10.出発前なのに不安しかないので
目覚めたらすべては夢だった……なんて夢オチを期待して目を開けた私だが、私の部屋に天涯つきのベッドなんてないし、2、3人余裕で眠れるような広さもない。
用意されていた白いワンピースのような寝間着を脱いで、私は制服に着替える。
胸のリボンを取り付けた時、タイミングよくノックの音が響いた。
「お目覚めでしたか。朝食ができております」
メイド風エプロンを付けたふわふわの毛並みの可愛らしい犬が、私に丁寧に頭を下げて言った。
救世主は篠崎くんで、私はただ巻き込まれてしまったただの人間だから、頭を下げられるといたたまれない。
私も慌てて頭を下げて礼を言うと、にっこり笑顔を返された。
(かわいい……)
一階の大食堂に案内されると、篠崎くんはもうテーブルについていた。
そして彼は、やはりというべきか朝から元気よく犬の毛並みに興奮している。
あわよくば肉きゅうに熱いキスをしようとするので、犬たちの方が少し引いていた。
犬が作った朝食、と聞いてドックフードだったらどうしよう、なんて考えて席についたが、出された朝食は人間界のものとそう変わらないものだった。
焼きたてのパンに濃厚なバター、クリームスープ、バナナや林檎などのフルーツ、そして香りのいい紅茶。
「いただきます」
食欲がそそられて、私はパンを一口かじる。
やわらかくて、ふわっふわのパンは甘味もあり、とても美味しい。
今まで食べたパンの中で一番おいしいかもしれない。
私が感激してパンを食べていると、向かい側に座る篠崎くんが突然涙を流しはじめた。
「こ、こんなに美味しいパンを作り出すために、どれだけの努力をしたのか……肉きゅうで小麦粉をこね、何度調整しただろう……!!」
パンひとつにここまで大袈裟に感動するのもどうかと思うが、たしかにこのパンはおいしかった。
バターもパンによく合うし、スープは舌触りがよく、濃厚なクリームの美味しさが口いっぱいに広がる。
「ほんと、とっても美味しいです!」
感激しすぎて本当に味わっているのか分からない篠崎くんは無視して、私は給仕をしてくれた茶色い毛並みの犬に笑顔を向けた。
美味しい朝食を食べ終わると、篠崎くんは勢いよく立ち上がった。
「よし、猫世界へ向けて出発だ!」
「え、もう……?」
正直、食べた直後に動きたくない。
さらにいえば、もう少しゆっくりしていたい。
そんな私の思いを篠崎くんが汲んでくれるはずもなく、クロちゃんに出発の旨を伝えている。
その様子をぼうっと見ていると、篠崎くんは目付きの悪い両目を私に向けた。
「……萩村、お前まだ用意できてねぇのか? さっさとしねぇと置いてくぞ」
「え、うそ……でも篠崎くん何も持ってないじゃん」
すっとんきょうな声をあげてしまったのには訳がある。
普通、旅に出るなら旅支度が必要だ。
ゲームの世界でも、装備は重要である。
それなのに、篠崎くんは手ぶらなのだ。着の身着のまま行くつもりなのだ。
犬バカはこれだから困る。私は大きなため息を吐いた。
「ねぇ、篠崎くん。私たち、この犬世界についてほぼ無知なの分かってる? 手ぶらで旅に出るって無謀すぎるよ」
「んな悠長なこと言ってる間に、姫に危険が及ぶかもしれねぇんだぞ!」
会ったことも見たこともない犬世界の姫のために、無謀な賭けに踏み出す篠崎くんは確かにかっこいい……かもしれない。
しかし現実的に考えて、超能力も魔法も何も使えない人間が、目的地への行き方も分からないのに旅に出るなど正気ではない。
私が篠崎くんを思い止まらせようとした時、クロちゃんが篠崎くんの両手を握ってブンブン振りだした。
「さすがは篠崎様! 我らが姫のためにそこまで!」
バカは一人ではなかったらしい。私は酷くなる頭痛に頭を押さえた。
「しかし、萩村様の言うことにも一理あります。篠崎様にはこの犬世界の地図と、護衛をつけさせてください」
「え、ほんと?!」
クロちゃんはただのバカではなかった。
私は満面の笑みを浮かべその申し出を有り難く受けようとするが、その前に本物のバカが口を開いてしまった。
「いや、俺には地図も護衛も必要ねぇ……何故なら、俺が救世主だからだ!」
そうドヤ顔で言い切った篠崎くんに、私は殺意にも似た苛立ちを抱いた。
(こんの犬バカ野郎がぁぁぁぁ……!!!)
このまま篠崎くんと二人で旅をするなど、不安しかない。
私はがっくりと床に膝をついた。




