第36話 決着
スピーカー越しではない生の衝突音。
雨竜の表情を窺っていた彩花は思わず振り向いた。
音の発生源と思われるステージ上では不思議なことが起こっている。
つい先程まで繰り広げていた構図は演者2人。
うずくまる怪人と決め技を繰り出すレッドだった。
しかし、今はどうだろうか。
ステージの中心で怪人1人が佇むのみ。
会場中の照明と観客の視線を独占し、圧倒的な存在感を悠々と示している。
彩花は溜まっていた唾を飲み込む。
レッドはどこにいったのだ。
遠くに行ったわけではないだろう。
だが、ステージに目を凝らしてもその姿を見つけることができない。
視界が歪むたびに目を擦り小さな異変も逃さまいと再び凝視する。
目を離したあの一瞬で何が起きれば姿を消すことができるのだろうか。
「怪人がカウンターを決めたんだ。いま木原は舞台端の方で伸びているかもな」
口を開いた雨竜はどこか楽しげだ。
「カウンターって…あの状況からですか?」
「懐に入ってそのままって感じだ」
彼の説明に聞くにはすばりこうだ。
うずくまる怪人の体勢はあまりにも絶望的だった。
膝まで腕も地面に付いた状態では飛び掛かるレッドを躱すのは困難だ。
そこで怪人の取った行動はその体勢のまま前に飛び出すことだった。
膝も付き腕も付いたままでだ。
レッドの飛び蹴りが到達する寸前に詰められた間合い。
怪人の動きを認識できたとしても空中にいる彼は何もすることはできなかっただろう。
怪人はレッドの股下まで入り込む。
衣装を付けたままでも十分入ることのできるスペースがそこにできていた。
彼はレッドの左右裏太ももに手を添えた。
優しい、ただ添えるだけの力加減。
それだけで十分だった。
限界をすでに超えていた彼にはこれでよかった。
立ち上がりと振り返り。
レッドを掴んだまま行った行動はただそれだけだったという。
背負い投げをイメージしてくれ、と雨竜は答えた。
相手の重心と重さを利用して地面に投げる武闘技。
それに対して怪人は重さを慣性に変換することでその技を実行した。
繰り出された飛び蹴りは標的に当たることはなく。
その勢いのまま流れるように舞台の端へと受け流されたというわけだ。
「これで万事解決だな」
「もう観ていかないんですか、雨竜さん」
振り返りその場を立ち去ろうとする彼に当然のはずの疑問を問い掛ける。
彼はやや上を見つめてから一度足を止めてこちらに首だけ振り返った。
その顔には安堵が滲み出ている。
「もう大丈夫だよ。木原もすぐに出てくるはずだ、頭の冷えたあいつなら最後までやり切れる」
いい終わるのを待たずに再び割れるような歓声が会場を包み込む。
肩で息をしながら舞台端から復活したレッドが再びファイティングポーズを構える。
怪人も僅かな時間ではあるが息を整えられたのだろう、打って変わって堂々と構えを取った。
「彩花」
振り返ると再び背を向けている雨竜が目に入った。
その表情は伺うことができない。
「お前が俺の仕事中に来るってことは何か頼み事があるんだな。完璧主義の一匹狼が珍しい」
彼の評価は真っ当だ。
以前の私ならこんなことはしていなかっただろう。
「はい、どうしても雨竜さんの手が必要だと判断しました」
変わったな、と口に出してから彼は歩き出した。
「珈琲でも飲みながらじっくり聞こう」
頼り甲斐のある背中を追いながら彩花は確かに時計の針が進んで行くのを感じた。




