差別
『先日、渋谷区内のラブホテルで男性の吸血鬼が殺害された事件の続報です。男性の身元は遺留品から、大田区在住の吸血鬼、片山ロクシ、121歳と判明しました』
俺はソファーベッドに寝転がったまま、テレビを見ていた。
『また、片山の牙に付着していた血液は、同じ夜、何者かによって渋谷区内の病院に運び込まれた少女のものと一致しており、警察が関連を調べています。少女は意識を取り戻したとの情報が入っており、捜査の進展が届き次第、続報をお伝えいたします』
新人のアナウンサーが隣に座る初老の男へ顔を向けた。
『柳沢さんは、この事件について、どうお考えですか』
『吸血鬼の不祥事でしょうな。少女を襲っている最中に、仲間割れでもしたんでしょう。病院へ運んだのは、善意の第三者ではないでしょうか。ただ、仲間割れであったとしても、吸血鬼の死体が出た事件は過去に例がありません。今後の捜査に注目いたしましょう』
柳沢は机の上で両手を組んだ。
『吸血鬼による事件は3年前から増え続けています。吸血鬼保護法も、見直さなければならないでしょう。彼ら、少しばかり調子に乗りすぎて……』
俺はテレビを消した。
爺さんが同じ番組を見ていたら柳沢は今日中に殺されるだろう。奴は以前から、保守派の吸血鬼達に疎まれている。
少女は助かったらしい。急いだ甲斐があったようだ。
俺は体を起こし、シャワーを浴びて仕事へ向かった。
♦︎
「おい、ソウクちゃんよ。また吸血鬼が人間襲ったらしいじゃん」
工場長の矢部浩昭が嫌みたらしく話しかけてきた。苦手な人間だ。
「お前も、そのうち襲うんじゃねぇ? マジで勘弁しろよな。社長の温情で雇ってもらってんの、忘れるなよ」
俺はベルトコンベアーから流れてくる部品を拾い、黙々とダンボールへ詰めていた。
「お前、聞いてんのか。何とか言えよ。おい、こら」
矢部が俺の肩を小突いた。
ガキの戯言に付き合うのには慣れている。だが、今日は虫の居所が悪かった。
「少し黙っててくれ。仕事中だ」
「何だと?」
矢部は作業着のポケットへ手を入れ、バタフライナイフを取り出した。
「知ってるよな。生意気な吸血鬼に対する暴力は、法律で認められてるんだぜ?」
「あぁ。手続きをきちんと踏めばな」
「馬鹿かてめぇ。ここじゃ工場長の俺がルールなんだよ」
次の部品へ手を伸ばしたところで、手の甲へ刃が突き立った。
痛みはない。あるのは、苛立ちと衝動だけだった。
傷口から、ゆっくりと血が溢れる。
「な? 口の利き方に気をつけろよ」
矢部がナイフを引いた。
抜けない。
塞がり始めた傷口が刃を締めつけていた。矢部はもう片方の手も柄へ添え、両腕に力を込める。
俺は矢部の顔をただ見ていた。睨む労力が惜しい。
刃が折れた。
反動で矢部が尻餅をつく。俺の手の中に残った切っ先はそのまま体内で溶けていった。
工場内の作業員達が一斉にこちらを見た。
矢部はしばらく床に座っていたが、やがて立ち上がり、手を止めた作業員達へ罵声を飛ばす。俺には舌打ちを一つくれた。ため息をつく前に、俺は作業に戻った。
♦︎
アズサの生理が終わると俺達は再びデートに興じた。
有楽町で映画を観た。内容はありがちなラブロマンスだった。大恋愛の末結ばれた2人が、男の1度の過ちで破滅へ向かう。その結果、女は自らの命を絶ってしまうのだ。
俺たちにはバツの悪いストーリーだったが、アズサは子供のようにはしゃいでいる。少し安心した。《より都合の悪いこと》を、アズサが思い出した気配がなかったからだ。
「絶対に、浮気してた男の方が悪いよ。最低!」
「まぁ、そうだな。だが、俺たちも言えた義理じゃないだろう」
「あー。そういうこという? ソウク、もしかして他の女とできてたりしないよね? そうだったら許さないから!」
