9.犬の城が立派すぎたので
はてさて案内された城というのが、肉球ぷにぷにの前足で造られたとは思えないほどに立派なもので、私はただただ呆然と口を開けて歩いていた。
白亜の城――通称ブリヒテン城は三階建てで、一階部分が一番広く、二階、三階になるとだんだん狭く小さくなる、三段ケーキのような形をしていた。
最上部の三階の屋上には、何やら両端に突起物がある。
それを見て興奮したのは、当然ながら篠崎であった。
「こ、これは……! 犬型の城か!!」
城の全容を見るなり、篠崎くんは目を輝かせ、息を弾ませ、城に見とれている。
あぁ、あの突起物は犬の耳を表していたのか……と内心で納得しつつも、篠崎くんの興奮具合についていけない。
私たちが閉じ込められていた地下牢は、このブリヒテン城の真下にあった。
その出入り口は城の内部には通じておらず、城の外、犬型でいえば尻尾部分にあった。
「それでは中へ参りましょうか」
未だ興奮冷めやらぬ篠崎くんに、穏やかに声をかけたのは黒い犬。
篠崎くんが進んでくれなければ、全く話が前に進まない。
私も、まだ城を愛でたりない篠崎くんの腕を引く。
「ほら、篠崎くん! きっと中にはたくさんワンちゃんがいるよ」
「はっ! そうだな、かわいいワンちゃんたちが俺を待っている!」
犬を出せば、簡単に釣れる。なんて単純な男なのだろう。
私は一匹狼を気取っていた不良がそれでいいのか、と問いたい。
ここまでの弱みを他校の奴らによく気づかれなかったものである。
犬一匹でも人質にとれば、この人は手も足も出せないはずなのに。
(あー。でも、犬を傷つけたらそれはそれで後からすさまじい反撃をしそうだなぁ)
教師やクラスメイト、不良たちから一目置かれる存在である彼が、実は無類の犬好きでキャラが豹変すると知ったら、今まで篠崎くんを避けていた人たちはどんな反応をするだろう。
それも、私のような目立たない地味な女子に犬の一言だけで操られるなどと知ったら。
城の内部も、それはもう立派なものだった。
玄関ホールには赤い絨毯が敷き詰められ、真っ直ぐ伸びる廊下の両端には甲冑を着た犬の置物がずらりと並んでいる。
天井には豪奢なシャンデリアがぶら下がり、壁面には繊細な花の模様が描かれ、そのすべてがピカピカと輝きを放っている。
この城を見るだけでも、犬世界の文明がどれほど進んでいるのかが分かる。
奥へ奥へと進んでいくと、ちらほらメイド服を着た犬とすれ違う。
犬種は分からないが、毛がふわふわしていてかわいらしい。
リボンを着けていることからしておそらくメスだろう。
その姿を見て、篠崎くんが興奮して鼻血を出した場面は見なかったことにしよう。
(それにしても、広いなぁ)
さすがに電化製品などは置かれていないようだが、ここには中世ヨーロッパ風の文化が生きている。
ヨーロッパなど行ったことはないが、テレビやインターネットなどで見るお城の内部にそっくりだ。
ただ、そこに住むのが人間ではなく犬というだけのこと。
しかし、徳川綱吉の力によって犬世界ができたというのに、どうしてこうもヨーロッパ風なのだろうか。
そういえば、ここに来て日本犬を見ていない気がする。
「あの、ここに住んでいる人…あ、いや犬たちはみんな外国の犬種なんですか?」
ぼんやりと浮かんだ疑問を口にすると、黒い犬――というのもあれなのでクロちゃんと名付けよう――は頷いた。
「でも、この犬世界は徳川綱吉様がつくったんですよね?」
「あぁ、日本の同胞たちは、いつしかこの犬世界から旅立ち、自らの主人に忠誠を誓っています。いくら故郷のピンチとはいえ、主人を放って駆けつけてくることはありません。昔は日本製の城で立派な天守閣もあったのですが、日本犬が去り、西洋の文化が主流になったのです」
犬世界には犬世界の事情があるらしい。
私はさっさと人間界に帰りたいので、あまり深くは追及しないことにする。
しかし、そうはいかない人が近くにいることを忘れていた。
「この犬世界は世界中につながっているのか!? ここにいれば、世界中のワンちゃんたちに出会える……?」
何やら思考が危ない方向へ進んでいる気がする。
「俺、この世界で生きていく!」
篠崎くんの言葉は、本気だった。
まぁ犬に関して彼がすべて本気で全力だということは知っていたが、人間界にも少しは執着してほしい。
篠崎くんと一緒に帰る予定の私からすれば、このまま篠崎くんが犬世界にとどまろうとするのはよろしくない。
「篠崎くん! お姫様を助けたら、ちゃんと人間界に帰ろう? ね!」
「は? なんで人間界に帰らなきゃならねぇんだ。ここは天国だぞ!?」
あなたにとってはね……と私はため息を吐く。
猫世界とのいざこざで姫がさらわれたりするのに、天国といえるのかは謎だが。
(まぁでも、お姫様を救い出せば人間界に戻れるみたいだし、まずはお姫様救出が先かな)
そのあと、篠崎くんを説得する。
私は頭を切り替え、クロちゃんの後ろを歩く。
「でも、みんなは人間界に行ったりしないの?」
私の問いに、クロちゃんは尻尾をピンと立てた。
「我らはこの犬世界を守る責任ある立場であるために、人間界へ行くことはありません。それに、ここには私の尽くすべき主人がいます」
真剣に語ったクロちゃんの目には、きっとさらわれてしまった姫の姿がある。
自分が助けに行きたいのに、救世主である篠崎くんに託すしかない。
その悔しさも、すべては姫を思うが故なのだろう。
「俺は、そういう義理と人情を重んじる忠犬たちが大好きだ!! 安心しろ。お前が忠誠を誓う姫さまは、俺が必ず救い出す」
喧嘩慣れしている拳を力強く天に突き上げ、篠崎くんが叫んだ。
「えぇ、頼りにしています。救世主様」
クロちゃんは神様でも拝むような顔で篠崎くんを見て言った。
私はこの犬世界すべての期待を背負わされているにも関わらず、犬愛だけを身体全体で語る篠崎くんは凄い人間だなぁと感心していた。
私なら、そのプレッシャーに耐えきれなかっただろう。
何のプレッシャーも感じず、ただただ愛する犬のために動く、そんな篠崎くんだから救世主になれるのかもしれないと私は漠然と思った。
でも、その犬に対する愛情の半分でも人間に向けてほしいものだ。
そうして、私たちは一人ずつ部屋に案内された。
すぐにでもお姫様を助けに行きたいという篠崎くんをクロちゃんが止め、侍女風の犬に「一日身体をゆっくり休ませてください」と言われた。
白を基調とした清潔な部屋にはお風呂もあり、この世界に来てなんだかんだバタバタしていたので、ゆっくりできるのはありがたかった。
用意されていたのは、白いワンピースのような寝間着で、肌触りがよく着ていてとても楽だった。
本当はゲームのような漫画のような犬世界に来てしまったこと自体受け入れられないのだが、篠崎くんのおかげで平静さを保つことができている。
きっと、明日には朝から城を出てどこにあるかもわからない猫世界への入り口を探す旅に出ることになる。
「あ~あ、私はただ捨て犬を拾っただけなのになぁ……」
ふかふかのベッドに寝転んで、巻き込まれただけの私はぼんやりと言葉を零した。




