第9話 完璧なセッションと最悪な観客
「行くぞ、鉄平! ビートを合わせろ!」
「おうよ! 何だか知らねえが、力がみなぎってきやがった!」
石造りの路地裏に、重厚なドラムが鳴り響く。
襲いかかる二十匹近いゴブリンの群れに対し、鉄平が黒銀の盾を構えて突っ込んだ。
「らあああッ!」
鉄平が盾で一体を殴りつけた瞬間、バチンッ! と鋭いスネアの音が炸裂し、バックルから黒い火花が散った。
スキルの効果だ。盾に触れた衝撃が「音響衝撃波」として増幅され、周囲のゴブリンの姿勢を強制的に崩す。
「――Hee-Hee!」
俺は低く鋭いシャウトとともに、乱れた群れの中心へと滑り込んだ。
『Bad』の格闘術は、舞踏というよりは、鋭い「打撃の連鎖」だ。
一撃。左フックがゴブリンの顎を捉えると同時に、重いベース音が空気を震わせる。
二撃。回し蹴りが三匹をまとめてなぎ倒し、シンバルの音が響く。
鉄平が壁となって敵を押し留め、俺がその隙間を縫って、音の弾丸となって敵を粉砕していく。
かつては命がけだった多対一の戦闘が、今は完璧にコントロールされた「ミュージック・ビデオ」の撮影現場と化していた。
「……よし、次だ! 止まるなよ!」
通路の奥から次々と湧き出す群れを、俺たちは合計で三度、完璧に「掃除」した。
最後に残った大柄なリーダー格の喉元へ、俺は指を突きつけ、最高の一撃を放つ。
「――Bad!」
その一言が、不可視の圧力となってゴブリンを壁まで吹き飛ばし、光の粒子へと変えた。
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「はぁー……っ! すっげえな奏、これ! 俺、一度もダメージ受けてねえぞ!」
安全地帯である崩れた石塔の陰に逃げ込み、鉄平が興奮気味に叫んだ。
あいつの盾に巻き付いたベルトとバックルは、戦闘が終わると同時に消え、元の無骨な大盾に戻っている。
「鉄平のガードが完璧だったからな。……どうだ、撮れてるか?」
俺は手元のコントローラーを確認した。
今回は、俺の中古ドローン3機に加え、鉄平が持っていた少しだけマシなドローン一機、合計四機による多角的な同時撮影だ。
「……完璧だ。引きの画角、俺たちの背中合わせのカット、それに足元のステップ……。今回は独り言も入ってない。鉄平の怒号が適度にノイズを消してくれたのもあるな」
「おい、俺の声をノイズ扱いすんなよ! ……で、どうする? MPはまだいけるか?」
鉄平が水筒を煽りながら聞いてくる。
MPポーションはあと3本。今の『Bad』の連戦で半分ほど消費したが、まだ余力はある。
「ここで引き返して、今日の稼ぎで高い肉を食うのもアリだが……」
俺はノートを取り出し、フロアマップを睨んだ。
第04エリアのさらに奥。階段を降りた先には、通常のゴブリンより数段タフな「オーク」や、まれに「オーガ」が徘徊する中層への入り口がある。
「鉄平、少し欲を出してみるか? この『Bad』の制圧力が、上位の個体にどこまで通用するか試してみたい」
「ガハハ! 言うと思ったぜ。お前のその変身姿を見てたら、こっちまで強くなった気がしてよ。オークの一匹や二匹、この盾でひっくり返してやるよ!」
五十代の慎重さが「もう帰ろうぜ」と囁くが、十九歳の肉体と、何よりMJのカリスマが「もっと上を見せろ」と俺を急かす。
「よし、決まりだ。一階層降りてオークを狙う。……もし運が良ければ、エリアボスにお目見えできるかもしれないな」
俺たちは立ち上がり、装備を整えた。
平穏な隠居生活には程遠いが、隣に笑い合える相棒がいる。それだけで、ポーション代の不安も、氷室冴香の視線も、今は心地よいビートの一部に思えた。
「……行くぞ、鉄平。次はもっと、デカい音を鳴らしてやる」
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「ブモォォォォッ!!」
第05エリア、中層。
ゴブリンとは比較にならない巨体と筋肉の塊――オークが三体、鼻息を荒くして突進してくる。
「鉄平、ライトニング・セクションだ!」
「おう! 任せろ!」
鉄平が『バックル・アーマー』で強化された漆黒の盾を地面に叩きつける。
ドォンッ!という重厚なバスドラムの衝撃波が、突進するオークたちの足を一瞬止め、その姿勢を強制的に浮かび上がらせた。
(今だ……!『Bad』の真骨頂、近接格闘術――『ストリート・ランブル』!)
