EP4-1 テキスト
「一海、起きて」
「ん……三葉?」
俺が目を開けると、遥がベッドサイドに立っていた。……頬を膨らませて。
俺の頭は一瞬で目覚めたが、次の言葉は出てこない。
「三葉ちゃんがよかったの?」
やらかした……。俺は布団で顔を半分ほど隠した。
「ねぇ、もう一回起こすところからやらない?」
「もう!」
遥に布団を剥ぎ取られてしまった。
「今日は学校にちゃんと行くの」
そういえば、昨日は学校サボったんだったな。
「わかったよ。起きるよ」
「もうみんな朝ご飯食べ終わったわよ」
俺の分のご飯とみそ汁がテーブルに置かれていた。今日のみそ汁は豆腐とワカメ。よくもまぁ毎日こんなの作れるよな。ほんとに感心する。
朝ご飯を食べ終えると、部屋に戻って学校の準備をした。
俺は教科書やノートと一緒に『選手のためのこころの教科書』もカバンに入れた。
今の俺にとって数学や英語なんてどうでも良くて、授業中はずっとその本を読んでいた。こんなに真剣に本を読むのは生まれて初めてかもしれない。
休み時間になっても、俺は自分の席で本を眺めていた。
「一海、熱心になにを読んでるの?」
三葉が隣の席の机に腰掛けながら話しかけてきた。
「スポーツ選手のメンタルケアの本だよ」
「ふーん。遥さんのため?」
「そうだよ」
俺は本を閉じて、三葉の方を向いた。
「調子悪いの? 遥さん」
「あぁ、タイムが伸びないそうだ」
「一海もさ、大会前にどうしたらもっと速くなるんだろうって言ってたね」
「そう……だったかな」
「あ……ごめん。また昔の話しちゃった」
「……あぁ」
そりゃ、こんな本を読んで、陸上の話をしてたら思い出したくもなるよな……。
「便所」
俺はそう言って立ち上がった。
「ね、ねぇ一海?」
「あぁ?」
「遥さんにもっと色々教えてあげたら?」
「俺より速いヤツになにを教えるんだよ」
「選手の方が速いに決まってるじゃない」
そうか。遥の方が速いから教えられないんじゃないんだ。俺がなにを教えればいいか、わからないだけなんだ。
「サンキュー三葉」
「やっと笑った」
「あ?」
「一海が難しい顔してたら、遥さんも不安になるじゃない」
俺は三葉の頭を撫でようと手を伸ばしたが、途中で思いとどまった。
「なによ?」
三葉が怪訝な顔で俺を睨みつけている。
そんな顔を見ていると、結局止められなくて、三葉の頭を撫でてしまっていた。
三葉も三葉で、こちらを睨みつけてはいるが、手を払ったりはしない。
こんなことをしてるから、遥も不安になるんだとわかっている。これがもう最後かもしれない。そう思うと、いつもよりゆっくりと、三葉を感じながら撫でてしまっていた。
「いつまでやってんのよ……」
赤い顔をした三葉は立ち上がって、俯きながら自分の席に戻っていった。
ありがとう三葉。俺のするべきこと……いや、やりたいことができた。
俺はそのまま学校を抜け出すと、書店へと向かった。
「公式テキスト……」
陸上競技のコーチングについて、連盟が公式に出版しているテキストもあるようだ。
スピードを高める練習。スプリントの鬼。こういう本っていっぱいあるんだな。知らなかった。
良し悪しはわからない。俺は目についた本を三冊買って家に帰った。
ソファーに寝転がって、とりあえず公式テキストを開いた。
当然だが、思っていたよりずっと難しい。誰よりも速かった俺は、速くなる方法をよく知らなかった。
本を閉じて天井を眺めていた。そういやまた、学校をサボってしまった。朝から遥に怒られたと言うのに。帰ってきたらまたうるさいだろうな……。




