第8話 師匠とカフェオレ(5826.am8:42)
やりようもなく彩花は立ちすくんでいた。これから私はどうすればいいのだろう。葉山を助ける事を諦めればいいのかどうなのかも自分で判断できなかった。
生かしてみせる。あんな啖呵を切ったあの頃の自分がなさけない。結局説得するのではなく彼に考えを変えるのを促すことしかできなかった。
そのくせ自分は自分よがりの持論を述べただけで彼の心情の問題を理解しようとしていなかった。そんなことで心変わりなんてしてもらえるはずがなかったのだ。
「……もうやめよう」
葉山は次の周回の11時にカフェにて話し合ってくれると言ってくれた。機会をくれたのだ。
しかし私には正直に言ってその資格はないと思う。もうこれ以上関わるのは控えたかった。
どうせ失敗だ、怒られてもいいや。いや、依頼者にとってこれが本望だったのなら成功か。項垂れながら帰路に着くため昇降口へと向かう。
すると出入り口の前に人が立っていた。顔を上げてみるとお馴染みのマフィアくずれの身なりが目に入った。
「……雨竜さん」
「いつにも増してしょぼくれた顔をしてるな」
◇
2人は場所を移すことにした。一つは彩花の気持ちを鑑みてのこと。
もう一つは葉山のせいだ。
マンションの前に落下したのだ、私たちが下の階に降りた頃にはパトカーや救急車が殺到していた。
降りる途中事情聴取されなかったのが不思議なくらいだ。
それは雨竜の立ち回りのおかげだ。いかにも身なりの怪しい彼は日頃から立ち回りを考慮しているらしい。
見つかりそうなところは避けて、どうしても見られる場所は自然と振る舞う。
おかげで一般の人相手でも注目を浴びることはなかった。そんなことするなら普段からまともな服を着ればいいのでは?と思ったが口にはしなかった。
2人は近くの喫茶店へと入店した。
「大丈夫か?」
表情はいつもと変わらず無愛想。しかし憐れむでもなく笑うでもなく、単純に心配そうな声で問いかけてくる。
こうした彼の姿勢が私を含める数多くの依頼者の心を救っているのだと感じる。
「5825週目なんだろう?」
「え、なんで雨竜さんが把握してるんですか?」
私ですら正確に把握していない数字を口にされる。やけにリアルな数列を口に出されて困惑する。実際本当かどうか確かめる術がない。
雨竜は私の反応を見てなぜか感心するような態度を取る。
途中ウェイトレスが注文した飲み物を持ってきた。私はカフェオレ、雨竜はブレンドコーヒーを受け取った。
「実はな、下にいた男がこの数字を言えば信じるはずだって言ってたがまさか本当だったようだな」
「男って……葉山さんまさか生きてたんですか!?」
ここは50階近くあるはず。故に100メートル上空から落ちたに等しいのに話せたというか。
「お前の依頼人と確証はできなかったがな。このマンションに入る時に上から降ってきたんだ」
嫌な音がしたよ、と苦虫を潰したようや表情を浮かべる。誤魔化すようにコーヒーを啜った。彩花もそれに倣いカフェオレに口を付ける。
「結局伝えること伝えて息を引き取ったんだが……それにしてもすごいやつだったな。綺麗な受け身とってたんだよ」
「受け身って……そんなので助かるものなんですか?」
なんだか不思議な話をしてきた。彩花の知る限り彼はこういうときにジョークをいうような人物ではないはずだ。
「冗談じゃない、完璧な受け身を取れば理論上助かるらしい」
理論上だがな、と大事なことを言うように2度目を付け加える。だがよくよく考えてみるとそんな芸当ができても不思議ではない。
なにせ5千回以上も飛び降りているのだ。生の人間には不可能な数。それを彼は自分の命と引き換えに練習していたとなれば…。
「とてつもない経験値だ。素人でもこれだけ繰り返せば体に染み込むのだろう」
だけどそれを身につけるために何度命をたったのだろうか。次も時間が戻るという確信もない状態でやってのける彼のことを彩花は薄気味悪く感じてしまった。




