対決
嫌なニュースばかりだった。
ヤマシと話してから3日。吸血鬼による殺人事件は報道されているだけでも関東で25件。全国を合わせると、100を超えていた。
例の通達を受け取った連中が、戦争の勝利を見越して先走っているのだろう。
そのうち1件は職場の近くで起きていた。社長室の窓からも見える、あの森林公園だ。
面倒は避けたい。だが、俺の生活圏をこれ以上荒らすというなら。
殺すしかあるまい。
たとえ、ドラキュラの敵意を完全に買うことになっても。
俺の働く町工場は、19時にはほぼ全ての作業を終える。
金曜日にはそのまま皆で酒を飲みに行くことが多かった。これまで俺は基本的に不参加だった。酒の入った矢部の前に俺がいては、場の空気が悪くなることは明白で、アズサにも止められていたのだ。
しかし今週は従業員が全員集まるらしく、社長が珍しく、ソウちゃんも強制参加だ、と息巻いていた。今日は木曜。明日貸し切れる居酒屋を駅前で探しておいてほしい、と社長が依頼したのが
俺と矢部だった。
社長が何を期待しているのかは、想像がつく。が、期待に応えられる気はしなかった。
俺達は森林公園を歩いていた。
工場から駅前へ出るには、ここを突っ切るのが早い。事件のことで迂回を提案したが、矢部は聞かなかった。俺と一緒にいる時間を、1秒でも短くしたいらしい。
人気のない遊歩道で、木々が風に揺れている。
矢部は俺の数歩前を歩き、3歩に1度くらいの割合で舌打ちをしていた。並んで歩く気すらないようだ。
「冗談じゃねぇや。社長も何考えてんだか」
街灯の下で、矢部が足を止めた。
赤いトレーナーにジーンズ。矢部は普段、俺より先に退勤することはない。だから、私服を見るのは初めてだった。身軽そうに歩いてはいるが、仕事中より機嫌がいいということはなさそうだ。
「居酒屋なんざ、いつも適当に決めてんじゃねぇか。何だって俺が、わざわざ探しに行かなきゃなんねぇんだよ。よりによって、お前と」
吐き捨てられた唾が俺の頬へ飛んできた。かわす。
「ああ、気に食わねぇ。1発殴らせろ。そうしねぇと、苛々して死にそうだ」
胸倉を掴まれた。
「やれよ。それで気が済むならな」
殴られる。痛みはない。
「偉そうな口利くんじゃねぇよ。吸血鬼風情が。殴ってください、お願いします、だろうが」
「マゾじゃないんだ。殴られたくもないのに、懇願なんざ出来ないね」
もう1発。
拳よりも、胸倉を掴む手の方が煩わしかった。
「本当に生意気だなお前。クビにしてやろうか? 吸血鬼なんざ、本来は労働所行きなんだぜ」
吸血鬼保護法。
日本に籍を置く吸血鬼には、労働所で身柄を管理され、保護される《権利》がある。
その権利を放棄した者には一切の人権を認めない。
よく出来た法律だ。俺達には選ぶ自由だけが与えられている。
「あんたたちの言うところでは、権利であって義務じゃないらしいがな。1日15時間働いて、休みは月に1度。月給は10万。それでも入りたいと思うか?」
「戦争に負けたのは、てめぇらだろうが。安月給だろうが重労働だろうが、我慢しろや。法律破ってまで、人間様と一緒に働こうなんざ筋違いなんだよ」
再び拳が飛んでくる。
痛みはない。腹も立たなかった。
「大体、てめぇら、血なんざ吸わなくても生きられるんだろ」
胸倉を掴む手に、さらに力が入った。
「だったら、なんでだよ」
矢部の声が震えた。
「なんで、愛子を殺しやがった」
愛子。3年前に殺された、矢部の妻の名だ。
俺は、その問いに対する答えを持たない。
だから、黙って殴られてやることにした。
「答えろよ、小田桐!」
拳が振り上げられる――俺は矢部を突き飛ばす。
直後、俺達の間を何かが通り抜けた。
街灯が半ばから切断され、矢部の頭上へ傾いでいく。
俺は魔性を解放しながら矢部の襟を掴み、そのまま茂みへ飛び込んだ。背後で金属とガラスの砕ける音がした。
声を上げかけた矢部の口を、手で塞ぐ。
「息をするな。見つかる」
迂闊だった。
矢部の言葉に、少なからず動揺していたらしい。魔性を解放した同胞が、すぐ近くまで来ていることに気がつかなかった。
「いいと言うまで、ここを動くな。呼吸も抑えろ」
矢部の返事を待たず、俺は茂みを飛び出した。
頭上から、2発目。
