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闇に朱色がよく似合う  作者: 太郎鉄
Chapter1 日本
6/12

対決

 嫌なニュースばかりだった。


 ヤマシと話してから3日。吸血鬼による殺人事件は報道されているだけでも関東で25件。全国を合わせると、100を超えていた。


 例の通達を受け取った連中が、戦争の勝利を見越して先走っているのだろう。


 そのうち1件は職場の近くで起きていた。社長室の窓からも見える、あの森林公園だ。


 面倒は避けたい。だが、俺の生活圏をこれ以上荒らすというなら。


 殺すしかあるまい。


 たとえ、ドラキュラの敵意を完全に買うことになっても。


 俺の働く町工場は、19時にはほぼ全ての作業を終える。


 金曜日にはそのまま皆で酒を飲みに行くことが多かった。これまで俺は基本的に不参加だった。酒の入った矢部の前に俺がいては、場の空気が悪くなることは明白で、アズサにも止められていたのだ。


 しかし今週は従業員が全員集まるらしく、社長が珍しく、ソウちゃんも強制参加だ、と息巻いていた。今日は木曜。明日貸し切れる居酒屋を駅前で探しておいてほしい、と社長が依頼したのが

俺と矢部だった。


 社長が何を期待しているのかは、想像がつく。が、期待に応えられる気はしなかった。


 俺達は森林公園を歩いていた。


 工場から駅前へ出るには、ここを突っ切るのが早い。事件のことで迂回を提案したが、矢部は聞かなかった。俺と一緒にいる時間を、1秒でも短くしたいらしい。


 人気のない遊歩道で、木々が風に揺れている。


 矢部は俺の数歩前を歩き、3歩に1度くらいの割合で舌打ちをしていた。並んで歩く気すらないようだ。


「冗談じゃねぇや。社長も何考えてんだか」


 街灯の下で、矢部が足を止めた。


 赤いトレーナーにジーンズ。矢部は普段、俺より先に退勤することはない。だから、私服を見るのは初めてだった。身軽そうに歩いてはいるが、仕事中より機嫌がいいということはなさそうだ。


