通り魔
「きちゃった」
これから事を始めようとした矢先、アズサは困ったように言ってベッドから立ち上がった。太ももの内側に、僅かに血が付着している。
トイレのノブへ手を掛けたところで何かを思い出し、裸のままバッグを取りに戻ってきた。ナプキンと替えの下着が入っているのだろう。
「ごめん……。久しぶりだったのに」
「いいさ。お前のせいじゃない」
頭を撫で、口紅の残った唇へ短く口づけた。
血の匂いがする。
「俺の方こそ、すまないな。行くよ」
渇望を抑え、アズサを抱き締める。腕を解いてから床に散らばった服を拾い集めた。
アズサは名残惜しそうに俺を見ていた。その瞳をもう一度見返し、部屋を出た。
隣から、悲鳴が聞こえた。
同胞の気配。不愉快なものが、胸の内へ広がっていく。
見殺しにするか、助けるか。
くだらない。隣の部屋にはアズサを残してきたのだ。血に狂った同胞をこのまま放っておくわけにはいかない。
悲鳴の聞こえた402号室の前へ立つ。
俺は魔性を解放した。指先が、人間のそれにはない硬さを帯びていく。
細い針を思い描いた。指先が伸び、鍵穴へ入っていった。内部の形を探り、針を鍵に変える。回すと、かちりと音がした。
扉を開けながら、指を元へ戻す。
室内では有線のバラードが流れていた。
甘美な血の匂いが鼻を満たす。一瞬、目眩がした。
同胞は上半身を露わにし、ジーンズを履いていた。金髪が、蒼白い肌をさらに際立たせている。
ベッドには制服姿の少女が押し倒されていた。白いワイシャツを朱が浸食していく。その首筋へ、男が顔を埋めていた。
随分と雑な食い方だ。飲むより多く、こぼしているんじゃないのか。
少女の目は虚ろだった。まだ開いてはいるが、何を見ているのかも判らない。
俺に気づいた同胞が首を巡らせた。
「なんだ、お仲間じゃねぇかよ」
口の周りを少女の血で染めたまま、血の混じった唾を床へ吐く。
「ハイエナかてめぇ。こいつは分けてやらねぇぞ。久々の上物だからな」
「そんなに美味いのか」
「あぁ。匂いで判んだろ」
嫌になるほど、判っていた。
俺はゆっくりとベッドへ近づいた。食事に夢中だったせいか、こいつは俺の魔性が解放されている事にも気づいていない。
「少し、分けてくれないか」
「仕方ねぇな。ひと舐めだけだぞ」
同胞が少女から離れた。首筋に血が溢れている。胸はまだ、かすかに上下していた。
せっかくだ。死んでくれるなよ。
俺はベッドへ屈み、自分の唇を噛み切った。少女の傷口へ、俺の血を滴らせる。
裂けた皮膚が動いた。傷の縁が寄り合い、目に見える速さで塞がっていく。
これで出血は止まる。だが、失った血まで戻るわけじゃない。病院へ運び、輸血を受けさせなければならない。
背後で、冷蔵庫の扉が開いた。
右腕へ意識を集める。湾曲したブレードを思い描いた。
《切る》では弱い。《斬る》に移行する。
缶の栓が開く音。続いて、炭酸が解放の産声を上げた。
俺はベッドから身を起こし、振り返る。
「どうだ。うめぇだろ」
同胞がビールを口へ運んだ。
その瞬間、イメージを爆発させる。
右腕がブレードに変貌し、奴の喉を薙いだ。魔性を解放する暇はなかったはずだ。目を見開いた顔が、そのまま胴から離れた。
缶ビールと頭が、絨毯へ落ちる。
胴体が落ちた頭へ両手を伸ばした。動作が緩慢すぎた。
俺は四肢を8つに斬り分け、ブレードを手刀まで戻した。硬直した指を解く。
「てめぇ……」
頭が、床から俺を睨んでいた。
「何のつもりだ。仲間じゃねぇのかよ」
「あいにく、俺は俺の血統を呪っているんでね」
「糞が。油断したぜ。解放してりゃ、こんな……」
奴の眼球が顔から這い出した。
最後の抵抗なのか、自分の惨状を別の角度から確かめたいのか。二つの眼球はミミズのようにうねりながら、絨毯を進んでいく。
「ちくしょう。これじゃ、再生できねぇ」
やがて、眼球は元の穴へ収まった。
その目が再び俺を見上げる。
「思い出したぜ。てめぇ、通り魔だな。あちこちで同胞を殺し回ってるらしいじゃねぇか」
返事をせず、俺はベッドの上を見た。少女はまだ息をしている。
「人間に媚びやがって。何だって、食事の邪魔しやがった?」
「お前がこのホテルを選ばなかったら、無視していたさ。選択を悔やむんだな」
有線の曲が、ポップスに変わっていた。
そろそろ少女を運ばなければ。
「生まれ変わったら、股間以外も硬くしておけ」
「待て。俺はもう動け……」
片脚の先をハンマーに変えた。大雑把なイメージだったので、不格好なものにしかならなかった。
が。
頭を潰すには、それで充分事足りた。
脚を戻し、ベッドの傍らにある白い電話を取った。外線のボタンを押し、110番へ掛ける。ホテルの名と部屋番号、事件が起きた事を伝えて受話器を置いた。
少女を抱き上げるとその髪が俺の腕へかかった。
血の匂いが、また近くなる。
アズサを呼ぼうかと考えた。だが、少女の首筋や衣服から漂う匂いだけで、己を律するのが精一杯だった。今のアズサまで加われば耐えきれそうにない。
同胞の気配は、もう感じられなかった。アズサに危険が及ぶ心配はないだろう。
俺は少女を抱え直し、廊下の奥へ走った。非常階段の扉を蹴り開け、手すりへ足を掛ける。
夜へ跳んだ。
ビルからビルへ、屋上を足場にして闇を渡る。眼下には、ネオンに照らされた街が広がっていた。街路樹にまで派手な電飾が巻きついている。
もうすぐ、クリスマスか。
アズサに何を贈ろう。
そんな事を考えながら、俺は病院の前へ着地した。