そんなことを、するわけがない。だが言う必要はなかった。最初から、彼女は俺を疑ってなどいないのだから。
交差点まで歩くと、白いコートの袖が俺の腕へ絡んだ。
「ねぇ、今日はちゃんとしようね」
アズサが上目遣いに俺を見る。
返事をする前に、背後から声を掛けられた。
「ちょっと。君、吸血鬼だよね?」
交番の前に立った警官が俺達を手招きしている。
近づくと警官はまずアズサへ話しかけた。
「お嬢さん、彼とはどういう関係なの?」
「付き合ってます」
「でも、彼、吸血鬼でしょ。肌も蒼白いし、牙も見える」
「だから、何です?」とアズサは不満の色を隠さずに言った。
こういう事は、よくある。俺は慣れていたが、アズサはまったくだった。流しておけばいいものを、必ず食ってかかる。
「感心しないなぁ。失礼だけど、その、男女の関係はあるの?」
「ありますよ。いけないんですか」
あまりにはっきりと言うので、俺の方が照れくさくなった。
「いや、子供ができたら違法だし、すぐ処理しないとね、あなたの体が……」
「避妊、しっかりしてますから」
「アズサ、もういい」
俺は二人の間へ入り、警官に頭を下げた。
「すみません。法律を破るような事はしません。この辺にして頂けませんか」
「だがねぇ」
「お願いします」
警官はしばらく俺を見ていた。それから、アズサへ視線を移した。
「まぁ、人間に迷惑を掛けなきゃいいんだがね。それでも、やっぱり恋愛は感心しないなぁ」
胸の奥がちくりと痛む。少なくとも、矢部のナイフよりは刺さった。
「どちらにせよ、君達にゴールはないんだから。早いうちに、けじめをつけなよ」
「行こう、ソウク。気分悪い」
アズサが俺の腕を引いた。
横断歩道を渡る前に、彼女はもう一度交番を振り返った。目をきつく瞑り、舌を出す。
その間も、俺の腕を離さなかった。
♦︎
その夜、俺はアズサのマンションにいた。
普段、来ることはない。誘われても断ってきた。住人に見られれば、ここを追い出されるのはアズサだからだ。
今日のアズサは強引だった。
「私達の邪魔なんて、誰にもさせないんだから」
部屋へ入ると彼女は俺に抱きついた。俺もコート越しに背へ腕を回す。
俺たちは彼女のベッドで肌を重ねた。
ひと段落してからも、アズサは俺から離れようとしなかった。俺を包み込むように、抱きしめている。
吸血鬼は、生きている母の顔を知らない。女に抱かれて安らぐのはそのせいだと、前に爺さんが言っていたのを思い出した。
そんな大層な話かどうかはわからない。しかしアズサの腕の中は心地よかった。
「ソウクはさ、本当に血を吸わなくていいの?」
やがて俺の胸へ頭を乗せ、アズサが尋ねた。
「何故、そんな事を聞く」
「だって、血って美味しいんでしょ。私、ソウクになら、ちょっとくらい吸われたっていいよ」
「お前も知ってるだろう。吸血鬼にとって、特に俺の世代にとって、血は麻薬と変わらない。一度吸えば、また欲してしまうんだ。際限なく、な」
「だから、私が……」
「そうなったら、いつか、俺も人間を襲う吸血鬼になるかもしれない」
アズサは少し黙った。それから俺の胸の上で顎を動かし、こちらを見上げる。
「だったら、私の血だけ吸えばいいじゃない。生理中だって、私、ソウクに会いたいもん」
「簡単に干からびちまうよ。アズサみたいに華奢な女の子はな」
アズサは頬を膨らませた。
俺から離れ、ベッドを降りる。冷蔵庫を開ける音がした。
振り向くと、彼女は赤ワインの瓶を持っていた。食器棚から二つのグラスを取り出し、並べて注いでいる。
「それじゃ、血の代わりに」
戻ってきたアズサから、片方のグラスを受け取った。
「これで我慢だね」
互いのグラスを触れ合わせる。
俺は一息に飲み干した。
心地よい苦味が、口の中に広がった。




