旅路へ
千切れた下半身を引き寄せ、切断面を合わせる。
互いの傷口から細い繊維が伸び、絡み合った。ずれていた肉が収まり、腹を一周していた裂け目が徐々に塞がっていく。
矢部はその間、一言も喋らなかった。
修復が終わると俺は立ち上がった。腹を確かめる。服はともかく、体は元通りだ。
「立てるか?」
「あ、ああ。立てるに決まってるだろ」
矢部は地面に手をつき、どうにか両足で立った。
だがすぐに膝が折れ、尻餅をつく。
「くそ」
俺は手を差し出した。
矢部がその手を振り払った。
「吸血鬼の手なんざ、借りられるかよ」
「……勝手にしろ」
矢部が自力で立ち上がるまでの15分。
その間に俺は猿の死体を片づけ、今後のことを考えていた。
『今後、同胞殺しはお止めください」
クスカが次も、脅しで済ませてくれるとは思えなかった。
♦︎
翌朝、社長へ電話を入れた。
急用が出来たので、しばらく休みたい。今夜の飲み会にも出られない。
詳しい事情を話せない平謝りの俺に、社長は困ったように笑って、気をつけてな、と言った。
その夜。
ベッドの中で俺に寄り添っていたアズサが、顔を上げた。
「ねぇ、話って何?」
「しばらく、ここを離れようと思う」
アズサが起き上がった。
「どういうこと? 浮気?」
「俺に浮気する甲斐性があると思うか?」
「思わない。けど」
侵攻のことを話すべきか、迷った。
俺が戻るまで不安を抱えさせるより、まず、それを止める方法を探したかった。
「里帰りだ。爺さんに呼ばれてる」
「お爺さんって、やっぱり……」
「吸血鬼だ。今年で1,500歳になる。爺さんの世代には、100年ごとに誕生日を祝う習慣があってな。俺も呼ばれてる」
嘘を上手くつくには、真実を混ぜればいい。
遥かな昔、親父にそう教わった。
アズサはまだ疑っているようだったが、やがて俺の隣へ寝転がった。
「誕生日じゃ、仕方ないか。いつ帰ってくるの?」
「明日発って、遅くともクリスマスまでには」
「絶対だよ」
「ああ」
「クリスマスまで一人にされたら、さすがに許してあげないからね」
それまでに事態をいい方向へ導かなければならない。どうすればそうなるかは、まだ判らなかった。
「その代わり、今日は朝まで付き合ってよね」
アズサが俺の首へ腕を回した。
抱き寄せようとして、手が止まる。
同胞の気配。
アルカード・クスカ。
近い。屋上だ。
舌打ちが漏れた。
「何?」
アズサの腕をほどき、ベッドを降りる。
馬鹿な。
昨夜の死体は片づけた。矢部以外に目撃者もいなかったはずだ。なぜ、こんなに早く知られてしまったというのか。
「すまない、アズサ。急用が出来た」
「今から?」
「お前も、ここを出てくれ。社長に連絡して、合流するんだ」
「だって、ここ、私の家だよ?」
「判ってる。だが、ここは危険なんだ」
俺の顔を見て、アズサは言葉を止めた。
クローゼットを開け、服を取り出す。
「何があるのか知らないけど、気をつけて」
「ああ。社長と合流したら、連絡をくれ」
シャツを掴んで部屋を出た。
♦︎
屋上へ出ると、銀髪の吸血鬼が空に浮かんでいた。
両肩を突き破った背骨の翼。あの時と同じ、黒いタキシード。
俺は魔性の解放を始めた。
「あなたという人は、本当に解りませんね」
クスカが、屋上へ降り立った。
「勇敢なのか。愚かなのか」
「何のことだ」
「惚けるのはお止めなさい」
声は静かだった。
周囲の温度が上がっていく。
「私は、とても不快なのです。あれほど申し上げた忠告を、こうもあっさり無視されるとは」
12月の屋上で、寒さが消える。むき出しの胸に、熱が届く。
クスカの翼が燃え始めた。炎は骨を伝って肩へ、腕へ、全身へと広がっていく。
以前、アパートを襲った時とは違う。脅しで済ませる気はないようだ。
どうする。何を具現すれば、こいつを止められる?
