通達
ヤマシは俺の信頼に足る唯一の吸血鬼だ。こいつも、人の血を断って生きている。
ようやく靴を脱ぐと、奴は勝手に冷蔵庫を開けた。
「ドラキュラ伯爵の来日は、聞いてるよな?」
缶ビールを取り出し蓋を開ける。一口飲んでから、床へあぐらをかいた。
相変わらず、気持ちいいくらいに遠慮というものがない。
「お前んとこにも届いたんだろ。通達」
「通達?」
ヤマシはパーカーのポケットから黒い葉書を取り出した。こちらへ放られたそれを、人差し指と中指で挟んで受け取る。
黒地に赤い文字。
本国の言葉だ。読みづらいが、意訳するとこう綴られていた。
《同胞よ。虐げられし時は終わった。今こそ立ち上がり、積年の屈辱を晴らす時。我は参る。諸君らの解放と、復讐の為に。聖夜に、あるいは呪われし夜に、神の家に集え――D・ブラド・ゼペシ》
文面の下には、12月25日とあった。
鳥肌が立った。
ドラキュラは本当に来るつもりだ。クスカの言葉どおり、再び戦争を始める気でいるのだ。
神の家――メシア教分派の最大勢力。この国唯一の吸血鬼信仰。巷ではカルトと呼ばれている。
「なんだ。お前には届いてなかったのかよ」
「あぁ。使いから、少しは聞いていたが」
「使い? もう来てんのか」
「俺の同胞殺しを止めるためにな。戦力を減らしたくないらしい。軽く、脅しをかけられた」
「誰に」
「アルカード・クスカ」
ヤマシが口に含んだビールを吹き出した。
「アルカード? 伯爵直属の親衛隊の姓じゃねぇか。それでお前の部屋、火事になったってわけか。よく無事だったな」
どうやら先に俺のアパートへ行ったらしい。
「部屋は、無事じゃなかったがな」
「軽い脅しで、家を焼かれちゃたまんねぇな」
ヤマシは缶を傾け残りのビールを飲み干した。
「で、どうするよ」
「何をだ」
「クリスマス。行くのか、行かねぇのか」
「答えは知っているだろう?」
ヤマシは空き缶を宙へ放った。
小さく、魔性の気配が揺れる。
次の瞬間、缶が乾いた音をたてて破裂した。薄い金属片が床へ散らばる。
「腕を上げたな」
「人間に対する脅し用にな。苦労したんだぜ。爆竹ってのは、加減が難しい」
ヤマシは口の端を拭った。
「ちょっと気合い入れすぎると、人間の頭なんざ吹き飛んじまう。それに、唾だからな。狙いがつけにくいんだよ」
唾を触媒に爆竹を具現したらしい。
「慣れると楽だぜ。魔性も、ちょっと解放するだけで済む」
なるほど。腕を変えるより早い。相手が気づく頃にはもう届いている。
「人の部屋で唾を吐くな。それと、片づけろ」
「おぉ、悪い悪い」
ヤマシは近くに落ちた破片を拾いながら、話を戻した。
「やっぱり、お前は行かねぇか。まぁ、今日はそれだけ聞きに来たんだ」
「お前は行くのか」
「馬鹿言うな。今更、ジジィ世代が作る世界になんざ興味はねぇ」
裂けた缶の縁を折り込み、ヤマシは残りの破片を拾い集めた。
「だが、この国の有り様じゃ、かなり集まるだろうな。保護法とかいうふざけた法律のおかげで、どいつもこいつも、鬱憤が溜まってる」
その通りだった。
法律の名で虐げられてきた連中に、伯爵が解放を約束する。応じる奴は、少なくないだろう。
この国の吸血鬼が内側から動き、本国の軍勢まで押し寄せる。人間が態勢を整えるまでに、どれだけ死ぬか判らない。
「どっちが勝ってもよ、俺達みたいなみそっかすには、今より住みにくい国になるぜ」
ヤマシが舌打ちした。
俺はもう一度、葉書へ目を落とした。
解放と復讐。
同胞が人間に虐げられているのは、今に始まった話ではない。何故、今になってドラキュラ自身が動くというのか。
奴が他の吸血鬼を思いやり、この国へ乗り込んでくるとは思えない。
《急いで来なければならない理由》が、別にあるんじゃないのか。
「本国の保守派が、ここまで考えていたとはな」
「ドラキュラ1人の意志か、爺さん達の総意か。どちらにせよ、クリスマスまで10日ほどしかない。身の振り方は、考えておいた方がいいぜ」
嫌な言葉だ。
身の振り方。
俺は、アズサとの生活を手放す気などない。
「ま、幸にしてこの通達は強制じゃねぇ。手を貸そうが貸すまいが、文句は言われねぇだろう。下手に邪魔さえしなけりゃ、な」
ヤマシが俺を見た。
余計な事はするな、と、遠回しに忠告してくれているらしい。
「わざわざ、済まなかったな」
「いいって事よ。俺とお前の仲じゃねぇか。仲良く、傍観者を気取ろうぜ」
玄関で鍵の回る音がした。
「あぁ、ここ、彼女のマンションだったな。それじゃ、俺はおいとまするぜ」
ヤマシは立ち上がり、バルコニーへ向かった。靴を履き手すりへ手を掛ける。
「でもよ。考えといた方がいいぜ」
背を向けたまま、奴は言った。
「所詮、人間と吸血鬼なんて、恋仲になれるもんじゃねぇんだ。俺やお前みたいに、血を断ってるなら、なおさらな」
「判ってるさ」
「どうかな」
手すりへ足を掛け、ヤマシは夜の中へ消えた。
「ただいま。寒かったぁ」
アズサの声がする。
俺は黒い葉書をポケットへしまい、バルコニーの窓を閉めた。
「おかえり」と俺は言った。
この戦争を何としても止めなければならない。
アズサに渡された缶ビールを手に取り、俺は胸の内に秘めた誓いを強くしていった。




