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闇に朱色がよく似合う  作者: 太郎鉄
Chapter1 日本
7/12

旅路へ

 千切れた下半身を引き寄せ、切断面を合わせる。


 互いの傷口から細い繊維が伸び、絡み合った。ずれていた肉が収まり、腹を一周していた裂け目が徐々に塞がっていく。


 矢部はその間、一言も喋らなかった。


 修復が終わると俺は立ち上がった。腹を確かめる。服はともかく、体は元通りだ。


「立てるか?」


「あ、ああ。立てるに決まってるだろ」


 矢部は地面に手をつき、どうにか両足で立った。


 だがすぐに膝が折れ、尻餅をつく。


「くそ」


 俺は手を差し出した。


 矢部がその手を振り払った。


「吸血鬼の手なんざ、借りられるかよ」


「……勝手にしろ」


 矢部が自力で立ち上がるまでの15分。


 その間に俺は猿の死体を片づけ、今後のことを考えていた。


『今後、同胞殺しはお止めください」


 クスカが次も、脅しで済ませてくれるとは思えなかった。


♦︎


 翌朝、社長へ電話を入れた。


 急用が出来たので、しばらく休みたい。今夜の飲み会にも出られない。


 詳しい事情を話せない平謝りの俺に、社長は困ったように笑って、気をつけてな、と言った。


 その夜。


 ベッドの中で俺に寄り添っていたアズサが、顔を上げた。


「ねぇ、話って何?」


「しばらく、ここを離れようと思う」


 アズサが起き上がった。


「どういうこと? 浮気?」


「俺に浮気する甲斐性があると思うか?」


「思わない。けど」


 侵攻のことを話すべきか、迷った。


 俺が戻るまで不安を抱えさせるより、まず、それを止める方法を探したかった。


「里帰りだ。爺さんに呼ばれてる」


「お爺さんって、やっぱり……」


「吸血鬼だ。今年で1,500歳になる。爺さんの世代には、100年ごとに誕生日を祝う習慣があってな。俺も呼ばれてる」


 嘘を上手くつくには、真実を混ぜればいい。


 遥かな昔、親父にそう教わった。


 アズサはまだ疑っているようだったが、やがて俺の隣へ寝転がった。


「誕生日じゃ、仕方ないか。いつ帰ってくるの?」


「明日発って、遅くともクリスマスまでには」


「絶対だよ」


「ああ」


「クリスマスまで一人にされたら、さすがに許してあげないからね」


 それまでに事態をいい方向へ導かなければならない。どうすればそうなるかは、まだ判らなかった。


「その代わり、今日は朝まで付き合ってよね」


 アズサが俺の首へ腕を回した。


 抱き寄せようとして、手が止まる。


 同胞の気配。


 アルカード・クスカ。


 近い。屋上だ。


 舌打ちが漏れた。


「何?」


 アズサの腕をほどき、ベッドを降りる。


 馬鹿な。


 昨夜の死体は片づけた。矢部以外に目撃者もいなかったはずだ。なぜ、こんなに早く知られてしまったというのか。


「すまない、アズサ。急用が出来た」


「今から?」


「お前も、ここを出てくれ。社長に連絡して、合流するんだ」


「だって、ここ、私の家だよ?」


「判ってる。だが、ここは危険なんだ」


 俺の顔を見て、アズサは言葉を止めた。


 クローゼットを開け、服を取り出す。


「何があるのか知らないけど、気をつけて」


「ああ。社長と合流したら、連絡をくれ」


 シャツを掴んで部屋を出た。


♦︎


 屋上へ出ると、銀髪の吸血鬼が空に浮かんでいた。


 両肩を突き破った背骨の翼。あの時と同じ、黒いタキシード。


 俺は魔性の解放を始めた。


「あなたという人は、本当に解りませんね」


 クスカが、屋上へ降り立った。


「勇敢なのか。愚かなのか」


「何のことだ」


「惚けるのはお止めなさい」


 声は静かだった。


 周囲の温度が上がっていく。


「私は、とても不快なのです。あれほど申し上げた忠告を、こうもあっさり無視されるとは」


 12月の屋上で、寒さが消える。むき出しの胸に、熱が届く。


 クスカの翼が燃え始めた。炎は骨を伝って肩へ、腕へ、全身へと広がっていく。


 以前、アパートを襲った時とは違う。脅しで済ませる気はないようだ。


 どうする。何を具現すれば、こいつを止められる?


