、話を閉じられるおそれがございます」


 俺は頷いた。


 証拠もないまま怒りを向ければ、答えは整えられてしまうかもしれない。


 だが、黙っていれば、何もなかったことにされる気もした。


「父上も、兄上も……」


 言いかけて、言葉が止まった。


 宗玄は、何も言わなかった。


 俺は、膝の上で手を握った。


「食料を売ってほしいと頼めば、疑いまで忘れたと思われるだろうか」


 王として人前で口にするには、弱い問いだった。


 だが、この場では、ほかの言い方ができなかった。


 宗玄は、少し間を置いた。


「陛下が何をお忘れになっていないかは、私どもが存じております」


 静かな声だった。


「取引をすることと、すべてを信じることは、同じではございません」


 俺は顔を上げた。


 宗玄の表情は、変わらなかった。


 先王を知る男だった。


 兄上が王子として学ぶ姿も、見てきたのだろう。


 俺よりずっと長く、二人と過ごした者が、いま、交易の書付を揃えている。


 その手も、何も感じていないわけではない。


「……ああ」


 俺は頷いた。


「調査は続ける。交易も進める」


「承知いたしました」


「相手へは、疑っている顔を見せぬようにする」


 言ってから、少しだけ苦笑した。


「できていなければ、教えてくれ」


 宗玄の口元が、わずかに緩んだ。


「必要であれば、申し上げます」


 俺は、ようやく肩から力を抜いた。


     *


 数日かけて、書状と、使節へ持たせる方針が整えられた。


 紗那からは、穀物を扱う商人の名と、河港ごとの取引の傾向が届いた。


 ただし、値段は日によって変わり、量が増えれば別の話になると書き添えられている。


 船についても、手配先を調べ始めていた。


 いまは、買う約束も、運ぶ約束も決まっていない。予定だけで荷を集めれば、別の費用が生まれる。


 そのため、紗那には相手と連絡を取り、動かせる範囲を確かめてもらうことになった。


 直澄は、初回の購入へ使える資金と、売却へ回せる既存の産物をまとめた。


 新鉱山の採掘が遅れても、最初の穀物代まで払えなくなる形にはしない。


 その方針で、額を絞った。


 俺は、直澄の示す数字を見た。


 欲しい量より、買える量の方が少ない。


 それでも、足りぬ分を、まだ採れてもいない鉱石で埋めてはいけなかった。


「まず、この量からか」


「はい。初回を確実に納めていただき、支払いを終える。その実績をもとに、次の量を相談する形がよろしいかと存じます」


 俺は頷いた。


 新しい鉱山の優先購入権は、先の取引へ向けた利益になる。


 今日の支払いを、ごまかすための言葉にはしない。


 そう分けておかなければ、五年の約束は、ただの借金の隠し場所になってしまう。


     *


 使者として選ばれたのは、以前にも瑞穂へ赴いたことのある文官だった。


 宗玄が、これまでの務めと、相手国の言葉や慣習について説明してくれた。


 面会すると、男は丁寧に一礼した。


 緊張はしていたが、こちらの話を遮らず、必要なところだけ質問した。


「穀物の輸出と、河川の通航条件を確かめること。それから、新鉱山の優先購入権について、先方のお考えを伺うこと。この二つが、今回の主な役目と理解してよろしいでしょうか」