「居酒屋なんざ、いつも適当に決めてんじゃねぇか。何だって俺が、わざわざ探しに行かなきゃなんねぇんだよ。よりによって、お前と」


 吐き捨てられた唾が俺の頬へ飛んできた。かわす。


「ああ、気に食わねぇ。1発殴らせろ。そうしねぇと、苛々して死にそうだ」


 胸倉を掴まれた。


「やれよ。それで気が済むならな」


 殴られる。痛みはない。


「偉そうな口利くんじゃねぇよ。吸血鬼風情が。殴ってください、お願いします、だろうが」


「マゾじゃないんだ。殴られたくもないのに、懇願なんざ出来ないね」


 もう1発。


 拳よりも、胸倉を掴む手の方が煩わしかった。


「本当に生意気だなお前。クビにしてやろうか? 吸血鬼なんざ、本来は労働所行きなんだぜ」


 吸血鬼保護法。


 日本に籍を置く吸血鬼には、労働所で身柄を管理され、保護される《権利》がある。


 その権利を放棄した者には一切の人権を認めない。


 よく出来た法律だ。俺達には選ぶ自由だけが与えられている。


「あんたたちの言うところでは、権利であって義務じゃないらしいがな。1日15時間働いて、休みは月に1度。月給は10万。それでも入りたいと思うか?」


「戦争に負けたのは、てめぇらだろうが。安月給だろうが重労働だろうが、我慢しろや。法律破ってまで、人間様と一緒に働こうなんざ筋違いなんだよ」


 再び拳が飛んでくる。


 痛みはない。腹も立たなかった。


「大体、てめぇら、血なんざ吸わなくても生きられるんだろ」


 胸倉を掴む手に、さらに力が入った。


「だったら、なんでだよ」


 矢部の声が震えた。


「なんで、愛子を殺しやがった」


 愛子。3年前に殺された、矢部の妻の名だ。


 俺は、その問いに対する答えを持たない。


 だから、黙って殴られてやることにした。


「答えろよ、小田桐!」


 拳が振り上げられる――俺は矢部を突き飛ばす。


 直後、俺達の間を何かが通り抜けた。


 街灯が半ばから切断され、矢部の頭上へ傾いでいく。


 俺は魔性を解放しながら矢部の襟を掴み、そのまま茂みへ飛び込んだ。背後で金属とガラスの砕ける音がした。


 声を上げかけた矢部の口を、手で塞ぐ。


「息をするな。見つかる」


 迂闊だった。


 矢部の言葉に、少なからず動揺していたらしい。魔性を解放した同胞が、すぐ近くまで来ていることに気がつかなかった。


「いいと言うまで、ここを動くな。呼吸も抑えろ」


 矢部の返事を待たず、俺は茂みを飛び出した。


 頭上から、2発目。


 月明かりの中で空気が歪んだ。身をひねってかわすと、背後の木の幹に深い切れ目が走る。


 俺は跳び上がり、刃が飛んできた方向を見た。


 太い杉の天辺に、青いジャージを着た同胞がいた。小柄で、猿のような顔をしている。


 下降しながら、両腕にムチのイメージを描いておく。


 俺が着地すると、奴も遊歩道へ降りてきた。


「あれ、人間は?」


「今日は諦めて帰れ。続けるなら、俺が相手をすることになる」


「何それ。吸血鬼のくせに、人間の味方?」


 猿が俺の顔を眺める。


「ああ。例の通り魔って、あんたか」


 不本意な俗称だ。俺が見境なく同胞を襲っているような誤解を生む。


「近くにいるね。息遣いが聞こえる」


「帰る気はない、か」


「当然。一昨日から吸ってないんだ。せっかく伯爵様が来てくださるっていうのに、我慢してる方が馬鹿だろ」


 一昨日。


 ならば、血によって増幅された魔性も、そろそろ衰え始める頃だ。長引かせずに済むかもしれない。


「邪魔だね、あんた。殺すわ」


 猿が大きく息を吸った。


 吐く。


 取り込んだ空気に魔性が宿り、薄い刃となって飛んできた。


 空気を使うという着想は悪くない。だが、息を吸うところから狙う方向まで、何もかも見せてくれるとは。


 読みやすいのだ。


 俺はイメージを具現した。


 両腕が細く伸び、しなやかなムチへ変わる。


 《巻きつく》《しなる》《力を逃がす》。


 左腕を振るった。


 ムチが刃を絡め取る。一直線に進もうとする力は横へ引きずられ、俺の脇でただの風に戻った。


 猿の顔から笑みが消える。


「刃に《切る》以外のイメージも込めておけ。切るは直線の力には有効だが、曲線には弱い」


 忠告を聞く気はないらしい。奴は再び息を吸い、同じ刃を放った。


 左のムチでさばく。


 同時に右腕を伸ばし、奴の首へ巻きつけた。


 猿は両手でムチを掴み、引き剥がそうとする。


 締め上げても、首は落ちなかった。魔性を解放した肉体は、そう簡単には切断出来ない。


 だが、動きは止められた。


 クスカは、翼で体を浮かせながら炎を操っていた。


 2種類の魔性を、同時に。


 俺にも、それが出来れば。


 右腕で首を固定したまま、左腕をハンマーに変える。頭を潰せば、それで終わる。


 血の力を借りずに、2つの異なる形を維持する。これまで出来なかったことだが、本国の連中を相手にするなら、いずれ必要になる。


 この程度の相手なら、試せるはずだった。


 左のムチを腕へ戻す。


 重さ。硬さ。叩き潰すための形。


 頭の奥が熱くなった。


 脳内の魔性炉が、無理な要求に軋んでいる。それでも、もう少しだけ集中を強める。


 左腕が、巨大なハンマーへと膨れ上がった。


 同時に、右腕から力が抜けた。


 ムチが縮み、ただの腕へ戻ってしまう。


 猿の首が解放された。


 背後で悲鳴。


 振り向くと、矢部が茂みから転がり出ていた。こちらへ向けた目を見開き、後ずさっている。


 舌打ち。よりによって、今か。


 猿が矢部を見た。息を吸う。


 イメージを作り直す時間はない。


 俺は重いハンマーを腕へ戻し、矢部の前へ跳んだ。


 腹が裂けた。


 血が靴の甲へ落ちる。体は、まだ繋がっていた。


「俺の後ろから、今度は絶対に動くな」




 矢部は尻餅をついたまま口を開閉させている。腰を抜かしているらしい。


 2種類の具現化は失敗した。


 人間を庇いながら試すには、無謀すぎたようだ。


 猿が笑った。


 短く息を継ぎ、刃を3発、立て続けに放つ。その後を追って、こちらへ走り始めた。


 かわすことは出来ない。後ろには矢部がいる。


 次で、決める。


 ヤマシの顔が浮かんだ。


 宙で弾けた空き缶。僅かな魔性の解放。触媒は、唾。


 あいつには感謝しなければならない。


 唾にイメージを込める。


 爆竹では足りない。


 《爆弾(bomb)》だ。


 1発目の刃が、腹へ食い込んだ。


 2発目。同じ傷が、さらに深くなる。


 3発目で、胴が千切れた。


 矢部の悲鳴が聞こえる。


 上半身が、地面へ滑り落ちていく。


 猿が目前まで迫っていた。俺の顔を見下ろし、口を大きく開ける。


 吸血鬼は、胴を両断された程度では死なない。


 脳内の魔性炉。それを破壊しなければ、終わらない。


 然り。奴(猿)も、それを知っている。


 地面に落ちる前の俺の頭へ、とどめの刃を放つつもりだ。


 猿が息を吐く、その直前。


 俺は奴の顔へ、唾を吐いた。


 猿の頭が爆発するのと、俺の上半身が地面に落ちるのは、ほぼ同時だった。

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