 前のように体を広げたところで、今度は焼き抜かれるだけだ。


 炎が膨れ上がり、火柱となって夜空へ伸びた。

無理だ。これほど強大な魔性の力に、対抗できるイメージなど湧きはしない。


「同胞殺しは本国においても禁忌ですが、あなたの蛮行を防ぐためです。伯爵もお赦しになるでしょう」


 アズサ――。


「目を閉じろ!」


 聞き覚えのある声だった。


 とっさに目を瞑る――瞼の裏まで、白く染まった。


 肩を掴まれる。足が屋上から離れ、落下の感覚が腹を持ち上げた。


 着地と同時に、目を開けると、見知った短髪の男――ヤマシだった。


「よう」


「助かった。だが、今、何をしたんだ?」


「唾を閃光弾に変えた。あの距離でまともに見たんだ。いくら親衛隊でも、すぐには追ってこられねぇよ」


 ヤマシが俺の肩を離した。


「さっさと走るぞ」


 もう一度礼を言う暇もなく、奴は走り出した。


 俺もその背を追った。


♦︎


 マンションから数十キロ離れた河川敷で、俺達はようやく足を止めた。


 ガード下へ入り、手に握ったままだったシャツを着る。


 携帯を確かめると、アズサから連絡が来ていた。


『谷口さんと合流したよ。ソウクは?』


 無事だ。しばらくそこにいてくれ、と返しておく。


 それを見届けてから、ヤマシが口を開いた。


「おまえ、また同胞をやったんだろ」


「ああ」


「懲りねぇな、お前も」


「礼を言うぞ。さっきは本気で危なかった」


「そりゃ見れば判る。で、どうすんだよ。今度こそドラキュラも黙ってねぇぞ」


「行くしかないだろうな」


「本国へか?」


「ああ」


「何しに?」


「ドラキュラを狩りにさ」


 ヤマシが声を張り上げかけたので、俺は慌てて口を塞いだ。


「大声を出すな」


 クスカの気配は、まだ遠い。だが、あれほどの使い手なら、聴覚へ魔性を集中させることも出来るだろう。どこまで届くか、試す気にはならなかった。


 頭上を車が通り過ぎていく。その音に紛れるように、ヤマシが声を落とす。


「本気かよ」


「ああ」


「謝りに行くのかと思ったぜ。何だって、わざわざ殺されに行くんだ」


「戦争が始まれば、アズサと暮らすことも、あいつを守ることも難しくなる」


「だからってな」


「どのみち、俺はもう命を狙われてる。ドラキュラをどうにかしない限り、元の生活には戻れない」


「勝ち目がどこにある」


「向こうにも、ツテがないわけじゃない。上手くやるさ」


「クリスマスまでにか? あと何日だと思ってんだよ。側近にも歯が立たねぇくせに」


 その通りだった。クスカ1人を相手にして、俺は何も出来なかった。


 今の俺がドラキュラを殺せる可能性など、ゼロに等しい。


「大人しく逃げ続けた方が、まだましだぜ」


 逃げ続ける――いつまで?


 いつになったら、奴らの追撃を振り切れる?


「忠告はありがたい。だが、俺に他の選択肢はない」


「馬鹿が。死ぬぞ、お前」


「アズサを助けた時から、俺の半分はもう死んでる。死ぬことに恐れなどありはしない。ただ……」


 ただ、あいつが気がかりだった。


 アズサの秘密を、もし他の吸血鬼が、ドラキュラが嗅ぎつけたら。


 アズサは確実に殺される。


「ヤマシ」


「何だよ」


「付き合いは、何年になる?」


「大体3年だろ。お前が人間に絡まれている時に、なんとなく助けたのが初まりだったよな」


 ヤマシはいいやつだった。街角で俺に絡んだ矢部のような吸血鬼嫌いを、殺すこともせず上手にあしらい、場を収めてくれた。それから数ヶ月おきに、俺たちは連絡を取り合う仲になった。


 ヤマシは血を絶っている。理由を俺に教えることはなかったが、この状況下で信頼をおける友は、ヤマシをおいて他にいなかった。


「明日、この国を発つ。俺が戻るまで、アズサを守ってやってくれないか」


 ヤマシはしばらく黙っていた。


 やがてコンクリートの斜面へ寝転がり、両手を頭の下へ入れた。


「お前が戻ってくる保証は?」


「ない」


「冗談じゃねぇ」


 ヤマシが目を閉じた。


「判った。クリスマスまでには、必ず戻る。帰ったら、給料全部、お前に貢ぐさ」


 ヤマシが片目を開けた。


「1日たりとも、まけてやらねぇからな」


「ああ」


「必ず生きて帰ってこいよ」


「感謝する」


 ヤマシが体を起こした。


「で、明日発つって、どこから行く気だ? あの親衛隊がお前を捜してるんだぞ」


「微小に魔性を解放しながら、海を泳ぐ。空を飛ぶよりは目立たずに済むはずだ。30時間もあれば着くだろう」


 奴は声を殺して笑い始めた。


「お前って、頭いいのか悪いのか、本当はいったいどっちなんだよ」


 川面に映った月が細かく揺れている様を見ながら、両方だ、と俺は答えた。


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