前のように体を広げたところで、今度は焼き抜かれるだけだ。
炎が膨れ上がり、火柱となって夜空へ伸びた。
無理だ。これほど強大な魔性の力に、対抗できるイメージなど湧きはしない。
「同胞殺しは本国においても禁忌ですが、あなたの蛮行を防ぐためです。伯爵もお赦しになるでしょう」
アズサ――。
「目を閉じろ!」
聞き覚えのある声だった。
とっさに目を瞑る――瞼の裏まで、白く染まった。
肩を掴まれる。足が屋上から離れ、落下の感覚が腹を持ち上げた。
着地と同時に、目を開けると、見知った短髪の男――ヤマシだった。
「よう」
「助かった。だが、今、何をしたんだ?」
「唾を閃光弾に変えた。あの距離でまともに見たんだ。いくら親衛隊でも、すぐには追ってこられねぇよ」
ヤマシが俺の肩を離した。
「さっさと走るぞ」
もう一度礼を言う暇もなく、奴は走り出した。
俺もその背を追った。
♦︎
マンションから数十キロ離れた河川敷で、俺達はようやく足を止めた。
ガード下へ入り、手に握ったままだったシャツを着る。
携帯を確かめると、アズサから連絡が来ていた。
『谷口さんと合流したよ。ソウクは?』
無事だ。しばらくそこにいてくれ、と返しておく。
それを見届けてから、ヤマシが口を開いた。
「おまえ、また同胞をやったんだろ」
「ああ」
「懲りねぇな、お前も」
「礼を言うぞ。さっきは本気で危なかった」
「そりゃ見れば判る。で、どうすんだよ。今度こそドラキュラも黙ってねぇぞ」
「行くしかないだろうな」
「本国へか?」
「ああ」
「何しに?」
「ドラキュラを狩りにさ」
ヤマシが声を張り上げかけたので、俺は慌てて口を塞いだ。
「大声を出すな」
クスカの気配は、まだ遠い。だが、あれほどの使い手なら、聴覚へ魔性を集中させることも出来るだろう。どこまで届くか、試す気にはならなかった。
頭上を車が通り過ぎていく。その音に紛れるように、ヤマシが声を落とす。
「本気かよ」
「ああ」
「謝りに行くのかと思ったぜ。何だって、わざわざ殺されに行くんだ」
「戦争が始まれば、アズサと暮らすことも、あいつを守ることも難しくなる」
「だからってな」
「どのみち、俺はもう命を狙われてる。ドラキュラをどうにかしない限り、元の生活には戻れない」
「勝ち目がどこにある」
「向こうにも、ツテがないわけじゃない。上手くやるさ」
「クリスマスまでにか? あと何日だと思ってんだよ。側近にも歯が立たねぇくせに」
その通りだった。クスカ1人を相手にして、俺は何も出来なかった。
今の俺がドラキュラを殺せる可能性など、ゼロに等しい。
「大人しく逃げ続けた方が、まだましだぜ」
逃げ続ける――いつまで?
いつになったら、奴らの追撃を振り切れる?
「忠告はありがたい。だが、俺に他の選択肢はない」
「馬鹿が。死ぬぞ、お前」
「アズサを助けた時から、俺の半分はもう死んでる。死ぬことに恐れなどありはしない。ただ……」
ただ、あいつが気がかりだった。
アズサの秘密を、もし他の吸血鬼が、ドラキュラが嗅ぎつけたら。
アズサは確実に殺される。
「ヤマシ」
「何だよ」
「付き合いは、何年になる?」
「大体3年だろ。お前が人間に絡まれている時に、なんとなく助けたのが初まりだったよな」
ヤマシはいいやつだった。街角で俺に絡んだ矢部のような吸血鬼嫌いを、殺すこともせず上手にあしらい、場を収めてくれた。それから数ヶ月おきに、俺たちは連絡を取り合う仲になった。
ヤマシは血を絶っている。理由を俺に教えることはなかったが、この状況下で信頼をおける友は、ヤマシをおいて他にいなかった。
「明日、この国を発つ。俺が戻るまで、アズサを守ってやってくれないか」
ヤマシはしばらく黙っていた。
やがてコンクリートの斜面へ寝転がり、両手を頭の下へ入れた。
「お前が戻ってくる保証は?」
「ない」
「冗談じゃねぇ」
ヤマシが目を閉じた。
「判った。クリスマスまでには、必ず戻る。帰ったら、給料全部、お前に貢ぐさ」
ヤマシが片目を開けた。
「1日たりとも、まけてやらねぇからな」
「ああ」
「必ず生きて帰ってこいよ」
「感謝する」
ヤマシが体を起こした。
「で、明日発つって、どこから行く気だ? あの親衛隊がお前を捜してるんだぞ」
「微小に魔性を解放しながら、海を泳ぐ。空を飛ぶよりは目立たずに済むはずだ。30時間もあれば着くだろう」
奴は声を殺して笑い始めた。
「お前って、頭いいのか悪いのか、本当はいったいどっちなんだよ」
川面に映った月が細かく揺れている様を見ながら、両方だ、と俺は答えた。




