小田桐ソウクの行方
退勤してなお、矢部の胸中には釈然としない思いが蟠っていた。同僚たちと酒を酌み交わす気分にはなれず、谷口から小田桐の住所を訊くと、宴会への誘いを断って工場を出た。
電車で数駅の距離を移動し、教えられたアパートへ辿り着いたところで、矢部は言葉を失った。
小田桐の部屋は、全焼していた。
住所を訊いた折、谷口は小火で済んだはずだと話していた。眼前の惨状はその説明と到底釣り合わない。
隣室の住人に尋ねると、先日、このアパートは空を飛ぶ吸血鬼に襲われたのだという。
空を飛ぶ? 吸血鬼はそんなこともできるのか?
小田桐の行方については住人も知らないと言った。警察にも同じことを訊かれたそうだが、大家から聞いた話ではそもそも部屋の契約名義は女性だったらしい。
矢部は礼を述べアパートを後にした。
小田桐はどこへ行ったのか。
所在を確かめに来たはずがかえって不審ばかりが募っていた。鬱屈を拭い切れないまま駅へ引き返そうとしたとき、背後から声をかけられた。
「今、小田桐ソウクの部屋の前にいらっしゃいませんでしたか?」
振り返ると恰幅のいい初老の男が立っていた。不意の問いに返答を躊躇していると、男はその逡巡を察したように名刺を差し出した。
「失礼。私、こういう者です」
ルポライター、柳沢重仁。
名刺の印字を目で追い改めて顔を見た。見覚えがあるのも当然だった。吸血鬼関連の報道で、たびたびコメンテーターを務めている男だった。
「ああ、テレビで何度か、見たことあります」
「それは恐れ入ります。ちょっとした取材で、本日はこちらへ伺いまして。あなたは、小田桐の?」
「同僚、ですね」
ほう、と柳沢は微笑んだ。
「小田桐が労働所以外の場所で働いているという噂は耳にしましたが、本当だったんですね」
「まぁ、なんていうか、社長が変わり者なんですよ」
「谷口さん、でしたか」
微かな違和感が胸を掠めたが、矢部はそれを問い質すことまではしなかった。
「ええ、そうです。今日、珍しく欠勤したんで、俺は様子を見に来ただけですよ。ああ、申し遅れました。矢部といいます。柳沢さんは、ここへ何を?」
「小田桐ソウクという吸血鬼に興味がありまして」
「興味、ですか」
「ああ、いえいえ、大したことではないんですよ。ここ最近、吸血鬼による事件が頻発しているのは、ご存じですよね?」
存じているどころではない。昨日、その当事者にされたばかりである。だが、それをこの男に打ち明けることはしなかった。
「もともと、権利を放棄した吸血鬼が人を襲う事件は、少なからずありました。しかし、最近の数は異常です。その原因を調べたいんですよ」
「それが、小田桐に関係があると?」
「断定はできませんがね。ここ最近の吸血鬼関連の事件の中でも、ここの火事は特に異質なんです」
「異質、というと?」
「吸血鬼同士のいざこざである可能性が高いからです」
♦︎
柳沢の話に関心を抱いた矢部は、もう少し詳しく聞かせてほしいと申し出、彼を喫茶店へ誘った。柳沢は快諾し、二人は近くの店で向かい合って腰を下ろした。
コーヒーが運ばれてくるのを待って、矢部は早速本題を切り出した。
「それで、吸血鬼同士のいざこざが異質って、どういうことですか? さっき思い出したんですが、少し前、ラブホテルで吸血鬼の死体が見つかった事件で、柳沢さんがテレビで仲間割れみたいなことを言ってたじゃないですか。よくあることじゃ、ないんですか?」
「実際、吸血鬼同士が揉める事件は、人間同士の争いと比較すればごく僅かですが、発生しています。その後、行方が分からなくなる者も少なくありません。ただ、私が調べてきた国内の事件では、ああいう形で死体が発見されたのは、あのホテルが初めてでした」
「じゃあ、火事よりもよっぽどそっちの方が異質じゃないですか」
「矢部さんのご指摘はもっともです。ただね、これも推測ですが、あの事件で吸血鬼を殺したのも、小田桐である可能性が高いのです」
まさか、と声が漏れたものの、その否定には根拠がなかった。小田桐は昨日、矢部を救うために同胞を殺している。
確か、あの事件でも女子高校生が襲われていたはずだ。曖昧な報道の記憶に、昨夜目撃した光景が重なった。小田桐が少女を助けるために吸血鬼を殺したのだと仮定すれば、確かに辻褄は合う。
