第3話 繰り返される失敗(5825.pm3:59)
1人残されたマンションの屋上に寂しく風が吹き抜ける。頬を伝った涙の跡が乾き始めて嫌な感触がする。彩花はパーカーの袖で拭った。
鮮明になった視界でさっきまで葉山がいた場所を見つめる。そこには揃えられた靴と空と灰色の地平線のみが広がっている。つい数分前までそこに人が立っていたのが嘘のようだ。
ここにいるのが耐えられなくなり昇降口へと向かおうと振り向く。するとドアの手前に見知った人物が腕を組んでもたれ掛かっているのを確認する。
「雨竜さん……」
一張羅と言い張るコートとハットの出立ち。顔を合わせる度に洋画に出てくるマフィアのボスを連想させる。
「いまは何回目の巻き戻しだ。初めてじゃないだろ?」
静かな皺がれた声で指摘をされる。彼の言った通りすでに何度も過去に過去に遡っている。師匠には敵わない、自嘲しながら彩花は答える。
「なんで分かったんですか?」
「ついさっきと丸きり仕草がまるで違う。気付いていないのか?何度も繰り返して自分を見失っている証拠だ」
舌打ちをしながら彩花は彼から目を逸らした。意識していたつもりだが身近な人間が見ると違和感を感じるのだろう。彼にとって数時間ぶりでも彩花にとっては数年ぶりの感覚なのだから。
「俺が来ても全く驚かなかったあたり1000周は裕に超えているだろ」
雨竜は迫るように指摘する。組んでいた手をポケットに突っ込んで彼女を一瞥している。その表情に笑みは一切ない。
「もう覚えていません」
彩花は正面から見ることができずに目を逸らしたまま答えた。
「毎回泣いているのか?」
「……はい」
「はあ、お前の良いところでもあり悪いところだな」
あれから何度も繰り返した。何度も何度も。葉山の決意は想像している以上に堅く、飛び降りるという結末を変えることが出来なかった。
「お前が言いつけを破って能力を酷使するなんて珍しいな。なぜこの依頼に執着する?」
「それも何回言ったか覚えてません」
雨竜はまたも大きな息を吐く。顔の前に大きな霧が出来上がる。苛立ちを隠すのをやめたようだった。
彩花はこめかみに流れる汗を無視する。彼がこのような態度をするのにも理由がある。元々彼女が能力を使うことには反対的だった。
後押し屋の性質上、状況を俯瞰して瞬時な対応が求められる。相手のことを理解しなければ手を貸すことなんてできないのだから。そのため後押し屋のメンバーは皆、人心把握に優れた者ばかりだ。
彩花はその中でも遥かに劣っている。むしろ人の心情や動作を読み取るのは苦手だと自覚している。
しかし彼女がこの仕事を続けられる理由がある。それは特別な力、タイムリープ能力があるためだ。その力は鈍感と言える点を差し引いても優遇されるに相応しい存在だった。
「貴重な能力だってことを自覚してくれ」
「能力があっても救えないんじゃ意味がないじゃないですか!」
押し込めてきた気持ちが封を切って溢れ出してくる。逆ギレだと自覚はしているが一度吐き出したら止められない。次から次へと後悔の念が頭を流れ去ってゆく。
「救うだけが仕事じゃない。割り切らなくてはいけないこともある」
「でもどうしても救いたいんですよ!目の前で死なれたくないんですよ」
それは紛れもない本性。人が死ぬのを見たくないだけの独りよがりなのは自覚していた。後押し屋の理念とも逸れているのも理解している。
「俺の立場から合わせてもらうが、お前はこの仕事を担当出来るどころかクライアントとしても不合格だ」
「どうしてですか?これまで説得や工作や根回し、何でもしました。これ以上なにしろというんです」
「そうとは思えないな。ルールその1を思い出せ」
「え?」
ルールとは『後押し屋5つのルール』のことだろうか。
ルールその1はたしか……
「対象となるのは最大限の努力と時間を費やしても叶わなかった願い……」
雨竜の言わんとしていることが理解できなかった。相応の努力と時間を判断するには相手の過去を知らなければいけない。過去に戻ることで解決するのになれていたため完全に頭から抜けていた。
