EP3-3 キスして
いつの間にかソファーで寝てしまっていた。二湖の部屋を見てみるが二湖はいなかった。時計を見ると八時をすぎていた。ひまわりの方はどうだろう。
着替えてから外に出たが、ひまわりはまだ真っ暗で誰もいなかった。俺は小日向家のインターホンを鳴らした。
「はーい」
おばさんの声だった。
「一海です。二湖はこちらに来てませんか?」
「そっちにも帰ってなかったのね」
「はい」
勢いよくドアが開いて、三葉が飛び出してきた。
「二湖帰ってないの?」
「あぁ」
「どうしよう……」
「お前は学校に行って、みんなに聞いてくれ」
「一海は?」
「心当たりを回ってみる」
「う、うん」
「お前が帰ってくる頃に俺も戻ってくるよ」
「わかった」
まずは家だな。父さんと話してるかもしれない。
でも、家には誰もいなかった。父さんもマグカップを置きっぱなしにして、もう仕事に出かけたようだ。
いきなり手詰まりだ。二湖がこんな風にいなくなったことは今まで一度もない。
小さい頃、よく遊んだ公園。保育園。小学校。中学校。
こんな時に走れないのがキツい。それに、左足を引きずって歩き続けたせいか、右脚の足首まで酷く痛んできた。嫌な汗が出て、呼吸も浅くなる。
そもそもなんでいなくなったんだ……。
あの時、父さんがバイトを辞めさせるようなことを言って……はっきりと思い出せない。
でも、そのことがきっかけのような気がする。
だから、なんだ……?
嫌なら嫌と言えばいい。
どうして黙っていなくなったりするんだ。
くそ……一旦、ひまわりに戻ろう。身体がキツい。
「おじさん」
「一海くん。二湖くんは?」
俺は俯いたまま首を振った。
「おばさん、水、ちょうだい」
「はい。一海ちゃん、そんな汗だくで……」
「あいつ、どこにもいないんだ……」
「座って休みなさい。昨日もあまり寝てないんだろ?」
「うん……」
俺はいつもの席に座って、少し寝ようと思った──
「一海!」
「ん……」
「一海くん!」
三葉と遥に起こされた。少しだけ休むつもりだったのに……。
「すまん……。遥も来てくれたのか」
「学校のみんなも知らないって」
「そっか……」
「ねぇ、二湖くん、お財布とかは持ってるの?」
遥がそう言った。
「全然そんなこと気にしてなかった」
「家に戻りましょ」
俺たちは急いで二湖の家に戻り、部屋を調べた。
財布は置きっぱなしだった。着替えを持ち出したような形跡もない。
「あいつ、制服のままかよ」
「乗り物に乗ってなくても、ずっと歩いてるのかもしれないし」
「やっぱり、どこに行くのかがわからないと……」
「ねぇ、これは?」
遥が手に取ったのは、二湖のスケッチブックだった。
「うわぁ、三葉ちゃんでいっぱい」
「いつもひまわりで描いてたからだと思うけど」
「これは動物園?」
「三人で行ったんだ」
「動物園はどうかな?」
「んー」
「ねぇ、一海?」
「ん?」
「これ?」
一ページだけ、紙が一度濡れて乾いたように、くしゃくしゃになっていた。
「一海?」
「二湖くんと二人で出かけたときの絵?」
「あぁ……」
二湖……。あいつまさか……。
「……そうか」
あの絵だ。二人で見た絵。あそこだ。
俺は走り出していた。
左足を引きずって、右足も重たくて……。
「ちょっと! どこ行くの!」
遥どころか、三葉にも追いつかれる。
「美術館だ。二湖は美術館にいる」
「美術館? あ、一海くん!」
俺はマンションを出たところでバランスを崩して倒れてしまった。情けない……。
