EP3-12 真剣勝負
遥は夕方まで泣いていた。たまに俺の顔を確認するが、すぐ胸に顔を埋め直した。
「なぁ、チームの練習、あるんじゃないのか」
「……いいの」
「タイム落ちるぞ」
「……いいの」
こいつ、ほんとに辞める気なんじゃないだろうな。陸上を辞めた俺が言えることじゃないけど、もったいない。
夏の全国大会で四位。しかもまだ二年生だ。来年には、表彰台の可能性だってある。
俺は遥に辞めてほしいか。辞めるのを許容できるかどうか。
いや、俺の代わりになんて言えないけど、俺は遥に走っていてほしい。あのゴールした後の、太陽みたいな笑顔が見たい。
……みんなに走れと言われて嫌だったのに。今度は俺がそれをするのか。遥のほんとの気持ちに委ねてやりたい。
「お前、辞めるつもりなのか?」
「……」
遥は何も言わなかった。それが答えなんだろうか。
何の気兼ねもなく走れるのに……。
遥は俺に憧れてたから、陸上を頑張れたって言ってたな。俺がこいつを陸上に縛りつけていたのに、今は俺と一緒にいたくて、陸上を辞めようとしている。
なんか、だんだん腹が立ってきた。
「おい、顔洗ってこい」
「え?」
「学校行くぞ」
「……もう部活は終わってる」
「違う。とりあえず行くぞ」
俺は、遥を無理矢理、学校まで連れてきた。
「ほら、そっち」
「……なんなの?」
俺はスタートラインに着いた。遥は不機嫌そうだった。
「真剣勝負だ」
「だって、あなた……怪我が」
「今のお前になら負けないだろ」
「……どういうつもり?」
「賭けよう」
「何を賭けるの?」
「お前が勝ったら、なんでも、言うこと一つ聞いてやるよ」
「一海くんが勝ったら?」
「もう今日で陸上を辞めろ。俺が許してやるよ」
「……っ」
遥は俯いて、両手を胸の前で握った。それでも遥は、スタートラインから離れようとはしなかった。
「ほら、早く横並べよ」
「……私、制服なんだけど?」
「ハンデだろ」
「全然、真剣勝負じゃないじゃない」
「……お前のタイミングでいいから」
俺はスターティングブロックに足を置いた。目を閉じて、集中する。いつものルーティンだ。
「…………よーい、ドン」
俺はスタートした直後に転倒して、地面に倒れ込んだ。走れるわけがなかった。
「……っぐ」
俺が立ち上がると、遥が立ち止まってこちらを見ていた。
「ほら、走れないじゃない」
俺はドタドタと足を引きずりながら走った。
「……どうしてこんなことするの?」
「……陸上辞めたいなら、そこで泣いてろ」
左足は地面を蹴れず、腕を大きく振ると転けそうになる。
今の俺に百メートルは長すぎた。庇ってる右脚は、太ももまで張ってきて、歩くのが精一杯になった。泣けてくる。
中二の頃の俺は影も見えない。転けて起き上がった頃には、ゴールしていただろう。
俺は立ち止まって、泣いていた。もう走れない……。
「ばかみたい……」
遥が追いついてきてそう言った。
俺は遥を睨みつけた。遥も涙を流して泣いていた。俺は前を向いて歩き出した。長い、百メートル走だ。
風が吹いた。俺の横を遥が走り抜けた。残りの何十メートルかを全力で。
俺はその場に倒れ込んだ。浅い呼吸、痛む足。遥と出会ってから、カッコよく走れたのなんてあの日だけだ。
戻ってきた遥が俺の横に座り込んだ。
「陸上、辞めるんじゃなかったのか?」
俺は身体を起こして座りながら言った。
「……一海が走って欲しそうだから、もう少し頑張る」
遥は少し不満そうだったが、頑張ると言ってくれた。
「お前の勝ちだ。なんでも言ってみろよ」
遥はじっと俺のことを見ていた。俺も遥の目を見つめ返した。
「一生そばにいて」
「……」
遥と見つめ合ったままで、時が止まった。浅い呼吸と、少し早くなった心臓だけが動いている。
次の瞬きで、時間が動き出した。
「お前こそ……振るなよ?」
「……振らないわよ」
遥を抱き寄せると、誓うようにキスをした。




