第2話 悲しみの理由(0000.pm3:59)
会議は無事に終わった。先方も今回の商談には満足したようで思った以上の感触を得ることができた。
「先輩ありがとうございました。今回は本っ当に助かりました」
「お前は何も悪くないじゃないか。この状況でよくやったよ、おめでとう」
「先輩のおかげですよ。今度奢らせてください」
後輩は興奮気味に続ける。
「にしても相変わらずとんでもない記憶力ですね。向こうの部長が温泉マニアだったなんて忘れていましたよ」
「昔から記憶力だけは自信があるんだ。いくつかおすすめを探しておいてよかった」
「おかげで会話がスムーズでした。付き添いが葉山さんで本当によかったです」
◇
途中別れてから約束の駅へと向かった。すると喧騒に紛れて遠くからサイレンが鳴り響いている。事故でもあったのだろうか。そう思いながら目的地に向かっていくと音がどんどん近くなってゆく。
不安が募り始める。ここの角を曲がれば集合場所である駅前の広場だ。意を決して曲がるとパトカーと救急車3台が見えた。
いつも彼女はあのベンチで待っているがその場所に彼女は見当たらない。携帯を掛けるも繋がらない。すでに3回も電話を掛けるも繋がらない。
嫌な予感が胸を過ぎる。サイレンがやけに五月蝿く耳に刺さる。
大通り沿いで事故があったらしく人盛りができてある。耕一は人混み目掛けて飛び込み野次馬をかき分ける。
不安は的中した。救急車の前に辿り着くと美由紀が横たわっていた。数人の救急隊員がすでに処置を始めている。
「美由紀…!」
「離れてください!!」
思わず妻に駆け寄るも隊員に阻まれてしまう。
「おい…まさか…」
頭から血を流し顔色が悪いことが肩越しにでも分かる。
「やめてくれよ…おい…」
素人目にも分かる重傷。目の前が真っ暗になってくる。
「なんで…」
ここから先は口にするのをやめた。
◇
「あのとき仕事なんかしないで一緒に出掛けていれば変わったかもしれない。何度もそう思った」
少女は経緯を聞いたことを後悔しているような悲しげな表情を浮かべている。
そんな姿を見ていられなくなり後方を見やると幾度も眺めた都内の景色が広がっている。ガラス越しではないこの風景は憂鬱になった空気に一時の開放感を与えた。
「あんたが死んだら奥さんは喜ぶと思う?」
「多分怒るだろうな」
生きていればな、と付け加えられた。
「……」
冷たい言葉が少女の胸を差し反論ができなかった。
「立ち直りたかった。でも過去は変わらないし時間が立っても心の穴は塞がらなかった」
「私は自殺代行なんかじゃない……だからあんたの手伝いも後見人もごめんだよ。それにまだ見定めるのは終わってない」
「なんだって?」
「私たちは過去に戻れる」
「冗談はやめてくれ」
「後押し屋はいわゆるリセマラ」
「やめろ…」
「同じチャンスを繰り返して最適な…」
「やめろって言ってるだろうが…!」
耕一の怒号がビルに反響して響き渡る。だが一瞬で正気に戻った。
「すまない」
「信じろって方が無理だと思う」
「お前が嘘を付いていないのは分かる。だが本当なのだとしたら妻の死を止めることはできないのか?」
「いくつかルールがある。できないことはないだろうけどかなり難しい。でもあんたが死ぬのだけは防げる」
なんとなく察しは付いていた。できるなら既にやっていてもおかしくなかったし後押し屋なんていう土壇場の帳尻合わせなんてやらないはずだ。
彼女の言っていたリセマラという単語。リセットマラソン。ソーシャルゲームでレアなキャラクターやアイテムを手に入れるため運要素の高いミニゲームをリセットしては繰り返すものだ。
手に入れるまで何度でも、何度でも。普段ゲームをやらない耕一だがそういうものがあることは知識として知っていた。
「何度も遡っても、ってことか。俺は何度繰り返したって説得される気はない」
「分かってる。でも見過ごせない」
「なんでそこまでするんだ?」
「職権濫用、私がそうしたいから」
「なんだそりゃ」
唐突な台詞に思わず呆気に取られてしまった。この一瞬の間がついさっきまで冷え切っていた空気を和ませた。なんだかイライラしていた自分が馬鹿馬鹿しくなってしまう。
2人して目が合い、つい笑いが込み上げた。そうか、この少女もちゃんと笑えるんだな。その笑みに哀しみが籠っているのを見て罪悪感を微かに感じた。少女は思いを馳せるように続ける。
「それとね、私は以前こうやって救われたから。誰かのためになることをしたかった。だから諦めないよ」
その決意を聞いた後、耕一は再びビルの外側へと向いた。これ以上彼女を見ていたら決意が鈍ってしまいそうだったから。
「名前だけでも聞かせてくれないか」
「…彩花」
「ありがとう、彩花。話を聞いてくれて。そしてごめん、次の俺によろしくな」
俺の顔に刻まれていたのは安堵の笑みだっただろう。死の恐怖や絶望ではなくこれから彼女に会いに行けるという安心を感じていた。彩花には見られていないだろう、こんな顔を見られるわけにはいかない。
ゆっくりと一歩を踏み出す。地面を失った身体は前のめりに倒れ、重力に従って自由落下を始める。重い方が先に下に落ちる、頭が徐々に下を向き地面が頭上に見えてくる。
空気がまるで落下を止めようとしてるみたいに壁となって抗ってくるがそれも焼石だ。
ああ、やっと終われる。
『ほんと馬鹿ね』
地上まであと1秒も満たないというところで声が聞こえた気がした。それは紛れもなく妻の声だった。
まったく、もっと早く会いに来てくれよ。幻聴でないことを祈りながら耕一は微笑んだ。
◇
絶対に止めてやる。
屋上に1人残された彩花は涙を流しながら決心した。その顔には苦悶の表情が刻まれている。
この仕事を始めてから、いやあの日以降から人が死ぬのを見たのは初めてだった。
目の前にただ一つ残された整理された革靴が痛々しい。私も救ってみせる。命の恩人である『あの人』と同じように。そのためにこの仕事をしているのだから。
何度でも何度でも。
代行屋の方針に反したとしても成し遂げてやる。私の目の前で死ぬなんて絶対に許さない。そうして彩花の長い時間の旅が始まった。