月明かりの中で空気が歪んだ。身をひねってかわすと、背後の木の幹に深い切れ目が走る。
俺は跳び上がり、刃が飛んできた方向を見た。
太い杉の天辺に、青いジャージを着た同胞がいた。小柄で、猿のような顔をしている。
下降しながら、両腕にムチのイメージを描いておく。
俺が着地すると、奴も遊歩道へ降りてきた。
「あれ、人間は?」
「今日は諦めて帰れ。続けるなら、俺が相手をすることになる」
「何それ。吸血鬼のくせに、人間の味方?」
猿が俺の顔を眺める。
「ああ。例の通り魔って、あんたか」
不本意な俗称だ。俺が見境なく同胞を襲っているような誤解を生む。
「近くにいるね。息遣いが聞こえる」
「帰る気はない、か」
「当然。一昨日から吸ってないんだ。せっかく伯爵様が来てくださるっていうのに、我慢してる方が馬鹿だろ」
一昨日。
ならば、血によって増幅された魔性も、そろそろ衰え始める頃だ。長引かせずに済むかもしれない。
「邪魔だね、あんた。殺すわ」
猿が大きく息を吸った。
吐く。
取り込んだ空気に魔性が宿り、薄い刃となって飛んできた。
空気を使うという着想は悪くない。だが、息を吸うところから狙う方向まで、何もかも見せてくれるとは。
読みやすいのだ。
俺はイメージを具現した。
両腕が細く伸び、しなやかなムチへ変わる。
《巻きつく》《しなる》《力を逃がす》。
左腕を振るった。
ムチが刃を絡め取る。一直線に進もうとする力は横へ引きずられ、俺の脇でただの風に戻った。
猿の顔から笑みが消える。
「刃に《切る》以外のイメージも込めておけ。切るは直線の力には有効だが、曲線には弱い」
忠告を聞く気はないらしい。奴は再び息を吸い、同じ刃を放った。
左のムチでさばく。
同時に右腕を伸ばし、奴の首へ巻きつけた。
猿は両手でムチを掴み、引き剥がそうとする。
締め上げても、首は落ちなかった。魔性を解放した肉体は、そう簡単には切断出来ない。
だが、動きは止められた。
クスカは、翼で体を浮かせながら炎を操っていた。
2種類の魔性を、同時に。
俺にも、それが出来れば。
右腕で首を固定したまま、左腕をハンマーに変える。頭を潰せば、それで終わる。
血の力を借りずに、2つの異なる形を維持する。これまで出来なかったことだが、本国の連中を相手にするなら、いずれ必要になる。
この程度の相手なら、試せるはずだった。
左のムチを腕へ戻す。
重さ。硬さ。叩き潰すための形。
頭の奥が熱くなった。
脳内の魔性炉が、無理な要求に軋んでいる。それでも、もう少しだけ集中を強める。
左腕が、巨大なハンマーへと膨れ上がった。
同時に、右腕から力が抜けた。
ムチが縮み、ただの腕へ戻ってしまう。
猿の首が解放された。
背後で悲鳴。
振り向くと、矢部が茂みから転がり出ていた。こちらへ向けた目を見開き、後ずさっている。
舌打ち。よりによって、今か。
猿が矢部を見た。息を吸う。
イメージを作り直す時間はない。
俺は重いハンマーを腕へ戻し、矢部の前へ跳んだ。
腹が裂けた。
血が靴の甲へ落ちる。体は、まだ繋がっていた。
「俺の後ろから、今度は絶対に動くな」
矢部は尻餅をついたまま口を開閉させている。腰を抜かしているらしい。
2種類の具現化は失敗した。
人間を庇いながら試すには、無謀すぎたようだ。
猿が笑った。
短く息を継ぎ、刃を3発、立て続けに放つ。その後を追って、こちらへ走り始めた。
かわすことは出来ない。後ろには矢部がいる。
次で、決める。
ヤマシの顔が浮かんだ。
宙で弾けた空き缶。僅かな魔性の解放。触媒は、唾。
あいつには感謝しなければならない。
唾にイメージを込める。
爆竹では足りない。
《爆弾》だ。
1発目の刃が、腹へ食い込んだ。
2発目。同じ傷が、さらに深くなる。
3発目で、胴が千切れた。
矢部の悲鳴が聞こえる。
上半身が、地面へ滑り落ちていく。
猿が目前まで迫っていた。俺の顔を見下ろし、口を大きく開ける。
吸血鬼は、胴を両断された程度では死なない。
脳内の魔性炉。それを破壊しなければ、終わらない。
然り。奴も、それを知っている。
地面に落ちる前の俺の頭へ、とどめの刃を放つつもりだ。
猿が息を吐く、その直前。
俺は奴の顔へ、唾を吐いた。
猿の頭が爆発するのと、俺の上半身が地面に落ちるのは、ほぼ同時だった。




