第41話 もう1人の能力者
これまでの出来事を一通り話し終えた。彩花は先程持って来てもらったばかりのアイスコーヒーに手を伸ばす。角の取れた氷が赤褐色の海の中に漂い蛍光灯の光を乱反射している。まるでクラゲのように見せるせいで本来の硬さがまるで伝わらない。
グラスに口をつけると訪れる苦味と爽快感に唇が微かに震える。指に伝う水滴。最高の飲み心地に、思わず飲み込む口が止まらない。流し込んでいく度に乾き切った喉にすーっと染み込んでくるようで心地が良かった。そうしてもう一度口にしてから水たまりの上に音を立てぬようグラスに置いた。
なんだが疲れがどっと湧き出てきま。思えば10分近く話しっぱなしであったが最初はもう少し時間の掛かるものだと思っていた。こんな短時間で語れてしまうとは少し拍子抜けである。多少情報を省いていたとはいえこの程度内容で収まるとは思っても見なかった。
このタイムリープに囚われた時間は短いものではない。葉山に会って最初に能力を使ってから何千回もの同じ一日を繰り返してきた。彼の言っていた六千回ともいう数字を信じるならばおよそ16年。自分の今まで生きてきた年月と同じ時間を繰り返されるこの一日に閉じ込められて来たのだ。
それをたった、たった珈琲一杯飲み終わらないままに語り終えてしまってるのだからなんだか笑い話のようで滑稽に思える。下に残る珈琲の苦味がそんな自分を嘲笑っているようで腹が立ってきた。
隣にいた雨竜が小さく手を挙げる。他の2人とは違い彩花の話している最中は相槌すら打たず湯気の立ち込めるホットコーヒーを啜りながら話を聞いていた。恐らく自分の理解度と考察を同時に擦り合わせていたのだろう。
彼は寡黙で近寄りがたい雰囲気をいつも醸しているので誤解されがちだが、これほど分かりやすい人間もいない。現にここで手を挙げたのも他の2人が気軽に意見を言えるようにするための気遣いだろうことに彩花は気付いた。
「食い止めたいってのは分かったが、それは代行屋ではなく自分個人の使命としてと言ってたよな。それなら手段を問わず拘束して動けなくすればいいじゃないか」
拘束。普段聞くことのないだろう物騒な単語に前の2人は僅かに緊張が走らせる。彩花は悲しげな表情を浮かべて手元のカップを眺めるように俯いた。
「それじゃ意味がないです。葉山さんのことですから手を縛られようが足を縛られようがいずれは逃げ出すことはできるでしょう」
「随分やつを買っているんだな」
そう、実際に彩花はあの男のことに最大限の尊敬を抱いている。目的のためになら自分の命すら投げ出すなんて愚行は狂気以外の何物でもない。だが、1人の女性に対する一途な逃避行を一切の疑いもなく断行するからの姿勢には感服せざるを得なかった。そして、彼を惑わせる美佳子に対して嫉妬した。
「彼の執念には痛い目に合わされてますからね。私達の上辺の説得や強硬手段程度じゃすぐにやり返されます」
それに最大の不安要素として『タイムリープを認知する能力』が彼に備わっていることだ。もし、拘束することが失敗して時を巻き戻したとしてもそれは彩花だけでなく葉山にも適用されてしまう。同じ轍を踏む獣など存在しないように彼も何らかの対策を講じてくるだろう。
「作戦は短期かつ確実なものがいいと思われます。それも強制的なものでなくて彼が自主的に諦められるような何かを」
「葉山さんって方は奥様が亡くなられたことを悔やんでその、飛び降りられているんですよね?でもそれってその人が生き返らない限り引き下がらない気がするのですが」
京子の模範的な答えが全員の喉を詰まらせる。例えば死刑囚が刑を執行されても遺族は喜ばないという意見がある。別に刑を執行しなければいい、生き返らせてくれるのならば。仕返しが目的なのではなく元の日常を取り戻したいだけなのだと。
「でも生き返らせられるなら彩花さんは当の昔にやってるわよね」
「ええ、何度やってもその時代まで遡れなくて。いや、一度だけ直後まで遡れたことがあったんですがどうしてそれ以上は行けなかったんですよね」
「あの、僕からも意見を述べさせてもらってもいいでしょうか」
緊張気味に彼氏さん、もとい新井が口を開いた。全員が目を向けると一度目を伏せたが意を決した様子で再び顔を挙げた。
「さっき、一度その時間まで戻ったと言いましたよね?そしてその後には戻れなくなったと」
「ええ、そうですが」
「戻れなくなった理由があなた自身の能力のせいだと考えるのは自然だと思います。でも考えられる要因がもう一つだけありませんか」
彼が何を言いたいのか理解してしまう。それは突拍子もない出鱈目に過ぎない仮説のはずなのに何故だか辻褄が合ってしまう。彩花は彼の口から直接答えを聞かざるを得なかった。
「…もう1人能力者がいるってこと?」
「はい、そして現にいますよね。彼に違いないでしょう。あなたの能力を認識できる上に2度も妻を殺された人間、葉山さんしか」
彼の名前を聞いた途端、自分の周りだけ時間という概念が消えたような気がした。




