EP2-4 苗字
朝のランニングはちゃんと続けていた。遥に話したら夏休みは一緒に走ることになった。
「一海くん、意外と体力ないね」
「お前と比べるなよ」
「男の子のくせに」
「お前と一緒にトレーニング出来るように、こうして走ってるんだろ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「……ありがと」
遥は少し赤くなって俯いた。
「ねぇ、うちで宿題しようよ」
俺は遥を家に誘った。
「まだ七時よ?」
「うち誰もいないからさ。朝のうちに終わらせようぜ」
「お邪魔します」
「誰もいねぇって」
「一応ね」
玄関で靴を揃え、リビングダイニングに入る。遥が後ろをついてくる。
ダイニングテーブルに父さんが置きっぱなしにしたマグカップが一つ残されていた。
「適当にそっち座っといて」
俺はマグカップを洗って、洗いカゴに置くと、代わりにガラスのコップを二つ手に取った。
「ねぇ、何も置いてないんだね」
「何が?」
「本棚とか時計とか」
たしかに、リビングにあるのはソファとローテーブル。テレビ台の上にテレビがあるだけだ。
「部屋にはあるよ」
「あなたの部屋は?」
「そのドアだよ」
遥が部屋に入っていった。
「ねぇ」
「なんだよ」
「何にもないじゃない」
部屋の奥にはベッドがあり、その手前にデスクと本棚が並んでいる。
「ぬいぐるみとか」
「そんなの何に使うんだよ」
「マンガとか」
「この家ではだいたい寝てるからな」
遥とリビングに戻り、それぞれの宿題を始めた。
「あなた、勉強も興味ないとかそういうタイプ?」
「いや、成績悪くないよ俺。寝てるとき以外は勉強してるし」
「あなたはほとんど寝てるようなイメージなのよ」
「陸上辞めてからはマジメに勉強してるんだよ」
「ねぇ、二湖くんは? 双子なんでしょ?」
「あぁ、言ってなかったっけ?」
「何を?」
「うちは五年生のときに親が離婚してるんだよ。だから別々」
「それで苗字が違うのか」
「そう、俺は田中だけど、あいつは雪代。いいよなぁ雪代」
「なら、あなたもお母さんの方に行けばよかったのに」
俺は遥を睨みつけた。
「それだけはない」
「あ、……ごめんなさい」
遥は泣きそうな顔で謝った。
「……すまん。あの女の話になるとダメなんだ俺」
「聞かない方がいい?」
「……虐待されてたんだ。俺こんなだからさ、折り合いつかなくて」
「え?」
「やっぱやめよう。聞きたくないよな。そんな話」
「……」
遥は俺を抱きしめるようにして座った。
「聞きたくないわけじゃないよ」
「うん……それで父さんが俺を守るために、あの女に言ったんだ。お前には二湖がいればいいだろう。一海は俺が連れていくって」
「それで離婚?」
「あぁ、あの女は俺にはよく手を上げたけど、二湖にはほとんど手を出さなかった。でも、機嫌が悪いと二湖に手を上げることもあったから、離れるのは嫌だった。守ってやれなくなるって」
「それが五年生のとき?」
「そう。だから俺たちは家も苗字も違うんだ」
俺を抱いていた腕がぎゅっと強くなった。
「一海くんって、ただ鈍いだけなのかと思ってた」
「なんだよそれ」
「んーん、私が鈍かったんだ」
俺は遥に軽くキスすると立ち上がった。
「お茶入れようと思ったんだった」
「……うん」
それから少し勉強して、たまに脱線して、あっという間に昼になった。
「昼からは部活?」
「今日はオフなの」
「じゃあ、昼ご飯はひまわりに行くか」
「え?」
「ん?」
「三葉ちゃん、嫌がるわよ」
「そう思うか?」
「……うん」
「行けばわかるよ」
俺は遥を連れてひまわりに向かった。三葉は拒絶するだろうか。まぁ、そうなったら俺は三葉にとってその程度のヤツってことだ。
「いらっしゃ……一海くん」
俺がドアを開けて入ると、おじさんは少しびっくりしていた。
「久しぶりだね、おじさん」
「兄さん」
「よぉ」
「遥さんも、こんにちは」
「こんにちは」
「いつもの席、空けてあるよ」
「あぁ」
「今、三葉呼んでくるね」
「二湖、昼になったら下りてくるんだろ? ほっとけよ」
「わかった。兄さんはコーラ?」
「いや水でいい」
「……わかった。遥さんは?」
「私も……大丈夫」
「また注文、聞きにくるね」
二湖がテーブルを離れてしばらくしてから、ドタドタと上の階から音がした。ほっとけって言ってんのに……。
「一海!」
また大きな声で……。
「……」
「ずっと来ないから私が悪いみたいじゃない!」
「……悪かったよ」
「遥さん、こんにちは」
「……こんにちは」
「一海、オムライスならすぐ作るけど?」
「何でもいいよ」
「オムライスならすぐに作らせていただきますけど?」
「み、三葉ちゃん、オムライス二つお願い」
「かしこまりましたー」
またデカいの出てくるんじゃないだろうな。
「もっと嫌な顔されると思った」
「家族みたいなもんだから」
「……私は」
「ん?」
「私は耐えられないかも」
「遥……」
「……不安にさせないでね?」
「あ、あぁ」
しばらくして、二湖が持ってきたのは二つの巨大オムライス。
「ねぇ、三葉ちゃん。怒ってるんじゃない?」
「……そうかも」




