第6話 葉山の秘密(5826.am8:02)
マンションの屋上は静かで、目の前には朝日に照らされるビル群が広がっている。足の下から天辺までそれ以外遮るものがない。
見ても彩花は特に何も感じなかった。一歩前に出れば地上まで真っ逆さま。数秒後の自分を想像してみるのみだった。
もう葛藤することすらどうでもいい。持っていた写真立てを横に置く。この景色を彼女にも見せたいと思った。これから自分が飛び降りるところも見せることになるとは一切考えていない。
何の感慨もなく足を前に出す。後ろ足に掛かった重心を前にずらす。ああ、これで……。
「なんだ、もう諦めるつもりか?」
突然後ろから声がした。あまりにも突然だったので落ちそうになった。これまでの行動を忘れて必死にフェンスにしがみつく。
驚きから不快感へと。なんだか魔を刺されたみたいで気分が悪くなってきた。声を掛けてきた張本人を憎しみを持って睨みつける。
その人物は彩花と昇降口のちょうど真ん中。
屋上の真ん中にあたる部分に立っていた。黒のコートを羽織ったスーツ姿の男。ビジネスコートのポケットに両手を突っ込んでいる。その男のことを彩花はよく知っていた。
「葉山さん……?」
紛れもなく葉山がそこに立っていた。何で?いつもより早い時間に来たはずだ。前の周回も葉山はこんなに早く屋上に来ていたというのか?
「お前の様子がおかしかったから早めに来たんだ。とりあえずまだ無事でよかった」
安堵の表情を浮かべる葉山はポケットから手を出して静かにこちらに歩み出す。その足取りは軽いが一歩一歩に意志が籠っているように感じる。自分の行動に責任を持っているような。
思えば師匠である雨竜にも同じ印象を受けた。自分の行動は自分で制御している、制御不能なんてありえない。そんな意思がひしひしと伝わる。
「そんなことしてどうするんだ?俺は罪悪感なんて感じないからそのまま後を追うつもりだ」
「あなたには関係ありません、どこの誰だか知らないけど勝手にしてもらえませんか?」
この時間軸ではまだ葉山と会話していないはず。つまりタイムループを何度も繰り返していることを把握していないはずだ。見つかってしまったのは予想外だがこれ以上関わるのも面倒臭い。
これまでのことは話さずにあくまでも初対面を貫くことにした。自殺を試みる少女とそれを偶然目撃したサラリーマン。
「……見つけてくれてありがとうございます。いまフェンス降りるんでどっか行ってください」
「お前はそんなんで諦めるタマじゃないだろう。俺が去ったら絶対またやる」
「やりませんよ、ほっといてください」
「……その写真、見たの初めてだろう?」
なんだか話が噛み合わない。だがそのことよりもやけに的確な指摘に違和感を覚えた。なぜなら反論が建設的なのだ。まるで今までのことを把握しているような。
さっきもそうだった。明らかに過去のことを知っているといういいぶり。それも過去というより『今までの周回で知った出来事』を語っているかのように。
葉山は知るはずもないことを知りすぎている。
「何者なんですか、あなたは」
彼はは葉山ではない。時間を遡る能力がこの世に存在する以上、容姿を変える能力がある可能性も捨てきれない。何周もしているという前提があれば私の思考なぞ推測は容易いはず。
また雨竜も危惧していた通り、この能力の多用は他のものに知られる危険がある。よからぬものが知って仕舞えば彩花を捉えて悪用しないとは限らないのだ。
「疑ってるのか?」
「もちろんです、矛盾が多すぎる」
「俺はタイムリープしている」
「……は?」
こいつは何を言い出したんだ?突然のカミングアウトに思考が停止する。
タイムリープした、たしかにそう言った。だがそんなことはあり得ない。これは自分だけの能力なのだから。
「厳密には『タイムリープを認知できる』っていうのが正しいがな」
「それって今までのことを全部覚えてるってこと……」
「いまのお前に話すつもりはない」
いつの間にか彩花のフェンス越しの距離まで近付いていた葉山は言葉を遮る。金網を掴んだと思うと軽快な身のこなしで乗り越える。自分はよじ登るだけで大変だったのに。音もなく着地する彼を横に一種の嫉妬心を抱いた。
「死ぬつもりのやつに話すことはない。まぁ、俺のことでもあるんだが」
そう言いながら葉山はゆっくり前へ足を踏み出す。そこはもちろん何もない空間である。
「あなた、なにやって!?」
「もし気になるなら!11時に駅前の『アンジャッシュ』ってカフェに来い。そこで待ってる」
11時だとすると今からでは間に合わない。彩花は葉山の言わんとしていることを察しながら確認しようとする。そんなことを聞く間も葉山の身体は落下を始める。
スローモーションに時が動く中、彼は微笑みながら彩花の顔を見ていた。
彼の身体は前に傾きやがてフェードアウトした。