俺は地面を蹴り、無重力のようにオークの懐へ滑り込む。
一撃目は、鋭い掌打。
二撃目は、バックルを鳴らしながらの旋回蹴り。
攻撃が当たるたびに、鋭いスネアとベースが複雑なリズムを刻み、オークの強靭な皮膚を内側から爆砕していく。
「――Shamone!」
跳躍し、空中で身を翻しながらの三連蹴り。
最後の一撃とともに、オークの巨体が軽々と吹き飛び通路の壁を粉砕した。
「……ふぅ。よし、カット!」
最後の一音が消えるとともに、俺は静止ポーズを解いた。
MPはほぼ空だが手応えは十分だ。オーク三体を無傷で、しかもここまでスタイリッシュに制圧できるなんて。
「ガハハ! 見たか奏! 俺たち、もう中層でもトップクラスにいけるんじゃねえか!?」
「ああ、撮れ高も最高だ。これなら『鼻息男』の汚名は完全に消える。……撤収しよう。これ以上はポーションが足りない」
俺たちは互いに肩を叩き合い、意気揚々と出口へ向かって歩き出した。
鉄平は「今日の肉は何にするか」と騒ぎ、俺は「編集でこのシーンにスローモーションを入れよう」と、平和な反省会に花を咲かせていた。
――だが。
第05エリアの出口、地上へ続く階段の前に、「それ」は立っていた。
「…………え?」
鉄平の足が止まり、声が裏返った。
俺も、その場に縫い付けられたように動けなくなった。
薄暗いダンジョンの通路に、場違いなほど洗練された空気が漂っている。
そこに立っていたのは、紺碧のドレスアーマーに身を包み、冷徹なまでの美貌を湛えた女性。
日本トップランク探索者。ギルド【アクア・レジーナ】代表。
氷室冴香が、抜き放った細剣を片手に、静かにこちらを凝視していた。
「……五分十四秒」
彼女は、手元に浮かぶ魔力時計を見つめたまま、鈴の鳴るような、しかし凍てつくような声で言った。
「前回の動画よりも四秒、サビへの入りが遅いわね。……それと三体目のオークへの回し蹴り。あと二センチ低ければ、より完璧なビートが刻めたはずよ」
「……ひ、氷室、冴香……さん……?」
鉄平が震える声でその名を呼ぶ。
彼女はゆっくりと顔を上げ、俺の――変身したままの『MJ』の瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「ようやく見つけたわ。……ライブ配信で『膝』や『括約筋』の重要性を説いていた、不謹慎で、不気味で……そして、誰よりも残酷な『芸術』を操る人」
彼女が一歩踏み出す。
その瞬間、周囲の温度が物理的に数度下がった。
彼女の背後には、同じギルドの精鋭たちが通路を完全に封鎖するように控えている。
「お、おい奏……どういうことだ? お前、あの女王様に何したんだよ!?」
「………………」
答えられるわけがない。
おっさんの本能が最大級の警報を鳴らしている。
目の前の天才魔法戦士は、俺を称賛しに来たのではない。
自分の理解を超えた「美学」を、その目で、あるいはその剣で解体し、納得するためにここへ来たのだ。
「成瀬奏。……あなたのその『音楽』、私の前でもう一度鳴らして見せなさい。……納得がいかなければ、その足首、二度とステップが踏めないように凍らせてあげる」
おっさんの平穏な無双計画、完全崩壊。
MPはほぼ空。相棒はガクブル。目の前にはブチギレ気味の最強ヒロイン。
「(……詰んだな、これ……)」
俺は心の中で、誰にも聞こえない、情けないシャウトを上げた。




