EP2-6 賭け
「一海! ちゃんと走りなさいよ!」
「わかってるよ。うるせぇな」
クラスメイト全員に見守られながら、俺と西田はスタートラインに立った。
「本気で走るのか?」
西田がそんなことを言った。
「お前には悪いけど。弟と約束したんでな」
「楽しみだ」
体力テストのときは勝たせてやった。だけど、今日は譲れない。
「よーい、スタート!」
スタンディングスタートでも、基本は同じ。横に蹴りだして上体を起こすのを我慢する。
上体を起こしたらリズム良く加速する。
スタートは得意なんだ。でも、ここから伸びないと西田に勝てても、先輩たちには勝てない。
「はぁ、はぁ」
「一海の勝ち」
ゴールで三葉が待っていた。
「二湖に感謝しろよ」
「……うん。あ、どこに行くの?」
「トイレ」
一人になりたかった。久しぶりに本気で走って、西田に勝った。そしてリレーに出ることが決まった。
勝ったのに、気持ち良くない。遥のような笑顔には到底ならない。理由はたぶんわかってる。
放課後。
「なぁ、遥」
「なに?」
いつものように遥のところに来た。でも、練習を見るためじゃない。
「練習。付き合ってくれ」
「え?」
「やるからには負けたくない」
「陸上部に入れてもらえば?」
「陸上はしないの」
「……私は敵なんだけどな」
「頼むよ」
「わかったわ」
俺はよく自主トレをしていた公園に遥を連れてきた。
「学校でやればいいのに」
「あんまり人に見られたくない」
「恥ずかしいんだ?」
遥はからかうように言った。
「運動会のために練習してるなんて恥ずかしいだろ」
「そうかな」
「普段、勉強しないくせに、テスト前に一夜漬けするようなもんだ」
「それでも、なにもしないで負けるよりはカッコいいじゃない」
「負けたら一緒だよ」
俺は三葉の「勝って喜んでる時が一番カッコいいんだから」という言葉を思い出していた。
「なら、早く練習しましょ」
「あぁ」
本番までは三週間ある。出来れば遥より速く走りたいが。
試しに走ってみるとやっぱり遥には勝てない。
「前を走ってくれないと、一海くんが走ってるところ見れないなぁ」
「遅くて悪かったな」
「ふふっ、じゃあ横で見てるね」
「悪いな。練習の邪魔して」
「いいの。夜はチームの練習に行くし」
「そっか」
遥に横で見てもらうと一つ問題点がわかった。
「一海くん。怪我したのって右足?」
「そうだけど、ここだよ」
俺はジャージを下ろして、太ももの傷を遥に見せた。遥は傷跡を指でなぞった。
「すごいね」
「それで?」
「右足を庇ってるような気がする。蹴るのも、引き上げるのも」
「……復帰した頃は傷口が開いて、血が止まらなくなる夢をよく見たもんだよ」
「左足ばかりに負担がかかってるのね。右足を鍛えましょう」
そしてメニューに片足スクワットが追加された。言われてみれば左右で足の太さが違うんだよな。
「あと三回」
「もう上がんない」
「じゃあ、上がるところまで頑張ろう」
「鬼だ」
「んー?」
「わかったよ」
キツい。一日目からこれか。遥、俺を陸上に戻す気なんじゃないだろうな。
一週間ほどそれは続いた。最初は筋肉痛で動くのもしんどかったが、人間っていうのは慣れるものだ。
「もう筋トレは今日までかなぁ」
「ここからは?」
「バランスが変わってると思うから、短い距離を何度もやりましょう」
「キツいヤツじゃん」
「私も一緒にやるから」
「はいはい」
いつも自主トレに使っていた長いスロープを、遥と駆け上がる。遥と並んで走るのが楽しかった。おかげでキツくても頑張れる。
「やっぱり右足を庇っちゃうんだよなぁ」
練習した後に、二人で公園のベンチに座っていた。俺は右足を擦りながら言った。
「痛い?」
「いや、痛み出すんじゃないかって、怖いんだ」
「痛くなったらすぐに言ってね?」
「あぁ」
こればっかりは、すぐにどうにかなるものでもない。少しずつ慣れていくしかないんだろう。
ふと、遥が俺の右脚に手を置いた。
「魔法をかけてあげる」
「え?」
遥はそっと右脚に口付けた。顔を上げた遥は、恥ずかしそうに俯いていた。
「ありがとう」
……ばーか。
俺は遥の頭を撫でて、そっと抱き寄せた。
「なぁ、真剣勝負しようか」
「え?」
「ちゃんとしたスタートで」
「うん」
俺たちは学校に移動した。もう完全下校の時間を過ぎていた。校門は開いていたので俺たちはグラウンドに忍び込んだ。
「お前、なんか手、抜きそうだな」
「え?」
「なんか賭けようか」
「じゃあ、一海くんが勝ったらキスしてあげる」
「で、遥が勝ったら?」
「んーと、なにがいいかな」
「じゃあ、俺がキスしてやるよ」
「ふふっ……」
「ははっ」
俺たちはスタートラインに並び、見つめ合った。最初は微笑んでいた遥が真剣な眼差しになっていく。俺は下を向いて、目をつぶった。
「遥のタイミングでいいよ」
「わかった。位置について、よーい、ドン!」
トレーニングの後だからか、身体が重い。スタートでも差がつかず、遥は隣にいた。
そして、少しずつ離されていく。負けたくない。でも、遥が遠ざかっていく。
ゴールしてから、俺は悔しくて寝転がっていた。
「はぁはぁ……くそ……」
やっぱり負けたら笑えない。悔しい。
「私の勝ち」
視界に遥の顔が逆さまに映った。
「賞品をいただきます」
遥の顔が近づいてきて唇を奪われた。くそっ……俺からしたかったな……。




