第9話 恐怖はないのか(5826.am8:45)
「雨竜さん。葉山さんはどうして諦めないんですか?」
聞く相手を間違えているのは自覚している。
それでも聞かなければいけない気がした。
「そりゃ死にたいからじゃないか?」
「でも何度も試して死ねないのなら無駄だと思ってやめるもんじゃないんですか」
映画の『フランケンシュタイン』だってそうだ。
不死身の身体に生まれたあの怪物は死なない苦しみに苛まれながらも受け入れている。
「……逆に聞くがお前。何度能力を使って過去に戻っても同じ日、同じ時間に死ぬとしたら」
雨竜は一度カップに口を付けてから続ける。
「生きるの、諦められるか?」
言葉に詰まった彩花は飲みかけたカフェオレに口を付けるのも忘れて考えてしまった。
そんなこと想像すらしたことなかった。
交通事故だろうか、はたまた後ろから刺されるとか。
突然死の淵に立たされた時、私は何を思うだろう。
そんなことを考え出すと際限のない恐怖が全身を覆い始める。
その時カップが机に叩きつけられる音で我に返る。
指の力が抜けて落としてしまったらしい。
「すみません、すぐに片付けます!」
幸い割れなかったもののテーブルの上がカフェオレまみれになっている。
カップをどけても解決には至らなそうだ。
しかもどうやら店内の注目を浴びてしまっていたらしい。
他のお客さんから何事かと視線を感じる。
こう言う時はどうしたらいいのだろう。
慌てて備え付けのティッシュに手を付けようとしたとき優しく手が添えられた。
「落ち着け」
雨竜は私をそう諭すと軽く手を上げて店員を呼んだ。
その店員もすでにに察していたのだろう、すぐに駆けつけてくれた。
「連れが申し訳ありません。お忙しいと思いますが布巾と追加でカフェオレをお願いしてもいいでしょうか?」
すると溢した量に対して余分すぎる布巾を店員は持ってきてくれた。
おかげで床に流れ落ちる前に全て拭き取ることができそうだ。
「あの、すみません。私のミスで」
「俺こそ思い詰めさせてすまなかった。少しきついことを言ってしまった」
雨竜は表情には出していないが申し訳なさそうにしている。
拭き終えると私から受け取った布巾を自分が使っていたものとまとめる。
テーブル全体から微かに香ばしい香りがする。
「斉藤、お前の感性は正しい。誰しも死というものは怖いものだ」
「じゃあ葉山さんが死に執着するのはおかしいんじゃないですか?止めるべきだと思います」
自分の意見を述べることにした。
雨竜とは他人の価値観についてぶつかることは少なくなかったが『生死論』は初めての論点だった。
なにしろ今まで自殺志願者の依頼人はいなかった(厳密には本気で死にたい人間がいなかった)
大会直前の選手とか新人漫画家とかなど夢を抱いた者が多い。
「死を否定するわけじゃありません。でも死ぬのが目的ってただの無駄死にじゃないですか」
自分でも感情的になっているのが分かる。
さきほど醜態を晒したのも関連しているのも理解しているつもりだ。
でも自分で死にたがるやつなんて許せなかった。
自分の命の恩人である美由紀の夫がそんな些末な行動を取ることに嫌悪感を抱く。
「死ぬのは怖いと言ったな」
「はい、誰しもそうだと思ってます」
「ではお前が葉山だとしたら同じことを思えるのか?」
それはそうに決まってる。
どうして当たり前のことを聞くのだろうかと不思議に思った。
思ったのだが……葉山さんのことを自分と比べて想像してみた。
私には妻が、旦那がいない。
何十年も連れ添った配偶者などいないし友達ですら10年足らずだ。
そんな相手がたった数時間で帰らぬ人になる。
永遠に話せぬ存在になるのだ。
果たしてそんな経験をして私は自分の意見を変えずに貫けるだろうか?
少し自信がなくなってくる。
そんな私に雨竜は諭すように話し出す。
「いまは理解できなくてもいい。だがこれだけは覚えておけ。自分の価値観と相手の価値観は全く異なる。立場が違えば全く違う答えを出すだろう」




