EP2-5 お願い
二学期が始まり、いよいよこの学校で一番のイベントが近づいてきた。秋の運動会の最終種目、学年対抗リレーである。
全五クラスから男女一人ずつ、合計十人が出場する伝統行事だ。
まぁ、俺は走らないけど。
「私は田中くんがいいと思います」
その日のホームルーム。選手を決める話し合いが行われた。三葉が勢いよく手を挙げるが、俺は絶対出ないからな。
「一海は体力テストの時に俺に負けてる。俺が出る」
いいぞ西田。がんばれ。
「でも、途中までは一海の方が速かったでしょ!」
「俺の方が速い!」
「じゃあ、次の体育の時に二人で競走してもらいましょう」
よしよし。それをわざと負ければ回避できるな。
「一海は負けないんだから」
「楽しみだぜ」
本人が寝たフリしてやる気ないのに、どうしてそんな熱い展開になってるのか。
「一海!」
「なんだよ」
放課後、三葉に捕まった。
「リレー走ってよ」
「西田が出るんだろ?」
「一海の方が速いじゃない」
なんでこいつ、俺を走らせたいんだ。
「あのなぁ、俺は負けるのが大嫌いなんだよ」
「西田くんにわざと負けたくせに。次の勝負もわざと負けようとか思ってるんでしょ」
「本気出して負けるのが嫌いなの」
「もういい!」
三葉は行ってしまった。
その後、遥の練習を見に行った。話題はもちろん学年対抗リレー。
「一海くんも出ればいいじゃない」
「俺は出ないの」
「三葉ちゃんが推薦してるんでしょ?」
「遥は出るのか?」
「当然」
「女子は五十メートル?」
「そう」
「お前が百メートル走ったら二年の圧勝かな」
「去年は三年生が優勝」
「へぇ」
「それであなたと西田くんとの対決はいつ?」
「次の体育の時間って言ってたけど明日か」
「がんばってね」
「はぁ?」
「私もあなたが本気で走ってるところ見たい」
遥までそんなことを言う。
「はぁ……気が進まない」
「ほんの十秒走るだけよ」
悪気がないのはわかってる。みんなそうだ。少し走るだけ。簡単に言ってくれる。
「俺、帰るよ」
「そう? ありがとう。また明日ね」
「あぁ」
一度帰宅したが、ずっと心にもやがかかっているようだった。ひまわりにでも行くか……。
「兄さん」
「ん?」
俺がいつもの席でボーッとしていると、二湖が前に座っていた。
「三葉から聞いたよ」
「なにを?」
「明日リレーに出る選手を決めるそうだね」
「あぁ」
三葉のヤツ。そんなこと言いふらしてやがんのか。
「兄さん、覚えてる?」
「なんだ?」
「三葉と映画を見てこいって言った日のこと」
「……あぁ」
「一生のお願いって」
「……あぁ」
「僕の言うことを一つ聞いてくれるって?」
「……あぁ」
「三葉のために……」
俺は二湖を睨みつけた。それはないだろ。
「リレー、走ってくれよ。兄さん」
「……お前まで、そんなこと言うのか」
「わかってるよ。ずっと見てたから」
「……」
「兄さんがどんな思いで陸上をやめたのか」
「それなら……」
「でも、三葉がどんな思いなのかも知ってる」
あの時……。
中学二年の時、県大会で優勝した。その帰り道。
信号無視の車に轢かれて、大腿骨を骨折した。手術をして、まともに走れるようになったのは中三になってからだった。
痛みはなかったんだ。でも、スピードは戻らなかった。
努力すれば元通りになる。諦めるな。みんなにそう言われた。
でも、自分にはわかる。これはもう元には戻らないって。
「俺が辞めるって言った時の三葉の顔。今でも忘れられない」
「兄さん……」
「なぁ二湖」
「なに?」
「俺が走らなかったら……三葉、がっかりするかな?」
「……わからないよ」
「遥が……」
「うん」
「全国で四位になったとき、俺はどんな顔で迎えてやればいいかわからなかった」
「……」
「でも、あいつは太陽みたいな笑顔で帰ってきた」
「……兄さん」
「今回だけだぞ」
「え?」
「もう、ほんとに走らねぇからな」
二湖の顔がパッと明るくなった。
「兄さん。ありがとう」
二湖は席から立ち上がると、店の奥の階段を上がって行った。




