第3話 伝説のニー・ベンド、ただし画質はガタガタとする
期待していた動画配信も、現実は非情だった。
「見てください……今の、今の爪先の角度! これですよ、これが伝説の『ニー・ベンド』! この角度を維持しながら膝を柔軟に使うなんて、人類には不可能なはずなんです……っ!」
俺は中古ドローンのコントローラーを震える手で操作しながら、喉が焼けるような熱を帯びるまで叫んでいた。
画面の中では、変身した俺《MJ》がゴブリンの棍棒を紙一重でかわし、流れるような動作でスピンを決めている。一挙手一投足が、前世の俺が擦り切れるほど見たビデオテープの映像そのもの。いや、それ以上のキレだ。
だが現実は残酷だった。
俺の視界の端に浮かぶ配信インターフェース。そこには、俺の魂の叫びをあざ笑うかのような数字が並んでいる。
『同時視聴者数:3人』
「……はは、一人増えたと思ったら、すぐに消えたな」
1分1秒ごとに俺のMPは削り取られている。ポーションの過剰摂取で顔色は土褐色。これほど命を削って、前世の至宝をこの身に降臨させているというのに。
コメント欄には、三人のうちの一人が気まぐれに投げた言葉が虚しく流れる。
コメント:『なんか映像ガタガタなんだけど。カメラマン下手すぎ。あとドローンの性能が悪いのか知らねぇけど、配信者の鼻息みたいなノイズがひどすぎる』
(……っ、すいませんね! こっちは変身しながらドローン操縦してんだよ! 並のマルチタスクじゃねえんだよ!)
俺は思わず毒づきそうになるのを堪え、必死にコントローラーをガチャガチャやる。
高価な自律型ドローンなら自動で追尾してくれるが、俺が使っているのは「型落ち・ジャンク寸前」の中古品だ。MJの肉体が得るあまりに速く、かつ予測不能なスタイリッシュ・ムーブに、おっさんの反射神経でのドローン操作が追いつかない。
その結果、画面は激しく揺れ、肝心の足元はフレームアウト。視聴者から見れば、暗いダンジョンの中で「謎のイケメン」が「茶色の塊」の周りをチラチラ動き、たまにドローンが壁に激突しそうになるだけの、極めて質の低い動画にしか見えないのだ。
コメント:『これ、中身が別人すぎない? 配信者はどこに映ってるの? まさか海外のライブ映像の無断転載? 時間の無駄だわ。退出しまーす』
「待っ……待ってくれ! これ俺なんだ! 今から、今から一番いいところなんだ! サビ! サビが来るんだ……っ!」
俺の懇願も虚しく、視聴者数は『2』に落ちた。
今の俺には、MJの凄さを証明するための「尺」がない。
安全マージンを取り、MPが尽きる前に戦闘を終わらせる。すると、動画の内容は「謎のイケメンが現れて1回ポーズを決め、即座に画面が暗転して、元のモヤシ男(奏)が泡を吹いて倒れている」という、わずか30秒ほどの不気味な断片になってしまう。
最新鋭の機材を何台も飛ばし、美男美女の探索者が派手な魔法をぶっ放す4Kライブが溢れるこの時代。
画質ボロボロ、鼻息荒め、中身と外見が一致しない不気味な俺の放送がバズるはずもなかった。
「……ッア! ポゥ!!」
MJ|《俺》がトドメの衝撃波を放ち、ゴブリンが霧散する。
ハットの縁に手をかけ、完璧な静止ポーズを決めた瞬間――。
『警告:MP残量が10%を切りました。スキルを維持できません』
「あ、あああ……っ、まだ、余韻が……決めポーズの余韻が……ッ!」
俺の必死の抵抗も虚しく、光と共にMJの肉体は霧散した。
あとに残されたのは、暗いダンジョンで安物のナイフを握り締めながら膝をつき、肩で息をする元のモヤシ男の姿だけだ。
コメント:『え、終わり? 今のイケメン、消えるの早すぎ。フェイク動画かよ』
視聴者数は、ついに『0』になった。