「ああ」


 俺は答えた。


「ただし、現地で契約を結んで戻れという命令ではない。まず、何を求め、何を受け入れるつもりがあるかを知りたい」


「承知いたしました」


「五年間、価格を固定する条件は受けない。鉱山の所有権や、期限のない独占もだ。話が大きく変わるなら、持ち帰ってくれ」


 男は、方針を書いた紙へ目を通した。


「新鉱山からの出荷日について、確約を求められた場合は」


「まだ調査中だと答えろ。いつから、どれだけ出ると、いま約束することはできぬ」


「はい」


「ただ、分からぬとだけ言って終わらせるのではなく、調査の経過は順に伝えると申し入れてくれ」


 使者が頷く。


 そこで俺は、少し言葉を切った。


 この者は、向こうの宮廷で暁月の王の言葉を運ぶ。


 俺が顔へ出さないと決めたことも、守ってもらわなければならない。


「遠征について、先方から何か言われることもあるだろう」


 使者の背が、わずかに伸びた。


「弔意には礼を述べる。こちらから、疑念をぶつける必要はない。今回の務めは、交易の申し入れだ」


「承知しております」


「ただし、聞いたことは覚えて帰れ。遠征に限らず、誰が、何を、どのように話したか。分かる範囲で、記録してほしい」


「かしこまりました」


 男は深く頭を下げた。


 俺は、その姿を見た。


 感情を隠して他国の前へ立つのは、俺だけではない。


 この者にも、難しい仕事を頼んでいた。


「道中、無事に戻れ。判断に迷ったら、急いで約束するな」


「はい、陛下」


 返事は、はっきりしていた。


     *


 瑞穂へ送る書状は、最後に俺の机へ置かれた。


 大きな文ではない。


 まず、使者を受け入れてほしいこと。


 穀物の継続購入と、通航条件について話し合いたいこと。


 暁月では、領内に生じたダンジョンの攻略を終え、新たな鉱床の調査を進めていること。


 その産物について、五年間の優先購入を含む交易の提案を用意していること。


 細かな条件は、別の書付と、使節の説明へ分けられていた。


 俺は、最初から読み直した。


 父上が同じ机で、他国への書状を読んでいたことを思い出す。


 そのころの俺は、何が書いてあるかを気にしていなかった。


 国同士の約束は、父上と兄上と、役人たちが扱うものだと思っていた。


 いま、その紙の最後へ、俺が印を押す。


 宗玄が、印と朱肉を整えた。


「よろしゅうございますか」


 俺は頷きかけ、窓の外へ目を向けた。


 城下に、薄い煙が上がっていた。


 どこかで、飯を炊いているのだろう。


 同じような煙が、王都のあちこちにある。


 鍋へ入るものが、明日もあってほしい。


 それだけのことが、いまは重かった。


 父と兄が帰らなかった遠征から、他国の軍は帰った。


 その不自然さを、俺は忘れていない。


 それでも、穀物を売ってほしいと頼む。


 そのために、持っているものと、これから得られるかもしれないものを差し出す。


 ただし、何もかもではない。


「これで送ろう」


 俺は言った。


 宗玄が、一礼した。


 印を持つ。


 紙へ置く位置を確かめ、ゆっくり押した。


 持ち上げると、赤い印が残った。


 俺は、それをしばらく見つめた。


     *


 使節の一行は、翌朝、王都を出た。


 荷は多くない。


 書状と、説明のための書付。


 交易の品を示すため、数量を確かめた小さな見本も持たせてある。新鉱床の石は、あくまで調査中の試料として扱い、その価値を断定せぬよう伝えていた。


 西門の外へ出ると、街道は王都西郊の農地へ続いている。


 その先に、月白大橋がある。


 橋を越え、水瀬へ向かう。


 そこから、湖と川を通って、瑞穂へ入る予定だった。


 俺は、門の内側で見送った。


 使者が振り返り、一礼する。


 俺も頷いた。


 馬が歩き出す。


 護衛が続き、書状を収めた荷が、その間へ守られていた。


 兵を送り出したときとは、違う緊張があった。


 槍を向ける相手へ行くわけではない。


 笑顔で迎えられ、礼を尽くして話をする。


 その中で、何を渡し、何を守るかを決めなければならない。


 隣に立つ宗玄が、遠ざかる一行を見ていた。


「返事が届くまでには、日がございます」


「ああ」


 俺は答えた。


「その間に、こちらも準備を進めよう」


 岳の調査は続いている。


 紗那は取引先を探し、直澄は払える金を数えている。


 郊外では、柊玄が種の育ち方を記しているはずだった。


 向こうの返事を待つだけではない。


 俺たちにも、進める仕事があった。


 一行が街道の曲がりへ差しかかり、木々の向こうへ隠れた。


 俺は、その姿が見えなくなってから、門へ背を向けた。


 城へ戻れば、次の報告が待っている。


 赤い印を押した指先には、まだ、わずかな朱の色が残っていた。

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