五、薬を伝えた男 一
その時、パニーが初めて生まれの秘密を告白した場面を思いだした。川で遊んでいて……木の枝と葉で小さな水車を作った。
できるだけ正確に、記憶を呼びもどしていくと、手の中に焦茶色の水車が収まっていた。壊れないよう、手の平に乗せなおすと、水が流れていないのにくるくる回っている。ためしに少し身体のむきを変えると、より激しく回りはじめた。
「どうも、こっちの方にいるみたいね」
「はい」
しばらく歩くと、何かがぽつんと頭に当たった。
「冷たいっ」
思わず手をやると、湿っている。特に個人的な思いいれの強い夢葬ならば、視覚や聴覚以外の感覚も全てある。
「雨だねえ」
レッタが宣言するまでもなく、大粒の雨がたちまち自分も彼女も濡れそぼらせた。せっかくの水車も、雨のせいで回転の緩急が判断できない。
「せめて、雨宿りできれば……」
「あそこにあずまやがあるわ」
レッタの右人差し指が、十数歩先にある石造りの建物を示した。雨は横殴りに近くなっているが、野ざらしよりはましだろう。
「とりあえず、一休みしましょう」
「そうね」
二人して、あずまやに近づくと、おぼろげな人影が。夢にまで……いや、今まさに夢の中だが……見た姿に、危うく水車を握りつぶしそうになった。
「パニー!」
「え? パニーさんなの?」
「ほら、そこにいるでしょう?」
「うーん……雨のせいで良く分からないわ」
レッタが判断を保留したことは、足を止める理由にはならない。
「とにかくパニーなんです!」
叫んだせいで、雨粒まで曲がった気がする。
「そうね、いけばはっきりするわね」
レッタが、なおも慎重に言葉を選んだ直後。
物陰から、この時点で一番目にしたくない人物がたちはだかった。
広い肩幅に高い背丈、頑丈な鎧兜。大きな剣も腰に吊っている。
「トラバス!」
自分が丸腰なのも忘れ、敵意を隠さず拳を固める。
「これ以上進むな」
野太い声で、トラバスは警告した。
「何だと!? いや、パニーの夢にどうしてお前がでてくるんだ!」
「それが彼女の望みだからだ」
「ふざけるな、この……」
「この先、お前にやってくる夢葬の依頼は全て、俺達につながっている」
雨がどんどん激しくなってきた。トラバスは、特に大きな声などだしてはないのに、いやでもすんなり聞こえた。
「どうして、そんなことがわかるんだ!」
「パニーは、今はお前と会いたくない」
「だからどうして……」
闇夜を引きさくように、二股に割れた稲妻が周囲を白く輝かせた。あずまやの中にたつパニーが、うつむいている。
そこで夢は終わった。
我に返ると、最初から何も変わっていなかったように思えた。
「パニーが汗まみれになって、痙攣を起こした」
説明するコーダーは、筆記用具をまとめて右手の中に持っている。
「そうか……二人ともありがとう」
「今日はもう休め」
コーダーから忠告されるまでもなく、自分自身も両手の指先が震えているのを実感していた。
それに、アコーはパニーの身体をふかねばならない。いくら義兄とはいえ、また本人の意識がないとはいえ、眺めて良い話ではなかった。
「あとを頼む」
アコーに告げて、地下室をでた。コーダーもすぐついてきた。
アコーにせよコーダーにせよ、その日の仕事が終われば帰る。必ずしも誰かに確認する義務はない。最初からそういう契約だ。
だからこそ、いざとなれば時間を好きに使える。
物件としてのこの店は、立地はともかく設備はいい。二階には蒸し風呂もトイレもある。さっさと汗を流し、簡単な食事をすませてすぐに寝た。
翌朝。
一階に降りて、まず掃除道具をロッカーからだした。アコーもコーダーもまだ出勤しておらず、いわば仕事の準備にあたる。
もっとも、それほど本格的なことはしない。一階の床をほうきで掃いたあと、そのまま玄関をでて、目につくゴミがあれば拾う。そんな程度にすぎない。
ゴミよりも、昨日トラバスから聞かされたことがずっと重大だ。まるで、未来を予知しているかのような言い草だった。
少なくともレッタについては、パニー達とかかわってはいない。だが、彼女の依頼を果たすことで一定の前進があった。
こんな状況で待つしかないのは、辛いものだ。掃除しているからというのもあり、自然と目線が地面に下がる。
「失礼、君はこちらのお店で働いているのか?」
いきなり声をかけられ、危うく叫びだすところだった。
