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闇に朱色がよく似合う  作者: 太郎鉄
Chapter2 ワラキア
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ワラキア上陸

 陸地が見えてきた。


 ここまでの旅路にクスカをはじめとする同胞の襲撃はなかった。順調といえる。


 もっとも油断するのはまだ早い。


 ジェットに変えていた両足を元に戻し、魔性を鎮める。残りは自分の手足で泳ぐ。岸に着く前から同胞に居場所を知らせる事はない。


 遠くからモーターの音が聞こえてきた。


 顔を上げると2隻のボートがワラキアへ向かっていた。同胞の気配はない。人間の船らしい。


 俺に用があるとは思えなかったが、わざわざ見つかってやる理由もない。2隻が向かう岸を避け、死角になる場所から上陸した。


 海岸の向こうには森が広がっていた。ここを抜ければ荒野に出る。その先にある廃村に、俺のツテが住んでいるはずだった。


 木々の奥から、遠吠えが響いた。


 吸血狼(ヴァルフ)。世界でも、この土地にしか棲まない巨大な狼だ。ドラキュラは奴らを眷属と呼んでいた。


 魔性を操るわけではない。だが、凶暴な上に縄張り意識が強く、侵入者には容赦なく襲いかかる。雑食だが好物は人間の肉だ。相手が吸血鬼でも構わない。


 さすがに吸血狼に殺された同胞の話は、聞いた事がない。それでも、襲われれば魔性を使わずに退けるのは難しい。そんなことで、親衛隊の連中に気づかれたくはなかった。


 枝を避け、暗い森へ分け入る。


 ぺき、と足元で音がした。


 足を退けると、落ち葉の間から白い骨が覗いていた。人間のものだった。


 人間のブローカーが、世界中から集めた人間を吸血鬼へ売り渡している。そんな噂は、日本にいた俺の耳にも届いていた。都市伝説として語られていた話だ。


 爺さん達はメシア教の分派に属する人間から、自らの意思で差し出された血をもらっていると言っていた。


 どうもそれだけでは済んでいないらしい。


 先程のボートを思い出した。何を積んできたのかまでは、見ていない。


 嫌な予感がした。


 1時間ほど進んだところで叫び声が聞こえた。


 女の声だった。


「やめて、やめて。お願いだから、やめて」


 舌打ちして、立ち止まる。


 俺の目的は、あくまでドラキュラだ。ここで余計な騒ぎを起こすわけにはいかない。


「いや、やだ。お願い。お願いします」


 その声に、アズサの声が重なった。


 俺は首を振り、声のする方へ向かった。


 木々の間に朽ちかけた小屋があった。同胞の気配がする。2体だ。


 甘美な血の匂いが、風に混じっていた。


 呼吸を浅くし、物音を立てないよう小屋へ近づく。外壁の穴から、中を覗いた。


 若い女が、両腕を縛られて吊るされていた。ロープは天井の梁に掛けられている。服はぼろぼろで、身体中に傷を負っていた。


「なあ。少し痛ぶりすぎじゃないか。プラトー様の生誕祭まで、持たないんじゃ」


「大丈夫だろ。どのみち今日、新しく10人連れてこられるんだ。最悪、死んでも誤魔化せるさ」


 2体は、手をナイフに変えていた。


 女の肌へ細い傷をつけ、滲んだ血を舐める。そのたびに女が声を上げた。


 奴らは楽しんでいた。血の味も、女の悲鳴も。


 胸糞が悪い。


 血を舐めるたび、魔性の解放が途切れ、ナイフが手へ戻っていた。


 俺と同じ、第4世代だ。


 2体を排除するだけなら、難しくはないだろう。


 だが、魔性を使えば親衛隊に気づかれる恐れがある。できればその賭けは避けたい。


 逡巡している間にも、奴らは女をいたぶり続けていた。


「お願い、許して。許してください」


「でもなあ、女。俺達が許しても、結局、お前の命は明日の晩までなんだよね」


「そう。オードブルとして、生誕祭の食卓に並べられて、いろんな奴に血を吸われる。そのあとは吸血狼の餌だ。骨までしゃぶってもらえるぜ」


 女は泣き叫んでいた。


 くだらない。


 これから戦争を止めようという男が、目の前の女1人を救えなくて、何ができる。


 親父なら、そう言っただろう。


 外壁の穴へ両手を寄せる。女に気を取られている2体の後頭部へ、人差し指を向けた。


 魔性を、一瞬だけ解放する。


 《貫く》。


 指先が《針(needle)》に変わった。伸びた針がそれぞれの魔性炉を貫く。


 2体が、崩れ落ちた。


 指を元へ戻し、魔性を鎮めてから小屋へ入る。


 女はまだ目を閉じ、唇を噛んでいた。


 血の匂いがまた近くなる。


 甘い。そして、刺激的だ。


 俺も本能の赴くまま、この女の血を貪りたい。


 くそ。血を前にすれば俺の本質も結局、今の奴らと変わらない。


 衝動を押し込め、声をかけた。


「大丈夫か」


 女が目を開けた。


 ロープを解くと、彼女は俺に抱きついてきた。


「ありがとうございます。ありがとうございます」


「悪いが、礼はあとにしてくれ。あんたの血は、俺にも毒だ」


 女の肩をそっと押し、少し離れてもらう。


 シャツを裂き肌に付着した血を拭った。それから自分の唇を噛み、傷口へ血を滴らせる。


 細かな傷が、次々と塞がっていった。


「え、これ、どういうことですか」


「傷は塞がったはずだ。それより、あんたは誰で、どうしてこんなところにいる」


 南雲光(なぐもひかり)と女は名乗った。日本で水商売をしているらしい。


 男に騙されて背負った借金を返すため、割のいい仕事を探していたところ、ブローカーに出会ったのだという。


 吸血鬼のパーティに参加すれば、大金を得られる。


 その甘い誘いに乗ってしまったらしい。


「本当にありがとうございます。私、まさか、こんなことになるなんて……」


「甘い誘いには、ツケがあるものさ。覚えておくといい」


 俺は俺自身へ警鐘を鳴らすように、言った。


「あの、お兄さんも、吸血鬼ですよね。なんで、私を助けてくれたんですか?」


「さあな。それより、ここに長居するのは危険だ。あんた、ここへはどうやって来た」


「船で、連れてこられました。あの、私、どうすれば……」


 先程のボートもおそらくブローカーのものだろう。


 人間だけなら、制圧するのは難しくない。だが、引き取りに来た吸血鬼まで相手にする羽目になるかもしれない。


 かといってこの森へ置いていけば、吸血狼の餌だ。


「悪いが、あんたを日本まで送り届けている余裕はない。だから選べ。俺についてくるか、一人で逃げるか」


 南雲が俺を見上げた。


「運が死ぬほどよければ、海岸で人間の船を奪って逃げられるかもしれない。運が悪ければ、森を抜ける前に狼に食い殺される」


「お兄さんに、ついていくと、どうなるんですか?」


「知り合いに、あんたを預ける事はできる。ただ、そこまでの安全を約束できるわけじゃない。一人よりはまし、その程度に考えてくれ」


 南雲の目に、また涙が浮かんだ。


 慰めに使えそうな言葉は、持ち合わせていない。それに、彼女の答えを待つ時間も、あまりなかった。


 吸血狼の遠吠えが聞こえた。


 かなり近い。血の匂いを嗅ぎつけたのだろう。


「お兄さんに、ついていきます」


「わかった。行くとしよう」


「あの」


 歩き出そうとした俺を、南雲が呼び止めた。


「名前、聞いてもいいですか?」


「小田桐ソウクだ」と、俺は言った。


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