ドラキュラ伯爵の使い
爺さんから、数年振りに電話があった。
「ソウクか」
「あぁ。どうしたんだ爺さん。国際電話は高いぜ」
「お前の噂、こちらまで届いているぞ」
窓の向こうで干しっぱなしの洗濯物が揺れていた。その上には、よく晴れた夜空が広がっている。
「それで?」
「お前がどんな理由で同胞を殺しているのか知らんが、これ以上は庇いきれん。伯爵が怒っておられる」
「説教なら勘弁してくれ」
「説教ではない。忠告だ。次に同胞を殺す事があったなら、お前の生活は保証できん」
俺は受話器を持ち替えた。
「悪いが、俺にも守りたい者がいるんでね。そいつを脅かすなら、誰であろうと殺すぜ」
「人間に惚れたのか。つまらぬところばかり、ハクアに似おって。日本などという国にいるから、そのような迷いを抱く。即刻、帰ってくるがいい」
夜空に、赤い光が見えた。星ではない。こちらへ近づいてくる。
敵意を感じた。魔性の光だ。
「爺さん」
「何だ?」
「強引に連れ戻す気なら、初めからそう言ってくれ」
受話器を叩きつけた。魔性の解放を始める。
間に合え。
窓ガラスが砕けた。
ベランダの洗濯物が、一斉に燃え上がる。室内へ吹き込んだ熱風が、テーブルの上の雑誌を巻き上げた。
赤い閃光が左腕を貫いた。
腕が千切れ、フローリングへ落ちる。
それと同時に、ようやく魔性の解放が終わった。
燃えた洗濯物が窓から飛び込み、ソファーベッドに落ちた。布地を炎が舐め、黒い煙が天井へ溜まり始める。
左腕を回収している暇はない。
俺はベランダへ出て赤い光を見据えた。
奴は瞬く間に近づいてくる。そして、口づけでもできそうな距離で止まった。
銀髪。黒のタキシードを着た、痩せ身の吸血鬼だった。肩口を突き破った背骨が左右へ伸び、翼となって羽ばたいている。
その翼で宙に留まりながら、掌を次の炎に変えていた。
厄介だな。
飛行と攻撃。2つの魔性を同時に維持している。
日本では出会った事のない手合いだった。恐らくは、本国の吸血鬼。
「爺さんの使いか」
「正確には、伯爵の使いです。あなたに脅しをかけておくよう、命じられまして」
背後で何かが崩れる音がした。俺の部屋が燃えている。
「ドラキュラのか。脅しのわりには、随分手荒な真似をしてくれるじゃないか」
男は口元を緩めた。
「アルカード・クスカと申します。小田桐ソウク。以後、お見知りおきを」
掌が、俺の顔へ向けられる。
炎が膨れ上がった。奴の顔が隠れ、骨の翼まで見えなくなる。熱風が頬に突き刺さった。
隣室から、悲鳴が上がる。続いて、窓を開ける音がした。
「待て! 狙うなら俺だけにしろ!」
「人間を庇うのですか」
炎の向こうでクスカが笑った。
「伯爵の仰る通りだ。やはり、あなたは危険ですね。少し、灸を据えておきましょう」
炎がアパートの両端へ向かって広がった。
飛び降りれば、俺は逃げられる。
しかし。
隣の窓から、誰かが助けを求めていた。
くそ。
俺は魔性を極限にまで解放した。
描くのはアパート全体を覆うドーム。
腕一本では足りない。体の全てを使う。
時間もない。複雑なことは考えられない。
アパートを《守れ》。
イメージを、爆発させた。
俺の体が砕け散る。
飛び散った肉片が互いに繋がりながら膨張した。ベランダの手すりを呑み込み、外壁を這い、屋根を越えて広がっていく。
炎が隣室の窓へ届く直前に、肉の壁がその間へ割り込んだ。
アパートを覆う、巨大なドーム。
その全てが俺の体だった。
1分。
今の俺がこの大きさを保てる限度だ。次の攻撃に備える余力など、どこにもない。
炎が広がった体の表面を舐める。焦げた端から崩れそうになる肉を、繋ぎ止める。
集中が一度でも途切れればそれで終わりだった。
「今後、同胞殺しはお止めください。伯爵は近いうちに、この国へ進出する予定です。戦力を減らされては困るんですよ」
ドラキュラが、日本へ?
悪い冗談だ。休戦協定を破るつもりなのか。
内側から何人もの足音が響いてくる。叫び声に混じって階段を駆け下りる音がした。
「この国での同胞の扱われ方も、いただけませんね。まるで奴隷だ。王族の血に連なるあなたこそ、立ち上がるべきでしょう」
熱が体の奥まで染み込んでくる。
「それなのに、あなたは人間を庇い、同胞を殺す。理解できません」
声が遠くなった。
奴が離れたのか? 違う。自分の体が、どこまで続いているのかも判らなくなっているんだ。
「祖父のプラトー様も、嘆いておられます。あなたにその気があるなら、我々はその罪を許し、再び同胞として迎えましょう。よく、考えておいてください」
炎の圧力が、ふっと弱まった。
それでも熱は消えない。焦げた体を繋ぎ止めるだけで、精一杯だった。
糞食らえだ。
そう言ってやりたかったが、ドームと化した俺に声帯はなかった。
やがて、人間達の足音も聴こえなくなった――意識が飛んだ。