ほうきの柄を握りながら、相手を見ると、一目で衛兵だと判断がついた。黒い口ひげをたくわえた中年の男だ。トラバスのような重装備ではないが、ストラ市の紋章を刻んだ兜や制服は、それに匹敵する威厳がある。
「はい」
短く、最小限の返事ですませた。自分が無罪潔白なのは当然だ。しかし、こういう手あいが店の近くにいると、客が寄りつかなくなる。
「少々聞きたいことがある。店主を呼んでくれ」
「私です」
事実を伝えると、衛兵は一瞬きょとんとした。ついで、用心深く首をひねった。
「ならば、君の名前はタックだな?」
「そうです」
「私はハーモという。ストラ市の衛兵隊長だ」
部下も連れずに、貧民区から目と鼻の先にあるこの店にくるとは。
「どういったご用件でしょう」
「今、衛兵隊は邪教徒の捜査をしている」
ストラで邪教といえばただ一つ。リネット教だ。魔女リネットを崇拝することで、リネット病はもちろん、あらゆる負傷や病気から身を守れると考える人々がいる。
「この辺では聞きませんね。金貨を崇拝する人間ならいますが」
暗に教会を皮肉ると、ハーモはほんの少しだけ困った表情になった。
「いや、邪教そのものではない。あくまでも、ある一人の邪教徒を探している」
「どんな特徴でしょう?」
「名前はケード。三十七歳の男性だ。背は私や君より少し低いが、小柄というほどじゃない。貧民区の人間だから、貧しい身なりしかできないはずだ」
「できないはず……?」
「数日前、貧民区の教会を一人で襲った。そして、司祭を殺害し、献金を奪って逃げた」
淡々と語るハーモからは、教会での殺人についての憤激を見いだせなかった。
「なら、一刻も早く捕まえないといけませんね」
そうしないと、自分の店までとばっちりを受けかねない。さすがに、その可能性は無視できなかった。
「そうだが、衛兵は常に数が少ない。だからこそ、善良な市民の協力が必要不可欠だ」
ハーモは、じっとこちらを見すえた。
「もちろん、何かあればすぐお知らせします」
「快諾に感謝する。ところで……」
ハーモは、店の玄関に掲げられた看板に注目した。
「夢葬屋とは、どんな商売なんだ?」
「死に瀕した人間の夢に介入して、当人の願いを叶えることで報酬を頂戴します」
「それは、夢の中でだけかね?」
「はい、もちろん」
「となると、君の客は、老人が比較的多いということだな?」
「そうですね」
無意識に、自分の喉を触っていることにようやく気づいた。若い頃のレッタは、孫のべロープ同様の美人だ。そういう刺青をほどこす人間は、世間にいないわけではない。まして、ここは貧民区にごく近い。だから、ハーモが疑ってくる可能性はまずないだろう。理性的にはそれで片がつくにせよ、居心地は悪い。
「教会も、邪教徒をせっせと告発しているんだから、いっそのこと捜査も逮捕もボランティアで処理して欲しいんだがね……」
初対面の相手に、衛兵隊長ともあろう者が、教会を批判しかねないような愚痴をこぼすとは。
「まあ、我々も教会にだって税金を納めてますし」
「そういえば、勇者殿と君の義妹さんの具合はどうだ?」
「お陰様で、どうにか、安静です」
無難な受け答えをしてからすぐ、ひょっとしたらカマをかけられたのかと不安になってきた。
「ともかく、相手は強盗殺人犯だ。貧民区では珍しくないだろうが、戸締まりをしっかりして欲しい」
「はい」
ハーモは、軽く会釈して去った。それからしばらくして、コーダーとアコーが出勤してきた。掃除も終えたので、二人に、ハーモから聞いた話をそのまま伝えた。
「こんな場所で商売をしていたら、いつかは起きるだろう」
コーダーは、こともなげに一言ですませた。
「あのう、もしお店にそんなのがきたら……」
アコーの性格は熟知している。
「ケガでもしたら見舞金をだせというんだろう?」
嬉しそうにうなずく彼女に、げんなりした。同時に、救われもした。卑近な現実のおかげで、きてもいない未来への心配が多少は減殺されたのだから。
「店長からその人に、悔い改めるよう説得して欲しいです。そうしたら私が教会にお話しますから。それなら、私が復帰報奨金をもらって、店長はケガをしてもご自分に見舞金を払えるじゃないですか」
「ああ、そうか……おい、見舞金は私の金で払うんだぞ!」
「それは神の感知したもうことではありません」
「そろそろ仕事にかかろう」
コーダーが、誰にともなくいうと、アコーも地下室に降りた。




