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21 炎帝の墓前

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 暁に濡れる空が、雲を染める。ほの赤い雲がゆぅるりと夜を流れ、じきに暗がりは薄らぎ、朝がやってくる。

 汀は露台の手すりに両腕を乗せ、細い目を更に細めた。群雲の隙間から零れ落ちた光が眩かったのだ。

 鼎宵殿内に汀は一室を設けられていた。といっても、護焔隊の仕事やら八重の相手やら何やらで、部屋で長く過ごす事はあまりない。

 今回も、部屋に戻ったのはつい先程のことである。死んだ部下たちの事後処理だの何だので、随分と時間を食った。まあ、汀はこうしておいてくれ、と隊の皆にお願いをしただけで、そこにいたのみ、と言った方が正しいかもしれないが。実際に隊を動かし、采配しているのは生真面目な副官である。

 できる部下がいて大助かりだ。おかげで、ふらふらと遊んでいても隊の仕事には、そう支障をきたさない。

 見おろした視線の先、朝日に煌く石柱があった。森に囲まれたその広場は墓所である。日生の者が、骨を埋める墓場である。

 厳重な警備が施された鼎宵殿に民が近づく事は許されていないが、中央に石柱のそびえるその広場は、民も自由に出入りが許されていた。日中は人の出入りの多い場だが、早朝の今は、広場の入り口で警備の者のみが暇を持て余している様子だった。

 いや、もう一人、姿があった。彼は石柱の間近に佇み、一心に石柱を見つめている。

 汀は手すりを乗り越え、地面に降り立った。潰した草が濃く香り、夏の気配を感じさせた。履物を用意していなかったが、まあ良い。足裏に直に感じる土と草の匂いが、心地良かった。

 さくさくと軽い音を立てて、汀は墓所を目指す。懐手を組んだ薄物の袂が夏風にはためき、通り抜ける風は涼やかだ。

 広場のその向こう、墓所を挟んだあちら側にも、森は広がる。森の中には、ひっそりとした庵がある。そこで、加羅と二吼の家族は過ごしている。支暁殿で、彼らが生活をする事はない。

 加羅が望んだ事なのか、八重が望んだ事なのか、汀は知らない。興味が無い。どうだって良い事だ。

 朝に、空気が彩られてゆく。空は薄青く華やぎ、山際に残る夜の残滓もやがて、朝日に飲まれて見えなくなった。

 整備された、森の中の道を行く。玉砂利の奏がざらざらと鼓膜を撫でる。森に漂う空気は冷涼だ。

 朝日を浴び、緑の香りを吸い込めば、否応なく体は朝を知覚する。そういえば睡眠を取っていない事に思い至ったが、今から眠ろうという気にはあまりならなかった。とはいえ、だるい体に疲労を感じ、己も歳を重ねたのだと変なところでしみじみ思う。

 警備の者に軽く手を挙げ、挨拶に代える。敬礼の姿勢を取る男は畏まった様子で、石柱の方をちらりと覗った。そんな彼に、まるで猫を払うようにして少し離れていろと促がす。彼は怪訝そうな顔をしたが、少しの後に一つ頷きその場を離れた。

 汀は石柱の前の人影に近づく。汀の気配になどとうに気がついているだろうに、彼は微塵も反応を示さない。

 彼は、夜と同じ装いのままだった。庵には戻っていないのかもしれない。八重の部屋を後にしてから、夜通しここに立っていたのかもしれない。

 さやと空気をくすぐる微風に、金の髪が揺れる。朝日に煌く金の髪に、汀は思わず目を眇めた。

「壬生辰覇は、もう戻りました、か?」

 加羅の隣に、汀は並んだ。返る声は予想通りに無い。だが気にもせず、汀もまた、石柱を眺めた。

 水晶の柱だ。台座に据えられたそれは、成人男性の身丈よりも、僅かに高い。台座は金銀の錦の金具。それを、七色の墨で綾なしている。

 六方柱状の石柱が、朝日を照り返し輝いている。墓標であることなど忘れてしまいそうな美しさであった。だが、石柱の前に供えられた花々がやはり、墓標であるという事を示している。

 この下には、骨が眠る。日生の血に連なる者達が、眠っている。隣に立つ少年もやがて、ここに眠る事となるのだろう。彼の父と母と共に、眠る事となるのだろう。

「ますます与四郎さまに、似てこられました、ね」

 涼やかな、切れ長の紅緋の目。縁取る長い睫毛までもが、鮮やかな金である。すっと通った鼻筋。引き結ばれた唇は意志の強さを感じさせる。

 整った造作は父譲りだ。だが、ふとした時に瞳に過ぎる感情の華やかさは、母譲りなのかもしれない。

 顔の造作そのものは、確かな血によるものなのだろう。だが、伸ばされたこの髪は。ゆるく一つに束ねられたこの髪は。

「でも、どれだけ似せたところで、あなたは与四郎さまにはなれません、よ」

 すいと手を伸ばし、汀は加羅の髪に触れる。

 与四郎も、髪を伸ばしていた。僅かに癖を含む金の髪を、綾紐でゆるく一つに束ねていた。

「ねえ、加羅さま」

 綾紐をほどき、金糸の髪を一束手に取る。

「怖いのです、か? かもしれません、ね。だって、二吼はあなたに忠誠を誓ったわけじゃあない。与四郎さまに、忠誠を捧げているんだから」

 汀は薄い唇に笑みを刻む。

「それとも、主を喪った彼らのため、ですか? 健気なものだ。髪を伸ばして、父とは異なる目を隠して、死んだ主を模って。どれだけ似せても、日生与四郎はもういないのに。どれだけ似せても、あなたは、与四郎さまにはなれないのに」


 ねえ、加羅さま。


 笑み声で呼びかければ、加羅は髪に触れる汀の手を払った。

「気安いぞ」

 低い声に、笑みが込み上げる。

「貴様ごときが、軽々しくおれの名を口にするな」

 ほどかれた髪が、風に乱れる。髪の隙間からこちらを睨めつける瞳が、紅く燃えている。

「だめです、よ」

 払われた手が、ちりちりとひりついた。

「与四郎さまは、そんな目をしない。とてもお優しい方でした。優しく、おおらかで、時に厳しく。まるで太陽のようなお方でした。まるで、神さまのような、お方でした」

 陶然と声を零す汀を、加羅はただ睨んでいる。

 昇る太陽が零す光を背負い、紅緋の瞳に炎を燈す加羅は、凄絶なまでに美しかった。思わずその炎に焼かれてしまいたいほどだと、汀は喉を振るわせる。

 なるほど、人々が呼ばう理由も頷ける。

 凶賊に弑された、悲劇の焔の子。日生の正統。光の世継ぎ。

 里の人々は、彼をこう呼ぶ。


 ――太陽の愛し子、と。


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