あいつなら、あり得る。
「心当たりが?」
柳沢が訊いた。
「いえ」
「被害者の女子高生、回復してすでに退院しています。私もちょっとしたツテを使って、話を伺うことができました。本人のプライバシーへの配慮から、その後の報道は控えられていますが」
少女は、片山ロクシという吸血鬼から金を払うから血を吸わせてほしいと持ちかけられ、ラブホテルへ入ったのだという。ところがいきなり襲われて意識を失い、次に気がついたときには病院にいたそうだ。
「少女の影にはどうも売春組織がいるようです。証言が全て本当だとは思いませんでしたが、気になりまして。あまり褒められた話じゃありませんが、そのホテルの管理者に金を渡して、防犯カメラの映像を見せてもらったんですよ」
吸血鬼を客として受け入れるホテルである。確かに、金次第でどうにでもなりそうに思えた。
「片山と女子高生が入る少し前に、小田桐と連れの女性が映っていました」
「小田桐が、女と?」
「ええ。金井アズサという人物です」
「金井、アズサ」
聞き覚えがあった。しかし、それは谷口の付き合っている女の名前ではなかったか。
採用当時の谷口の言葉が蘇った。小田桐は、大事な女の恩人なのだと。その人物こそが金井アズサであるはずだった。
「その名前、どうやって調べたんですか?」
「火事の方から調べたんです。部屋を借りていたのが金井さんで、実際に暮らしていたのが小田桐。映像の二人については、小田桐の顔を隣人に、金井さんの顔を大家に、それぞれ確認してもらいました」
アパートの名義人と、ホテルにいた女。別々に聞かされた二つの話が、谷口の恋人という一点で結びついてしまった。
「じゃあ、小田桐は、社長の……」
「男女間の問題は本質ではないので、ひとまず措きましょう。それよりも問題は、帰りです。小田桐、金井、片山、女子高生。この4人のうち、私が見た映像で退出を確認できたのは、金井アズサ1人でした。片山は室内で死に、少女は病院へ運ばれている。小田桐が片山を殺し、少女を連れ出したと考えれば、辻褄は合うでしょう」
理屈には頷けても、別の疑念が頭から離れなかった。
小田桐が、谷口の女に横恋慕していたとでもいうのか。
「話を戻しましょう。その小田桐の部屋を、別の吸血鬼が襲った。あの火事は、そういう事件だと見て、まず間違いありません」
柳沢は続けた。
「単なるいざこざなら、そこまで異質ではありません。しかし、目撃者の証言によれば、その吸血鬼は《空を飛びながら》《炎を出した》そうです」
「それが?」
「詳しい能力については、私の本を後でお渡ししますから、よければ読んでみてください。簡単に言えば、飛行と炎の操作を同時に続けているんです。私が調べた限り、日本にいる吸血鬼には、まず見られない芸当ですよ。できるとすれば」
柳沢はコーヒーを一口啜った。
「彼らの本国、ワラキアの吸血鬼です」
ワラキア。かつて世界に戦争を仕掛けた吸血鬼の本国。その名は、矢部の記憶にも残っていた。
「本国の吸血鬼が日本を訪れることは、原則として認められていません。休戦協定の条件でもありますからね」
「だから異質、だと?」
「そうです。そして、それ以降、吸血鬼が人間を襲う事件が異常といえる数で発生している。ここまで重なれば、小田桐にも何らかの関わりがあると考えるのが自然でしょう」
矢部は釈然としないものを残しながらも頷いた。折しも、小田桐は急に休みを取っている。己の与り知らぬところで、何か大きな出来事が動き始めているのではないか。それも思いのほか近い場所で。
「柳沢さんは、その、小田桐に会えたとして、一体何を聞きたいんですか?」
「私は吸血鬼専門のルポライターです。取材を重ねるうちに、小田桐という吸血鬼の特異性が気になりまして。彼の本を書きたいと思ったんですよ。人を助ける吸血鬼というのは、彼のほかに思い当たりませんでしたから」
「本、ですか。でも柳沢さん、テレビでは吸血鬼に批判的というか、攻撃的というか、そんな感じじゃないですか。小田桐の話は、柳沢さんのスタンスと対極にありそうですけど」
柳沢は笑って、残っていたコーヒーを飲み干した。
「私もね、生きるためにいろいろ必死なんですよ」