「三葉ちゃん、一海くんをお願い。私はタクシーを拾ってくる」
三葉に立たせてもらったが、足が痛くて歩き出せなかった。
俺たちは遥が拾ってくれたタクシーに乗り込んだ。
俺が何も話さないせいか、二人も黙っていた。
やがて、美術館の前に到着した。
俺たちは美術館の入り口に向かったが、辺りは薄暗くなっていた。
もう閉館時間になってしまったようで、出入り口からぞろぞろと人々が出てきている。
「ねぇ、あれ」
遥は出入り口近くのベンチを指さした。二湖は一人でベンチに座っていた。
「二湖!」
三葉が二湖に向かって走り出した。俺は遥に支えてもらいながら、ゆっくりと歩いていた。
二湖にたどり着いた三葉は、飛びつくように抱きついていた。
遥が横で笑っていたので、俺も笑ってしまった。
「何やってんだよ」
ようやく二湖のところまでたどり着いた。
「兄さん……」
「一海くん。私たちはひまわりに連絡してくるね。三葉ちゃん、いこ」
「でも……」
「悪いな、三葉」
「う、うん」
二湖と二人きりになって、俺はベンチに腰掛けた。
「みんなに心配かけて、何やってんだ」
「ごめんなさい」
「どうしてこんなとこに?」
「……兄さんはどうしてわかったの?」
「……お前が死のうとしてると思った」
「……」
「あの絵を見てから死ぬ気なんじゃないかって……そんな気がした」
「さすが……兄さんだね」
「あの絵、見れなかったのか?」
「お金が足りなくてさ。笑っちゃうだろ……。死にきれなくて……でも帰れなくて」
二湖は泣きながら笑っていた。俺は二湖の頭を抱き寄せた。
「なぁ、一人にしないでくれよ」
「兄さんこそ……遠くに行こうとしてるくせに」
「離れるのと、いなくなるのは違うだろ」
「同じだよ。そんなの」
「……」
「僕は……、兄さんが好きなんだ」
「……」
「子どもの頃からずっと……」
「……三葉じゃなかったんだな」
「うん」
「まさか双子の弟に告白されるなんて」
「ねぇ、兄さん……」
二湖は涙が溢れそうな目で俺を見つめていた。
「もう……諦めるからさ」
「お前……」
「一回だけ……」
俺は二湖の顔を自分の胸に押しつけた。そんな目で見るな……。
「ねぇ……キスして……」
「はぁ……」
そりゃ、ため息も出る……。どうしてこんな弟になってしまったのか。
「兄さん……お願い……」
俺は二湖の顎を持ち上げると、一瞬だけ唇を重ねた。
「はぁ…………」
「……ありがと」
二湖は俺の胸に顔を埋めると、小さくつぶやいた。
「あー、なんかイチャイチャしてる!」
三葉が遥と一緒に帰ってきた。
「うるせぇよ」
「ねぇ、一海くん、二湖くん。帰ろ?」
「二人は先に帰ってくれよ」
「え?」
「俺は二湖と美術館を見てから帰るからさ」
「兄さん……」
「そんなの許しません」
「え?」
遥が俺の隣に腰掛けた。
それを見た三葉も、二湖の隣に座った。
「私も帰らない」
「私も!」
「あのなぁ……」
「なに?」
「……わかったよ」
俺は遥と二湖に寄りかかられ、三葉は二湖の肩に頭を預けていた。
誰も何も言わなかった。時折、誰かが身じろぎするたびに、触れ合った肩が小さく揺れる。
四人の体温が重なって、まるでずっと前からこうしていたような気がした。
「身体、冷やすなよ」
俺は自分のパーカーを脱いで、遥の肩に掛けた。
遥は何も言わず、俺の肩に頬を寄せた。パーカーの袖をつまむ指先に、少しだけ力がこもった。
俺も遥の頭に頬を寄せた。
目を閉じると、すぐそばにみんなの気配があった。
その夜、俺たちは誰も離れることなく、朝まで眠っていた。




