EP3-1 人を愛すること
それから、俺は二湖の家に帰るようになった。父さんも何も言わなかったし、二湖を一人にしたくなかった。何より、いつも一人だった俺の方が、家族を求めていたのかもしれない。
「それで、二湖くんの家に帰ってるの?」
学校帰り、遥と二人で歩いていた。
「そう。二湖を一人にしておけないしね」
「それで? 今日、私はどっちのお家に連れていかれるのかしら?」
「ん? 二湖の家でしょ」
「んー、でもほら、二湖くんの家だとねぇ?」
遥はなにか言いたそうだが、わからなかった。
「なんだよ。言いたいことがあるなら言えよ」
「いや……女の子から言うのは……ねぇ?」
「んー?」
「私、今日は部活もクラブもないの。だから……ねぇ?」
「ねぇねぇねぇねぇ、なんなんだよ」
「もういい」
遥はプイッと顔を背けた。
女の子の言いたいことはいつもよくわからなかった。
「ねぇ、二湖くんって夜までお仕事だよね?」
「あぁ」
俺が答えるとにっこり笑った遥が俺の手を握った。
「早く行こ」
「待って、まだそんな動けないんだって」
松葉杖は不要になったが、俺の足にはまだ装具が付けられていて、早くは歩けなかった。
遥はそんな俺の手を引いてグイグイ歩いた。
「ったく。なにをそんなに焦ってるんだよ」
「ここ?」
「あぁ、このマンションの五階だよ」
俺たちは家に入ると、荷物を下ろしてから、母さんの遺影の前で手を合わせた。
「綺麗な人だったんだね、お母さん」
「顔と苗字以外は最低だけどね」
「一海くんも二湖くんも綺麗な顔してるもんね」
「おかげでこんな可愛い彼女がいるんだったら、感謝しないといけないのかもな」
「ねぇ」
また遥に手を引っ張られて、リビングのソファーに座らされた。遥もすぐ隣に座ると、肩に顔を埋めてきた。
「どうした?」
俺は遥の頭に手を置いた。
柔らかい髪を撫でると、遥が嬉しそうに笑った。
「甘えてるの」
「ははっ」
「最近、こういう時間なかった」
「そうかな……」
「好き?」
遥は顔を上げて、俺を見つめていた。遥の瞳はグレーがかった茶色で、吸い込まれるように綺麗だった。
「ねぇ……?」
「……好きだよ」
遥は嬉しそうに笑って、俺に抱きついてきた。
遥に抱きしめられるといい匂いがして、頭がぼーっとする。
「一海……」
顔を上げると、すぐ目の前に遥の顔があった。唇が重なる。
……身体から力が抜ける。
遥は馬乗りになって、俺にキスしながら、ネクタイに手をかけた。
その時、玄関が開いた。
「兄さ……」
遥は慌てて俺から離れると、ソファーの前にちょこんと座り込んだ。
俺は立ち上がり、緩んだネクタイを引き抜きながら、玄関へ向かった。
「ひ、ひまわりは?」
「うん。兄さん来るならご飯作ってくれるって。それで呼びに来たんだ」
「今日は……いいや」
俺は遥の方をちらっと見て答えた。
「わかった。じゃあ仕事してくるね」
「あぁ」
めちゃくちゃ見られたな。まさかこんな時間に帰ってくるとは。
遥はまだ顔を真っ赤にして小さくなっていた。
「遥、俺の部屋行くぞ」
「……」
「どした?」
「……まだする気?」
「やめる?」
「……ばか」
外は暗くなっていて、お腹が空いてきた。遥はすやすやと寝ている。俺は寝ている遥の頭を撫でた。
「ん……」
「起きろよ。ご飯食べにいこ」
「うん……」
眠そうな女の子ってほんとに可愛い。猫みたいで。
「うわ、結構寒いな」
もう十月になってしばらく経つ。外に出ると冷たい風が吹いていた。
「母さんのストールかなんか持って帰る?」
「うん……借りようかな」
「待ってて」
俺は母さんの部屋のクローゼットから適当にストールを手に取ると、遥の所へ戻った。
「ちょっと香水の匂いがするかも」
「うん。ねぇ、さっき一海くん、母さんって言ってたね」
「……あぁ。それが?」
「んーん、なんでもない」
ひまわりには行きにくい、とのことだったので、商店街でいつもいい匂いを漂わせてるカレー屋に行くことにした。
二人でカレーを食べて、遥を家まで送ってから、俺はひまわりに顔を出した。
「来たのかい一海くん」
「ご飯は食べてきたから大丈夫」
「そうかい」
俺はおじさんとおばさんに頭を下げると、いつもの席に座った。
「兄さん、遥さんは?」
「もう家まで送ってきた」
「そっか」
「二湖、コーラ頼む」
「うん」
二湖は気まずそうにするかと思ったが、そんなことはなかった。コーラを持ってくるとそのまま向かい側に座った。
「もう仕事は終わりか?」
「そうだね」
「三葉は?」
「部屋にいるんじゃない?」
「ふーん」
俺はコーラを飲みながら、さっきのことをどう切り出すか考えていた。まぁ、こっちから言わなくてもいいか。
「ねぇ、兄さん」
「ん?」
「遥さんのこと、好き?」
あの時と同じ質問。俺を見る二湖の真剣な目も同じ。
違うのは三葉が遥に変わったこと。そして俺の気持ち。
「好きだよ」
「……だよね」
「それがどうしたんだよ?」
「いいんだ。僕はもう諦めることにした」
「諦めるってなにを?」
「人を愛すること」
人を愛することを諦める。
愛が何かもわからないのに、それを諦めるって……。何を言っているのかさっぱりわからなかった。




