EP2-7 リレー
運動会当日。リレーに集中するからと言って、他の競技は全て断った。
午前の部が終わり、一年生のリレー走者が集められた。出走順を決めるためだ。
出走順といっても前半は女子が五十メートルずつ走って、後半、男子が百メートルずつ走るのは決まっている。
「アンカーは一海だな」
幸太郎がそう切り出した。
「こいつバトン渡すの下手だから」
「うるせぇよ」
「そのせいで、こいつはいつもアンカーだったからな」
「どうせ不器用ですよ」
「その一海にバトンを渡してたのはいつも俺だ」
「あとはどうするんだよ」
「基本、速いヤツが後の方がいいだろうな」
出走順はあっさりと決まった。アンカーをやりたいヤツがいなかったのと、幸太郎の「俺と一海に任せとけ」という言葉が、みんなに刺さったらしい。
「いいのか? アンカーが花形だぜ?」
「だからお前なんだろ」
「幸太郎……頼むぜ、バトン」
「あぁ、お前は握るだけだ」
俺は幸太郎とグータッチをして、教室に戻った。
窓から空を見上げていた。幸太郎は走るのが好きで好きで、そこに才能もあったような男だ。
俺が怪我せずに続けていたとしても今頃、追い抜かれていたかもしれない。積み上げてきた努力と自信。俺のはどう考えても虚勢か強がりだ。
ただ、悔いの残らないように、絶対に逃げないと心に誓った。
昼休憩が終わって午後の部が始まると、あっという間に時間は過ぎた。いよいよ最終種目。選手が招集ゲートに集まった。俺はまだ少し緊張していた。
「一海くん」
「遥、がんばれよ」
「今は敵同士よ?」
「関係ねぇだろそんなの」
「そうね。一海くんもがんばれ」
「あぁ」
自信のあるヤツはみんな顔にそう書いてある。俺はどんな顔をしているだろう。
選手がそれぞれの位置につくと、ピストルが鳴って、女子の第一走者がスタートした。一年の子は少し出遅れている。しかも、最初のバトンタッチでもたついて、二、三年と大きな差が付いてしまった。
でも、それを見て覚悟が決まった。俺たちが何とかしないと勝てない。
二年生女子の最終走者は遥だった。俺より速いんだから、ここからまだ差が広がるだろう。
そう思っていたが、一年の女子は差を広げられずに走っていた。走り方を見るに、陸上部のようだが……。一年生にも、あんな走りをする子がいるんだな。
学年対抗リレーたしかに面白い。
なんだか勇気をもらった。気分も上がってくる。早く走りたい。
自分の前の走者がスタートして、俺はレーンの一番外に立った。一年生はまだ最下位だ。
今の一位は二年生。アンカーはサッカー部のエース、鈴木。
二位が三年生。陸上部のキャプテン、千堂。
そして最下位が一年生。帰宅部の星、俺。
「中学のお前には絶対に勝てなかったけどな」
隣に立つ、千堂が俺に言った。
「今でも負けませんよ」
俺はニヤッと笑った。
「あんなに差があるぜ?」
「幸太郎ならあれぐらい追いつきますよ」
「差のない状態から俺に勝てると思ってるのか」
「これは、リレーですから」
俺は幸太郎を目で追うのを止めて、走り出した。
背中に幸太郎を感じる。
「GO!」
幸太郎の声が聞こえて、俺はバトンを握り締めた。幸太郎からのバトンを落としたことは一度もない。
「いけぇ!」
幸太郎たちはほとんど差もなく帰ってきた。しかし、ほぼ後ろ向きでバトンを受け取る他チームと俺たちでは、そこで大きな差がついた。
歓声が遠くなっていく。頭が真っ白になって、前には誰もいない。良い気分だった。
カーブが終わり、最後の直線に入ったとき、二十メートル前を中学二年生の自分が走っていた。
速い……。置いて行かないでくれ。何度も夢に見た光景だった。
俺は夢中で、昔の自分を追いかけた。
「がんばれ!」
三葉の声が聞こえた。
「がんばれ一海!」
昔の俺が、振り返ってこちらを見ながら笑っていた。
今日だけでいい、今だけ一緒に走らせてくれ……。
地面を蹴った分だけ前に進んだ。腕も脚もイメージ通りに動く。だんだん身体が軽くなって、風と一つになった。いつしか地面を蹴る感覚もなくなって……。
昔の自分が少しずつ近づいてくる。もう少し──
その瞬間、世界が弾けた。ゴールテープの向こうに人垣が見えた。学年も関係なく、ゴールにみんなが集まっていて、俺はその中に飛び込んだ。
歓声と拍手が押し寄せて、俺はもみくちゃにされた。何が何だかわからなかった。ようやく俺が顔を上げると、幸太郎が飛びついてきた。
「バカ野郎! もっと喜べ!」
勝ったんだ……。お腹の底から込み上げてくる感情が一気に溢れ出した。
「ぃよっしゃあああ!」
俺が突き上げたバトンを中心に、みんなが集まってきた。人差し指を天に掲げて、飛び跳ねている。
やがて、鳴り止まない拍手の中、閉会式へと向かうアナウンスが流れた。少しずつ、人の輪が小さくなっていく。そこに取り残された三葉と目が合った。
俺がガッツポーズを見せると、両手で顔を覆ってしまった。
「おい! 何、泣いてんだよ」
「だって……」
「カッコよかったか?」
「……ばか」
「なぁ、こっちきて肩、貸してくれよ」
「どこか痛いの?」
「……あぁ」
ゴールした瞬間に、バチンと音がした。力を借りた代償を、神様が持っていったんだろう。
俺はそのまま病院に連れていかれた。診断の結果は左足アキレス腱断裂。俺はまた、走れなくなった。




