EP14 キス
優勝したら付き合って、などと言われても、付き合うなんてのは好き合ってる者同士でやることだろう。
今日はその優勝がかかった県大会の日。俺は一人で観客席に座っていた。
遥が目に入る度に、あの時のいたずらな笑顔が思い浮かんだ。
からかわれたと思ったのか、陸上に集中してないことに腹が立ったのか、くだらないことと言ってしまった。あいつは本気だったのかもしれないのに。
どうしていいよって言ってやれないんだろう。どうしてダメだって言ってやれないんだろう。
わからない……。
女子、百メートル決勝。遥は四レーン。
スタートした。
腰が高い、上体が起きるのも早い。スタートに失敗して焦ってるんだろう。そのせいで地面に力が伝わっていない。落ち着け遥。
いつもの綺麗なフォームではないが……速い。
後半はいつものようにノビてきてる。でも一人、前にいる。
もう少し……届かない。
遥は二着でゴールした。
スタート練習なんかするからだ……。優勝したら付き合ってなんて言うから……。
俺はなんて声をかければいい。
観客席からずっと他の競技を見ていた。遥のところへ行かなきゃ……でも、かける言葉はまだ見つからない。
「負けちゃった」
俺が顔を上げると、遥が立っていた。何か言おうと思うが、何も出てこない。
「勝ちたかったな」
「あぁ」
「ねぇ、見ててくれた?」
「あぁ」
「でも、全国には行けるから」
「あぁ」
「そんな悲しい顔しないで」
「……勝ってほしかった」
「え?」
「勝って、帰ってきてほしかった」
「……ごめんなさい」
遥は泣き出してしまった。俺は立ち上がって、遥を抱き寄せた。遥は何も言わなかった。
それから遥が泣き止むのを待って、俺たちは地元に戻った。
「遥、ひまわり行くけど」
「……」
「一緒に行くか?」
「……うん」
そのまま、遥を連れてひまわりへ向かった。
ドアを開けるといつもの匂いがした。なんだか落ち着く。
「いらっしゃいませ。あぁ一海くん」
「おじさん、こんにちは」
「いらっしゃい、兄さん。遥さん」
「こ、こんにちは」
遥が挨拶をすると、二湖は遥の顔をジッと見つめた。
「兄さんに何か言われたんですか?」
「おい」
「今日、県大会だったの。それで負けちゃって」
「そうですか。残念でしたね」
「二位だよ」
「え?」
「県で二位。全国大会にも行けるんだぜ」
「すごいじゃないですか」
「う、うん。ありがとう」
「一番奥の席にどうぞ」
「うん」
「兄さん、ちょっと」
俺は遥と荷物をいつもの席に置くと、カウンター前に戻った。
「遥さんを泣かせたの?」
「勝手に泣いたんだろ」
「二位だからって泣くような人じゃないでしょ?」
「あぁ……そうだな」
「なんて言ったの?」
「お前には関係ないだろ」
俺は二湖を睨みつけると、水を二つ注いで席に戻った。
「はい」
「ありがと」
「昼ご飯飛ばしちゃったから腹減ったよ」
「私のせいね。ごめんなさい」
「いいよ。何食べる?」
俺はメニューを開きながら遥に手渡した。
「遥さん」
三葉だ。二湖のヤツ、また呼びに行きやがったな。
「二湖に聞いた。今日、大会だったんだ」
「負けちゃったけどね」
「そっか」
「……二位だよ」
「え? 二位?」
「……えぇ」
「すごいじゃない。どうして一海はムスッとしてるのかな?」
「遥がボロボロ泣くからだよ」
「いいじゃない泣いても。悔しかったんだから」
「あぁ、悪かったよ。それよりなんか作ってくれよ。腹減ってさ」
「遥さんもなんでもいい?」
「うん。お任せする」
無言の時間が流れる。なんだかイライラして、でも遥に怒ってるんじゃない……。
「遥、悪かったよ」
「……何?」
「もっとちゃんと、練習してやれば良かった」
「そんな」
「長所を伸ばした方がいいって、言ってやれば良かった」
「一海くんのせいじゃない」
「明日から」
「え?」
「毎日、練習に付き合うよ」
「……うん」
遥の手が俺の手を握った。遥の方を見ると、目が合って……。
遥が俺にキスをした。
三葉が立っているのが見えた。驚いた顔で俺たちを見ている。俯いて、見えなくなった。
「……ごめん」
どうしてか、遥はそう言って目線を逸らした。
「あぁ……」
ガシャンと何かが割れる音がした。キッチンの方だ。
「ちょっと見てくるよ。待ってて」
「……うん」
キッチンの前に座り込んで、割れた食器を片付ける三葉が見えた。
「みつ……」
三葉のところへ行こうとした俺の前に、二湖が立ち塞がった。
「兄さん」
二湖は今まで見たことのない目で、俺を睨みつけた。
「座ってなよ」
「でも……」
「お客様の出る幕じゃない」
頭がカッとして、二湖の胸ぐらを掴んだ。
「殴らないの?」
「挑発すんな……」
俺は二湖を突き放すと席に戻った。手を上げるところだった。暴力は、俺が一番嫌いな行為なのに。
「大丈夫だった?」
「あぁ……」
「どうしたの?」
「なんでもない」
心が追いつかない。今日はもう疲れた。俺は背もたれに寄りかかって目を閉じた。