「これでも最善を尽くしたとほざく気か?」
ようやく雨竜が言わんとしたことが伝わった。背を向けフェンスに向かって歩き出す。厳密には葉山の残した遺産。靴と共に置いてある財布と鍵だ。
右手に握ったマンションの鍵をポケットへと入れる。逆の手で取った二つ折りの財布を開き、中の証明書を物色する。カード入れを漁ると目当ての運転免許をすぐに見つけることができた。
葉山耕一
東京都〇〇区〇〇一本木1234ヒルズ3902
「ありがとうございます、雨竜さん。まだまだやるべきことあったみたいです」
すぐそばにヒントはあったのだ。なんで気が付かなかったのだろう。雨竜の横を通り過ぎ階段を降りてゆく。
「前回の俺は助言してなかったんだな」
彼の問いに足を止めて振り返って答える。
「初めてですよ、雨竜さん。怒らせてばかりですみませんでした」
「案外俺も気分屋なんだな」
そう言うとフッと顔を綻ばせる。彼の笑顔を久しぶりに見た気がした。
◇
屋上からは非常階段を使って下に降りていく。エスカレーターを使おうと思ったが5階で止まっていたので待つのが億劫だった。
降る度に反響する足音はこのマンションが自分の大きさを主張しているように感じる。ここから1階までは一体何メートルあるのだろうか?
目的の階まで辿り着いた。見た目まで重苦しい防火扉を押し開け廊下へと出る。ここに来て初めて居住エリアの内装をみたがホテルのようである。
床面は綺麗に磨かれて蛍光灯を歪まなく反射している。それぞれの居室のドアも見るからに厚そうな質感だ。
部屋にはすぐに着いた。突き当たりの角部屋のようだ。鍵を握りながらドアの前で立ちすくむ。
中に入る覚悟は出来上がっていない。何かとんでもないものでも入っているのかもと想像が膨らんでしまう。深く深呼吸して上がり掛けた脈拍を抑える。
こうしていても埒が明かない。意を決してドアノブへと手を伸ばした。
靴一つない玄関と廊下を抜けてリビングへと辿り着く。広々とした間取りで左手にはダイニングキッチン。調理スペースに大小様々なサイズの鍋とフライパンが整頓されて置いてある。ラックに収納されているため飾っているように見えた。
どれも綺麗に洗われているが色落ちと焼け具合から使い込まれていることが確認できる。彩花も家ではよく料理をする方だ。種類が揃っていることからも普段から料理が好きなことがよく分かる。
またもう一つ分かったことは葉山の奥さんの物であることだ。フライパンの色が淡いワインレッドに統一されている。偏見だろうがこの色に揃えるのはまず女性と考えて間違えないだろう。
コーヒーメーカーが置かれたカウンターを挟んでシックなダイニングテーブルが置かれている。こちらも片付いておりリモコン以外置かれていない。
そして1番目を引いたのは右側の大きなガラス窓。ほぼ壁いっぱいの都会の景色はまさしく圧巻である。奥に広がるビルのガラスが夕日を跳ね返し色んな種類のオレンジを作り出す。
恐らく奥さんもこの景色を見ていたのだろう。窓の前まで歩み寄りその景色に見惚れていた。すると視界の左端に何かがあることを感じた。
部屋が極限まで片付いていることで感じた違和感。下ろしたての白いワイシャツに付いたラーメンのシミのようにえらく目立って見えたのだ。
床に厚みのある板のようなものが縦向きに置いてある。透明な質感で夕日が差し込み輪郭をぼやかしている。それは写真立てということに気がついた。
つっかえ棒の位置から外を向いて飾られていることが分かる。そっと持ち上げてみる。ガラスで挟まれた写真には緑を背景に満面の笑みを浮かべている男女が写っている。
1人は葉山耕一。もう1人は彩花も見知った意外な人物であった。
「ミユキさんってもしかして……」
一度しか会ったことのない女性。しかし忘れることのできない命の恩人。私の命と引き換えにこの世を去った人の名前をいま知ることが出来た。




