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闇に朱色がよく似合う  作者: 太郎鉄
Chapter1 日本
4/12

友来たる

 社長室で、俺は出された茶を啜っていた。


 社長室といっても小さな町工場の一室を改造しただけの部屋だ。俺の座る黒いソファーはあちこち破れている。窓の向こうには、この町の看板でもある森林公園が見えた。


 湯呑みを持つ左手も、もう普段どおりに動く。


 あの夜、アパートの裏手で意識を取り戻した時には、クスカの気配は消えていた。火の消えた自室から左腕を回収しようと思ったが、すでに炭になって使い物にはならず、新しい腕の再生を待つ羽目になってしまった。


 幸い他の部屋への延焼は防げた。住人も全員無事のようだ。俺の部屋だけは、どうにもならなかったが。


「ソウちゃん、矢部と揉めたんだって?」


 社長は執務机に腰掛け、首に掛けたタオルで顔の汗を拭っていた。冬だというのに、額にも首筋にも、次々と汗が浮かんでくる。


 作業着がはち切れそうなほど肥えているが、これで意外と女性にもてるらしい。


「いつもの事ですから」


「あんまし、気を悪くしないでな。あいつも根は悪い奴じゃねぇんだがよ。吸血鬼の事になると、どうしてもな」


「わかってます。気にしてませんから」


 矢部は3年前、吸血鬼に妻を殺されている。奴が28の時だった。


「人間てぇのは、厄介だよなぁ」


 社長は汗を拭き終えると、何故かわざわざタオルの匂いを嗅ぎ、顔をしかめる。


「1人を好きになって、その国まで好きになっちまう。逆に、1人を憎んだら、その国の奴らまでみんな嫌いになる。そういうところが、あんだよな」


 社長の言いたい事はなんとなく判る。


 俺は黙って、茶を啜った。


「そりゃ、オイラも矢部のかみさんを殺した吸血鬼は許せねぇ。でも、それはソウちゃんじゃねぇだろ。真面目に働いてくれてるし、何より、アズサの命の恩人だ」


 社長はタオルを首へ戻した。


「ソウちゃんにあたるのは間違ってる。そんな事、あいつだって、わかっちゃいると思うんだがなぁ」


 両膝に手を置き、ため息をつく。


「わかってても、誰かにあたんなきゃ、どうにもならねぇ時があんのよ。矢部にはオイラからも注意しとく。だから、すまねぇが、許してやってくれな」


 社長が頭を下げた。


「大丈夫ですから。社長がそんな事、気にしないでください。吸血鬼の俺を雇ってくれているだけで、どれだけ働いても返しきれない恩があるんです」


「よせやい。アズサの事を思えば、そんな恩、針の穴より小さいもんさ」


 社長は照れくさそうに頭を掻いた。


「そういや、ソウちゃんの部屋、火事に遭ったらしいけど。大丈夫なのかい?」


 アズサが話したらしい。まったく、余計な事を。


「あぁ、小火(ぼや)ですみましたから」


「ならよかった。そんじゃ、午後もよろしく頼むなぁ」


 俺は頭を下げ、社長室を出た。


♦︎


 仕事を終えると俺はアズサのマンションへ戻った。


 アズサに連絡すると、彼女はすぐ、うちへ来ればいいと言った。


 今までは俺が断っていたのだ。住人に見つかればアズサまでここを追い出される。


 焼け焦げた部屋にはさすがに住めない、とはいえ、その俺が転がり込むのだから、まったく、本末転倒だった。


 マンションは木々に囲まれた小高い丘の上に建っている。アズサの部屋は最上階の10階だ。


 俺は周囲に人がいない事を確かめ、建物の裏手から屋上へ跳んだ。


 眼下には街の灯りが広がっていた。ここから見える夜景には、無感動な俺でさえ何か心を揺さぶられるものがあった。

  

 屋上の扉には鍵が掛かっている。指先を細い針へ変え、鍵穴に差し込んだ。中の形に合わせて変化させ、回す。


 扉を抜けて階段を下りると、今度はポケットから合い鍵を取り出した。


 アズサの部屋へ入った途端、シャワーの音が聞こえた。


「おかえり」


 浴室に反響した声が届く。


「ただいま」


 返事をして、靴を脱いだ。


 誰かにただいまを言う事が、これほど心地よいものだとは知らなかった。150年も生きてきて、最近になって知ったのだ。


 水音が止まり、やがてバスタオルを巻いたアズサが洗面所から出てきた。そのままこちらへ駆け寄ってくる。


 抱き留めるとシャンプーの香りがした。血には及ばないが、やはり、ある種の甘美さがある。


「うん、いい感じ。やっぱり、誰かが帰ってくる家っていいね」


「できればしばらくこのままでいたいが、お前に風邪を引かせるわけにもいかない。それに、玄関はじゃれる場所じゃないしな」


「ソウクって、無駄にキザだよね。別に嫌いじゃないけどさ」


 アズサは悪戯っぽく笑い、俺から離れた。洗面所へ戻ると、今度はドライヤーの音が聞こえ始める。


 俺はリビングのベッドへ腰を下ろした。


 その時――同胞の気配を感じた。


 近い。50メートルほど先だ。


 バルコニーへ出て、外を見た。


 ヤマシだった。


 気配を隠そうともしていない。が、こちらへ近づいてくる様子もなかった。どうやら、俺が気づくのを待っているらしい。


 ドライヤーの音が止まった。洗面所から、パジャマ姿のアズサが出てくる。


「アズサ」


「なに?」


「悪いんだが、ビールを買ってきてくれないか」


「冷蔵庫に入ってるよ?」


「発泡酒に飽きたんだ」


 アズサは目を細め、口を尖らせた。


「もう、ワガママなんだから」


 クローゼットからダッフルコートを取り出し、パジャマの上に羽織る。


 風邪を引かない事を祈る。


「行ってくるから、ちょっと待っててね」


 扉が閉まるのを待って、俺はもう一度バルコニーへ出た。


 手招きすると、ヤマシが動いた。


 街の灯りを背に闇を跳び、瞬く間に、バルコニーの手すりへ降り立つ。


「よう」


 黒い短髪に、彫りの深い顔。上は黒のパーカーで、下は茶色のハーフパンツだった。


「寒そうな格好してるじゃないか、ヤマシ」


「どうも長ズボンってやつが苦手でな。時間、大丈夫か?」


「アズサは買い物に行ってる。10分は帰ってこない」


 ヤマシは頷いた。


「話があるぜ。わかってると思うが、ドラキュラの話だ」


 いつになく深刻な顔をしていた。この男には、元来、蒼白さが似合わない。


 クスカの言葉が頭をよぎる。


 伯爵は近いうちにこの国へ進出する予定です。


 その話なら、追い返すわけにはいかなかった。


「聞こう。だが、その前に」


「何だよ」


「靴を脱いで中に入れ。そこは目立ちすぎるし、寒すぎる。俺はお前みたいに、体育会系じゃないんでね」


 ヤマシは愉快そうに笑った。


 手すりへ手を掛け、そのまま滑るようにリビングへ降り立つ。


 靴を脱ぐのは、後回しにしたようだ。

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