「……クソっ。MJの『Billie Jean』は、こんなもんじゃないんだ。あんな、フェイク動画扱いされて終わるようなタマじゃないんだよ……!」
前世でスタジアムを熱狂させたあの輝きを、俺のヘナチョコなMPが完全に殺してしまっている。
かつての王を、俺という「無能な電源」が矮小化させているという事実に、五十代のソウルが激しく悶えた。
「……レアドロップ一発。せめて、特大の魔力ポーションが買えるくらいのレアドロップがあれば……」
俺は数百円にしかならない小さな魔石を拾い上げた。
バズらない配信。貯まらない貯金。削れる一方の精神。
それでも俺は、明日もまた指を鳴らすだろう。
なぜなら、この世界でMJの「本当の凄さ」を知っているのは、俺一人しかいないのだから。
「……明日こそは。せめて『イントロ』だけでも、フレームアウトさせずに撮ってやる」
俺は空のポーション瓶をバッグに詰め込み、千鳥足で出口へと歩き始めた。
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「……今日の稼ぎ、3,000円。ポーション代と弁当代を引いて、純利益……800円か」
駅前のポーション屋兼コンビニのイートインコーナー。俺は冷めた牛丼を突きながら、スマートフォンの銀行アプリを見つめていた。
中古ドローンや装備代といった「初期投資」を回収するには、今のペースだとあと三年はかかる計算だ。レアドロップ?宝箱?そんな都市伝説、俺の『幸運:1』という絶望的なステータスには、最初から実装されていないらしい。
「ロボットアニメの主人公なら、今頃『偶然拾った謎のパーツ』で機体がパワーアップしてる頃なんだがな……」
自嘲気味に呟く。現実は、安物ポーションの飲み過ぎで常に胃が重い、冴えないフリーターだ。
隣のテーブルでは、大学生風のグループが「昨日、銀ランクのパーティーがレア魔石を出したらしいぜ!」と、希望に満ちた顔で盛り上がっている。
紅生姜で真っ赤に染まった牛丼をかき込みながら、俺はふと思い出した。
(……前世でも、こんな風に安飯を食いながら、何かを待っていたことがあったっけな)
それは、初めてMJのアルバムを買った時のことだ。
なけなしのバイト代を全部つぎ込んで、ドキドキしながらレコード針を落としたあの日。
あの頃の俺は、今と同じでお金なんてこれっぽっちもなかったけれど、世界で一番贅沢な時間を過ごしていた。溝から流れる音楽が、部屋の空気を塗り替え、俺をどこまでも連れて行ってくれる気がした。
今、俺の銀行残高は底をつきかけている。
だが、指を鳴らせば――あの時スピーカーの向こう側にいた「本物」に俺自身がなれる。
あの瞬間の万能感。指先まで神経が行き届き、重力すら友達になるあの感覚だけは、何兆円積んでも買えない至宝だ。
五十代で死んで、この十九歳の体に宿った俺の人生。
理不尽で、燃費が悪くて、世知辛いこの現実は、実は神様が俺にくれた「壮大なアンコール」なんじゃないか?
「……まだだ。まだイントロのベースラインが鳴ったばかりだろ」
五十代の魂は、この程度の不遇では折れない。
たとえ今は、画面の中で10秒ごとに消える「謎の不審なハンサム《イケメン》」とその撮影係だと思われていても、俺にはわかっている。
いつかMPの壁を叩き割った時。
この世界は伝説のステップでひっくり返る。
「……まずは明日、ポーションの特売日に並ぶところからスタートだな。おっさんの粘り強さ、舐めるなよ」
俺は自分にそう言い聞かせ、夜の新宿をトボトボと歩き始めた。
背中のバックパックの中では、空になったポーション瓶が、情けない……けれど、どこかあのベースラインのようなリズムを刻む音を立ててぶつかり合っていた。




