第10話 Whos Is Bad
「……基礎ステータス、ベースLv3としては平均以下。でも、魔力量だけは私以上」
氷室冴香は、自身の瞳に宿る『真贋の魔眼』で俺をスキャンするように見つめた。
彼女の視線は、俺のライダーススーツのバックル一つ一つを、まるで精密機械の部品を点検するようになぞっていく。
「けれど、この『外装』を纏った瞬間の魔力の跳ね上がり方は何? 基礎数値が3倍近くまで膨れ上がっている……。バフなんてレベルじゃない。これは、肉体の『定義』そのものを書き換えているわね」
さすがはトップ探索者。一瞬で俺のスキルの異質さを見抜いてやがる。
俺の背後では、鉄平が「ステータスが3倍……!? 奏、お前そんなことになってたのかよ……」と絶句している。
「……何の用だ。せっかくの『撮影』が終わったところなんだ。悪いが、インタビューなら事務所《実家》を通してくれないか」
俺は精一杯の強気で、『Bad』の傲慢な口調を演じた。
実際はMPが底を突きかけていて、この「変身」を維持するだけでも精一杯だ。毎秒1消費のコストが、今の俺には重すぎる。
「ふふ、冗談。事務所なんて、どこにも存在しないことは調査済みよ。……成瀬奏。あなたのその『音楽』。昨日のライブで見せた、あのふざけた独り言……『膝』だの『括約筋』だの。あれが、この芸術的な身のこなしの『代償《縛り》』だと思っていたけれど」
彼女は細剣をスッと俺の喉元へ向けた。
剣先から漏れ出る冷気が、俺のライダースーツを白く凍らせていく。
「さっきのオーク戦。一言も漏らさなかったわね。……あれは、どういうことかしら?」
「…………っ」
(……マズい。昨夜の練習の成果で『無言』を貫いたのが、逆に彼女の探求心を刺激しちまったのか!?)
彼女にとって、昨日の「変態的な独り言」は、この神がかったスキルの唯一の「欠点」であり「人間味」だったのだ。それが消えた今、彼女の目には俺が「底の知れない化け物」に映っているらしい。
「あなたがただの『幸運なスキルの拾い主』なのか。それとも、私の知らない深淵で、その『音』を磨き上げた本物の超越者なのか……。それを、今ここで証明して」
「証明、だと……?」
「ええ。――私の『激流』。音速を超える私の剣筋に、あなたのリズムがどこまで付いてこれるか。死ぬ気でステップを踏みなさい」
氷室冴香の魔力が膨れ上がる。
通路の壁が、彼女から放たれる青いオーラで氷の城へと変貌していく。
(……やるしかねえのか。いや、MPがもたねえ……!)
俺は咄嗟に、ポケットの中の「妹の千円札」を握りしめた。
この金で、帰り道にMPポーションを買うつもりだったが……。
「……鉄平! 悪い、撮影継続だ! こいつは『Bad』のMVには最高のゲストだぜ!」
「正気かよ奏!? 相手は日本のトップだぞ!」
「ああ、正気だ! おっさんの意地、見せてやるよ!」
俺は残りのMPをすべて叩き込み、胸を力強く叩いた。
「――Hee-Hee!」
ドッ、ドッ、チャ!
再び鳴り響く『Bad』のビート。
氷の女王と、路地裏の王。
新宿ダンジョンの片隅で、世界を揺るがす「未公認・頂上決戦」の火蓋が切って落とされた。
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「……面白いわ。その枯れ果てた魔力量で私に牙を剥くのね」
氷室冴香の瞳が冷酷に細まり、その細剣が青い閃光を帯びてしなった。
彼女のLV14、INT50から放たれる『激流』は、ただの剣技ではない。数千、数万の水の刃が、一瞬で標的を肉片に変える広域殲滅魔法の凝縮版だ。
だが、俺は逃げない。
一歩前に出ると同時に、MPの最後の一滴を絞り出し、ライダースーツの胸元を拳で叩きつけた。
「――フー・イズ・バッド?」
ズゥゥゥゥンッ……!!
石造りの通路が、物理的な重低音で震えた。
俺を中心に広がる、暴力的なまでの「王者の威圧」。
「……っ!? 何よ、この重圧……魔力による圧迫じゃない、これは……『存在感』そのものが重いの!?」
冴香の剣先が、わずかに、本当にわずかに震えた。
全ステータス20%低下。
数値にすればわずかだが、極限まで精度を高めた彼女のような天才にとって、20%の誤差は「計算が成立しなくなる」絶望的な欠陥だ。
「この俺のステージで、勝手にソロを弾くんじゃねえよ」
俺はオークすら跪かせたその指を、氷の女王へと突きつけた。
「鉄平、合わせろ! 『バックル・アーマー』全開だ!!」
「おうぁぁぁぁッ!!」
鉄平が雄叫びを上げ、黒銀のバックルが火花を散らす大盾で突進する。
本来なら氷室冴香の一撃で粉砕されるはずの鉄平。だが、今の彼女は俺のスキル効果で鈍り、逆に鉄平の防具は『Bad』の280%バフで「要塞」と化している。
ギィィィィィィンッ!!!
水の刃と黒銀の盾が衝突し、通路全体に青と黒の火花が吹き荒れる。
「私の剣が……止められた……!? ただの【重撃】使いに……!?」
「驚くのはまだ早いぜ、女王様。――Shamone!」
俺は鉄平の肩を跳躍の台座にし、頭上から襲いかかった。
格闘術『ストリート・ランブル』。
一撃一撃が鋭いスネアの音となって、彼女の魔力障壁を直接「打楽器」のように叩き、その周波数を乱していく。
「やめなさい……っ! こんな、デタラメなリズムで、私の魔法を上書きするなんて……っ!」
彼女は必死に細剣を振るうが、俺の動きはすでに『Bad』のビートと完全に同調していた。
彼女の計算高い剣筋は、俺の「予測不能なステップ」に空を切り、空を打つたびに彼女の焦燥が魔力を乱していく。
「……終わりだ」
着地と同時に、俺はハットの縁をなぞるように手を動かした。
指先に溜まった魔力が、限界を超えて明滅する。
「――ザ・ワード・イズ・アウト(宣告)」
至近距離。
俺が彼女の鼻先で「Bad!」と一喝した瞬間。
――ドォォォォォォンッ!!!
超高密度の魔力衝撃波が、彼女の華奢な体を飲み込んだ。
「……きゃあああッ!?」
吹き飛ぶ氷の女王。
だが、俺はトドメを刺すつもりはない。
衝撃波が彼女を壁に叩きつける直前、俺はMPが切れて変身が解ける寸前の力で、彼女の腰を抱き寄せて静止した。
静寂。
BGMが途切れ、漆黒のスーツが粒子となって消えていく。
現れたのは、汗だくで肩を揺らす、どこにでもいる「モヤシのガキ(中身はおっさん)」の姿だった。
「………………はぁ、はぁ。……言っただろ。不親切なのは、お互い様だってな」
腕の中にいる氷室冴香は、整った顔を真っ赤にし、屈辱と驚愕、そして言いようのない感情に震えながら、俺を凝視していた。
「……あなた。……今の、何よ」
「……ただの、『Bad』な挨拶だよ」
俺はそう言って、力なく笑った。
ポケットの中の千円札は、もう汗でびしょびしょだった。




